ぱん、という綺麗な破裂音と共に鶴丸の顔が横を向いた。昼時の食堂、音につられて周りのテーブルに座っていた学生たちが数人こちらを振り返る。
「最っ低!」
 そう吐き捨てた女の右手は鶴丸の顔と同じ方向に流れていた。スマートフォンを握りしめた左手は震えている。
「なんだよいきなり」
 座ったままの鶴丸は、左頬を押さえながら女を見上げる。女は無言で左手の端末を鶴丸に見せつけた。
「なんだこれ」
「どう見てもあんたでしょ」
「覚えてねえよ」
「鶯丸くん! これ誰だと思う!?」
 突然こちらを振り返った女が、今度は俺に向かって画面を突きつける。黒い髪の女と、その肩を抱く白い髪の男の写真。後ろ姿だがおよそ察しはつく。ホテルの入口に足を踏み入れる場面だろうか。
「鶴丸と、女」
「誰が見たってそう答えるわよ!」
 そう怒鳴る茶髪の女は、もう俺のことなど気にも留めていないようだった。

「ったく、散々な目に遭ったぜ」
 鶴丸の頬がまだ若干赤い。色白の男だから余計に目立つ。まるで本当に鶴のようでおかしかった。笑い事じゃねえんだよこっちは、とぼやく彼が尚おかしい。
「いやなに、赤が入って鶴らしくなったと思ってな」
「鶴の頭か? なるほどそう考えるとちょうどいいな。だが痛いのはごめんだ」
「これに懲りて大人しくなればいい」
「この俺が? 大人しく? 退屈で死んでしまう。今回はちいとばかしやりすぎたようだが」
 この驚きを求める鶴は、女が面白いと言う。ほんの些細なことで笑い、泣き、怒り狂う様を見るのが愉快なのだそうだ。大方、先程の写真も誰かに撮らせたものを敢えて流したのだろう。これはそういう男だった。
「そもそも二人の女と別々に、同じ日の同じ時間、同じ場所で約束して鉢合わせた前科のある鶯に言われたくはないな」
「そんなこともあったな」
「あの話は流石の俺でも驚いた」
「だが俺はお前と違って、なにも寝ることが目的ではない。美味い茶が飲めればそれでいい」
 結局その事故が起きてしまったときも、運良く双方ともに恋人になれと言われたことは無かったから、どちらにもただの友人だと思っている旨を伝え、それぞれと行く予定だった喫茶店を三人ではしごしたのだ。
「ではなに、きみは今まで、本当に茶のためだけに女と会っていたのか。その割には朝帰りの話を聞く気がするぜ」
「まあ、細かいことは気にするな」
「はは、実にきみらしい返答だ」
 店をはしごして別れたあと、もう一軒紹介する、と言って戻ってきた女に連れていかれたのはホテル街だった。諦めの悪い女だと思ったことも記憶に新しい。
「ところで鶯、今日は暇か?」
「いや、先約がある」
「お、その言い方は」
「邪推は感心しないな」
「いやいや、俺はなにも言っていないぜ? まあ、きみに驚きの出会いがあることを祈ってやろう」
 そのとき、まさか鶴丸の一言が現実になるなど思ってもいなかった。

 女は新しい店を探すのが上手い。やれどこの姉妹店が近くに出来ただの、海外で有名な店が日本に進出しただの、まあそういった場所は大抵騒がしすぎるので候補から外すが、一言「静かで落ち着いた店がいい」と伝えておけば彼女たちはそれなりの店を見つけてくる。馴染みの店に通うのもいいが、知らない味に出会うのもまた乙だ。今日の茶も、少しハイカラすぎたが美味かった。自宅から電車で数分、女の家が近いという駅までわざわざ出向いた甲斐があった。店を出てさり気なく(そう装って)腕を絡めてきた女に愛想笑いを返し、引かれるがまま歩いていたところでふと目についたそれに思わず足も止まった。
 俺は即座に確信した。これは、一目惚れ、というやつだ。

■■■

 鶯丸の様子がおかしい。いつ声をかけても先約がある、と取り付く島も無く荷物をまとめて姿を消してしまう。以前から「先約」は多い男だったが、それにしても頻度が多い。というかこのところは毎日だ。理由を尋ねてもいいが、それではなんだか面白くない。
「ねえ鶴さん、やっぱりやめておいた方がいいんじゃ……」
「おい光坊、俺はお前をそんな軟弱者に育てた覚えはない」
「鶴さんに育てられた覚えもあんまりないんだけどなあ」
 図体だけ無駄にがっしりとした眼帯男、改め光忠が小言をこぼしている。地元からの縁があるこの一つ下の後輩は、鶯丸とも親戚に当たるらしい。今回の調査にはうってつけの人材だ。
「興味無い」
「こら逃げるな伽羅坊!」
 立ち去ろうとした色黒の男、大倶利伽羅の腕を掴んで引き戻した。これも地元の、光忠の更に下にあたる後輩だが、嫌だ嫌だと言いながら結局付いてくるなんともひねくれた男だった。
 古めかしい喫茶店の前にある、コンビニエンスストアの雑誌コーナーで男が三人。雑誌を立ち読みしている大学生など、よくある光景だろう。カモフラージュは完璧だ。
「加羅ちゃん、こうなったら諦めよう」
 溜息つく光忠を、大倶利伽羅は恨めしそうに睨んでいた。
「なんにせよ、あの店は鶯のお気に入りだ。短くて一時間、長ければ閉店まで居座る」
「ええ? それまでずっと見張るつもり?」
 俺がそう告げれば、光忠が大袈裟に驚く。こいつは素直すぎてあまり驚かし甲斐が無い。
「当たり前だろう! 張り込みは調査の基本だ」
「……おい」
「なんだ加羅坊」
「出てきたぞ」
「は?」
 件の店に目をやると、確かに見覚えのある緑の癖毛が店の外を歩いている。
「なぜだ……あいつが……あの店から五分足らずで出てきた……だと……?」
「なにか買ったみたいだね。テイクアウトできるなら僕もなにか買いに行こうかな」
 光忠がまた呑気にそう言った。まさか信じられない。なにせ奴はあの店でゆっくり茶を飲む時間が至福だ、とのたまっていた。場所自体が気に入っているというのだ。テイクアウトしてしまったら、場所の楽しみが失せてしまう。自宅にも茶葉だのは揃えているらしいが、店で金を払う方が性に合っていると聞いたのはいつのことだったか。やはりこれはおかしい。絶対になにかがあるはずだ。
「そんな時間は無いぜ、追うぞ!」
「俺は帰る」
「お前も行くんだ加羅坊!」

 奴の自宅もほど近い場所にあるスーパーへ調査対象は立ち寄る。スーパーなら上手く隠れることも出来るだろうと、我々も敵地へ潜入した。のまではよかったが、卵が安いだの、今日の献立がなんだの、ぺらぺら話しながら本来の目的も忘れて食材を物色する光忠に気を取られている隙に大倶利伽羅を見失ってしまった。光忠を生鮮食品コーナーから引き剥がして店内を探すと、それらしい後ろ姿がある一角へ入っていくのを見つける。
「おい加羅ぼ……げ」
「なんだ、お前たちもいたのか」
 鉢合わせてはいけない相手もそこにいた。調査対象に見つかる。ミッション失敗だ。
「むしろ鶴丸のせいだ」
「おい加羅坊」
「鶴さんが、最近鶯さんの様子がおかしいから後をつけてみようって」
「おい光坊」
「なるほど。水くさいぞ鶴丸、直接そう言えばいいじゃないか」
「ったく……素直に聞いちゃあ、驚きが足りないだろう」
 大人しく白状されてしまっては、言い訳すらままならない。
「お前らしい考えだ」
「こうなっては仕方がない。きみ、最近いつもさっさとどこかへ行って、なにか隠し事をしているだろう」
 鶯丸がぱちぱちとまばたきをして、そんなことか、と笑いだした。
「いやなに、愛しい存在が家で待っている生活は思いの外充実している、という話だ」
 今度は俺が目をまたたかせる番だった。
「水くさいのはきみの方じゃないか。いつの間に女と同棲なんて始めたのか」
「女ではない。むしろ、どちらかと言うなら男だ」
「男? ……こいつは驚いた」
 別に偏見があるわけではないが、鶯丸がそちらもいけるクチだというのは初耳だった。
「まあ折角の機会だ、そんなに気になるなら紹介してやろう。大包平も喜ぶはずだ」
「オオカネヒラ?」
 聞きなれない名詞を繰り返したのは光忠だった。
「ああ、いい名前だろう」
 どこか上機嫌な鶯丸に、男三人、思わず顔を見合わせたがひとまずついて行くほか選択肢は無かった。

「帰ったぞ」
 アパートの扉を開けるなり、そう呼びかけた鶯丸の声は明るい。美味い茶を与えたときくらいに明るい。連れられた俺たちも恐る恐る部屋を覗くが、それらしい人影は見当たらない。一人暮らし用の狭いキッチンの奥で、退屈していなかったか、と鶯丸が誰かに話しかけていた。そして玄関の方へ戻ってきた彼を見て、俺はきっと間抜けな顔をしていたことだろう。
「紹介しよう。大包平、だ」
 鶯丸の心を奪った御仁、彼は鶯丸の腕に抱かれ、お前たちは誰だとでも言わんばかりににゃあ、とひとつ鳴いた。ねこ、と背後でつぶやいた大倶利伽羅の声も、やはり心なしか明るかった。





愛しき君よ
180527 鶯丸、鶴丸、燭台切、大倶利伽羅



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -