呼吸をしていた。そう、呼吸だ。生きとし生けるものが、その命を全うするための行為。獣はもちろん、草花さえそれを欠かさぬという。俺は呼吸をしていた。俺の身は冷たく硬いはずだった。それがどうして、俺が横たわる布団は俺の身が発する熱を包むことでぬくもりを保ち、胸と腹は送り込まれる吸気、入れ換えられた呼気によって柔らかく上下していた。俺は呼吸をしている。
 刀とは違った俺自身の命を不思議に思う。仮初の肉ではあるが、確かに血が通っている。上体を起こしてみれば空腹に気付く。命であることは、他の命を食らうことだ。食事は己の手で己を命たらしめる行為。我が身の瑕疵によってただ朽ちるのを待つでもなく、人による救済に行く末を任せるでもない、俺の意思がこの身を保つことができるのはなんとも奇妙な感覚だった。
 意識を向けた部屋は物が少なくがらんとしている。一人で使うには少し広い。大包平が来ることを見越してあてがったとのことだが、その目処は立っていないらしい。俺がここへ来たのだってほんの数日前のことだし、まあ、気長に待っていよう。

 朝餉のあと厨から茶葉と急須と湯呑みを持ち出す。煎れ方は昨日、歌仙が教えてくれた。それを見ていた光忠が先ほど洗い物のついでに湯を用意しておくと気遣ってくれた。言われた通り竈を覗けば、湯気の立っている薬缶が置いてある。二人とも姿が見当たらないが、礼は見かけたときにでも遅くないだろう。手順をなぞり、盆に用意したものを載せて蒸らす間に移動する。縁側に腰掛け一服、思わず深い息をつく所以は茶の温かさなのか、上手く淹れられた安堵なのか、そのどちらもか。視線を正面に向ければ麗らかな生命の季節が目を楽しませた。この季節に顕現されるのは、やっぱり鶯丸様らしいですね、と平野が嬉しそうに話していたのを思い出した。春はいい季節だ。のんびりしていて、穏やかな空気が満ちている。
 このしなやかな高揚感も、先程の茶を含んだときの機微も、なんの違和感も無く受け入れているがこれがいつから俺に備わっていたのかは分からない。ただの鋼であった頃の記憶を辿って甦る感情が無いわけでもないが、それは果たしてそのときその場にいた俺が感じたものなのか、それとも人の身を得ることで新たに知ったものなのか、それを明らかにする術を俺は持っていない。まあ、少なくとも今うまい茶を飲んで気分がいいことは確かだ。それだけで十分だろう。
「きみは梅でなくても似合うのだな」
 視線を上げると見覚えのある白い太刀が近づいてくる。その手が湯呑みを持っていることに気付き、それが空であると察するのに時間はかからなかった。
「世辞だけなら受け付けないぞ」
「茶菓子を拝借してきた。これでどうだ」
「いいだろう」
 湯呑み受け取って淹れてやる間に白い太刀、鶴丸国永は干菓子を広げていた。薄紅色の小さな甘味も、やはり春の趣を連れている。
「刀の身であった頃は茶菓子なんぞ気に留めたことも無かったが、なるほど確かに驚きだ。これは桜の形だろう? これが皐月になれば青葉や菖蒲(あやめ)を用意するらしい」
 独り言と語り口の間のような話しぶりで、鶴丸は桜をひとつ手に取りしげしげと眺めてそのまま口に放り込んだ。温かくなった湯呑みを差し出せば、恩に着るぜ、という言葉と共にその手を伸ばして受け取った。
「すぐ腹へ消えてしまうものにすら風流を求める。俺もここの主に喚ばれてまだ日が浅いが、人の身は驚きの連続だ」
「そうだな」
 俺の相槌を聞いてか聞かずか、鶴丸がずずっと茶をすする。
「うまいな! きみが煎れたのか?」
「ああ」
「こりゃ驚いた」
 彼は満足気にまた湯呑みを傾ける。俺も湯呑みを持ち直して口元へ運ぶ。一度だけ喉を動かしてから鶴丸が広げた菓子に手を伸ばした。つまんで持つ程度、口の中ですぐに溶けてしまうような桜だった。
「なあ鶯、きみは一人で何を考えていたんだ?」
 また顔を上げると、鶴丸は胡座の上で頬杖をつき、俺ではなく庭先に視線を向けている。つられて俺も春の景色を見る。投げられた問いへ素直に答えた理由は、庭の桜が美しかったから、ということにしておこう。
「俺は春が好きだが、いつから好きだったか考えていた」
「昔から好きだったのか、ただの刀であった頃から?」
「わからない。人の身を得て、ずっと昔から好きだったように感じているだけかもしれない。なんせ俺は鶯だからな」
「そうか」
 少し力のある風が吹いて散った桜が舞う。拾った桜がまだ手の中にあると気付いて口に含むと、二度ほど噛めば消えてしまった。
「俺は一度、かつての主と共に死んでいる」
 返事の変わりに茶を飲んで、ちらと隣を見ても相変わらず鶴丸は庭の景色を眺めていた。
「一緒に埋められたんだ。千年生きた今となっては大した期間ではなかったが、途方もない暗闇は永遠のような時間だった。俺はその長い退屈の中で心が死んでいった様を確かに覚えている。身動きも取れず、ゆっくりと退屈に首を締められていく感覚は、想起して知るものじゃあない」
 憂いを含んだ目で桜を眺める鶴丸を眺めて、外側から迫る死について少し考えた。埋められるにせよ、折れるにせよ、それは外側の力によってもたらされる。焼け落ちるも風雨に朽ちるも同じだ。俺は外側から訪れる闇を知らない。俺が知っているのは、己の内側から身を蝕む死の足音だけだった。
 見つめられていることにようやく気づいた鶴丸は、頬杖をついていた手で膝を叩いた。
「暗い話になってしまったな! つまりはきっと、きみがこの季節を愛する気持ちは鋼の身であった頃から感じていたのだろう、ということさ」
「お前がそう言うなら、きっとそうなんだろうな」
「ああ、そうしておくといい」
 鶴丸はまた菓子をつまんで、勢いよく口に投げ込む。がり、と噛んだ音がこちらまで聞こえてきた。
「だからこそ俺は驚きを求める。人の身を得たからには、この人生をしっかり生きなくてはな」
 湯呑を掲げて、そのままやはり勢いよく茶を飲み切る。空になったそれを縁側にこつん、と置いて、鶴丸は俺に向かってにやりと笑った。
「ところできみ、そんな俺と次なる驚きのために、一肌脱いではくれないかい?」
「気分次第だな」
「美味い茶葉が手に入る店を紹介しよう」
「いいだろう」
 生きるとは随分、愉快なことだ。





生について
180814 鶯丸と鶴丸



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