弟が折れた。あっけなく。不幸にも主からの撤退指示がうまく伝達されず、重傷だった弟自身が撤退の指示は出ていないと判断して隊長を丸め込み、無理やり進軍した先でぽっきり、ということらしい。実に弟らしい最期だなあと思った。
 それ以来、短刀の子らがやたら甘えてくるようになった。茶を飲んでいる太刀から前よりも積極的に引き止められている気がする。一人の部屋でぼーっとしていたら、古参の打刀に引きずり出されていつの間にか手合わせすることになっていた。皆が皆、僕を構い倒そうとするのがおかしくてたまらない。彼らなりの気遣いだというのは分かるから、何も言わずに受け入れるけれど実のところ僕はそんなに悲しんではいなかった。世話をしてくれる弟がいないせいで、身の回りのことを自分でやらなくてはならないのが少し面倒だけれど、僕だって必要最低限のことは不自由なくできる。二振一具と言ったって、昔も一緒に過ごした時間は長くない。そもそも僕たちの本分は鉄だ。戦うための物。物はいつか壊れる。それが戦いの最中でその身を全うしたならば、褒め称えることはあるとすれ嘆く必要がどこにあろう。名が変わろうが、来歴に不透明な部分があろうが、一緒にいようがいまいがどうであろうが僕は兄で彼が弟だ。彼が弟である限り、僕は彼の兄になる。

 帰城した粟田口の子らが、報告も手入れもそこそこに慌ただしく僕の元へやって来た。はやくはやく! と急かされ腕を引かれた先はこの本丸の惣領がおわす場所。おや、代わろうか、と僕の姿を見て白装束を翻したにっかり青江が去り際に残した、羨ましいなあ、という言葉が意味するところに気付いたのはしばらく後の話だった。この本丸に数珠丸恒次はまだ顕現されていない。それでも突然任された近侍の役目に、僕は既に底知れぬ恐ろしさを感じ取っていた。
「あなたはもしや、兄者か? まさか人の身を得て見えることがあろうとは!」
 その台詞を聞くのは二回目だった。主が顕現させた男士、それはとても見覚えがあった。見間違えるはずがなかった。以前肉を得て初めて会ったときと同じ、一語一句変わらぬ言葉を僕に放った付喪神。変わらぬからこそ突きつけられる現実があった。
「あんなに自分の名前を忘れるなって言ってたくせに、お前はなにも覚えていないんだね」
 そこで初めて、僕は一振り目の膝丸の不在を悲しい、と思った。

 二振り目の膝丸は度重なる出陣や遠征でめきめきと力をつけていった。僕は変わらずのんびりと過ごしていて、粟田口の子らに「兄弟がそろってよかったですね!」と声をかけられればそうだねと返し、鶯丸から「今度は弟君の分も淹れてやろう」と言われれば感謝を伝え、山姥切国広から尋ねられた「兄弟で手合わせをしたらどちらが勝つか?」という問いには今度やってみようと答えた。二振り目ともうまくやっていた。一振り目のときと同じように。やがて二振り目もだいぶ練度が上がって本丸にいる時間が長くなり、僕と過ごす時間も長くなった。二振り目は一振り目と同じように、初めて見聞きしたものにころころと表情を変えた。僕は二度目の出来事も、初めてのようの振る舞った。
 あるとき編成された部隊で、二振り目は僕の隣に立っていた。
「兄者と共に出陣できる……どんなにこの日を待ちわびたか!」
「僕も楽しみにしていたよ」
 これも二回目だ。そんな僕の言葉でもぱっと顔を輝かせる二振り目をまるで犬のようだなあと思った。
「がんばろうね、犬丸」
「い、犬ではない、膝丸だ兄者!」
 他の刀がけらけらと笑う。以前と全く違う面子の編成で助かった。あるいは以前と同じことを言っている、と笑ってくれたかもしれない。
 そういえば出陣した時代が違ったかもしれない。それもそのはずだ、一振り目と初めて出陣したときは僕もあまり練度が高くなかった。少なくともあのときよりは腕が上がっているというのに、より手応えのある相手に部隊は消耗していた。二振り目が軽傷を負っている。僕の刀装も剥がれかけていた。だけど撤退するほどじゃない。敵の本陣も近い。
「さあて、鬼退治の時間だね」

「兄者!」
 向かってくる敵に気付いていないわけではなかった。だが振り返ったときには二振り目が僕の前に立ち塞がっていて、次の瞬間敵に薙ぎ払われ飛んで行った。そのまま隙が出来た相手を切り伏せてから二振り目に駆け寄る。落下したときの打ち所が悪かったのか気絶していたが、折れてはいなかった。ああ、あの子はこうやって折れたのかなあと思った。それから初めて二振り目に会ったときの顔を思い出した。僕の言葉に耳を疑い、動揺した顔。あっさり折れた子。なにも知らない子。可哀想な子。たぶん僕はそのあと、ただ「斬る」という刀の本能のようなものだけで動いていた。
 斬って斬って斬りまくって、あるところでがきんと重い音が鳴って、僕の身体は固まった。というか、固められていた。
「落ち着け、髭切」
 僕の両腕を固定しながら、後頭部で鶯丸の声がした。
「心中お察しいたします、ですがお気を確かに!」
 対峙していたのは敵ではなく一期一振だった。
「残党は狩りつくしたぞ」
 そこでようやくやることが無くなっていたことに気付いて脱力した。鶯丸が腕を離してくれたので本体の血を振り切って鞘へ収めると、一期一振もようやく刀を下ろした。山姥切国広に抱えられていた二振り目を引き取って戦場を去る。他の刀たちは黙って後ろについてきていた。
 手入れ部屋で眠っている膝丸の姿を見るのは初めてだった。一振り目は重傷を負ったとしても気絶するような子ではなかったし、僕が看取る間も無く彼は折れた鉄の状態で帰ってきた。二振り目だって柔な子ではない。咄嗟に僕を庇おうとしたせいで受け身を取り損ねたのだろう。僕だって庇われるほど軟弱な刀じゃないって知っているくせに。どこまでも愚直で愛らしい子。
「早く目を覚ましておくれ。可愛い僕のおとうと」
 弟がいなければ、僕は兄になどなれないのだから。

 酒飲みの槍や大太刀との勝負に付き合ったのは気まぐれだった。大宴会の片隅で二人仲良く酒を飲み交わした翌日の出陣であの弟は折れた。明日は僕も弟も非番の予定だったから同じ過ちが繰り返されることは無いと分かっていても、ずっと頭の片隅にその記憶が居座っていた。五人目の勝負に打ち勝ったあたりで宴は開きになり、いつの間にか調子が戻ったらしい前半の挑戦者たちに誘われ飲み直そうとしたところで「すまない、兄者は明日も出陣なのだ。失礼する」なんて生真面目な弟によって引き剥がされてしまった。
「ありゃ? そうだっけ?」
「……とにかく部屋に戻ってくれ、兄者」
 こんなところで嘘をつくような子だったかなあと思いながら、一歩踏み出すとうまく重心が取れなかったのでじゃれる振りをしてそのまま弟に抱きついた。思いの外しっかり受け止められてしまったので、弟はこれを予期していたのかもしれない。
「流石はおとうと」
「なにか言ったか?」
「いい子いい子」
 頭を撫でてやれば満更でもない顔をしたので、本当に愚かで可愛い弟だなと思った。
 そういえばあの夜もこうやって弟が僕を支えて帰ってくれたっけ。あの日は別に酔っ払ってなんかいなかったけれど、酒にかこつけて必要以上に世話を焼いてくれる弟がおかしかったのだ。ああ、折角違うように過ごしていたのに。あの弟と、この弟の同じところを見つける度僕は悲しくなる。気を失ったまま目覚めなかったらどうしようと、恐ろしく感じたのは本当だ。心の底から恐ろしかった。だから僕はこの弟も弟なのだと理解した。だからこそ、この弟もあの弟のように、いなくなってしまうことが恐ろしくてたまらない。
「おとうと」
「膝丸だ」
「お前はここにいるんだね」
「ああ、俺は兄者の弟だからな」
 もしかすると、この弟も弟であろうとしているのかもしれない。僕が兄であろうとするように。そう考えていたら言葉を返すのが遅くなってしまった。
「そうだね」
 僕の身体を支える弟の体温が浮ついた気分に心地よくて、この仮初の肉に通う血は同じものなのかなあとぼんやり考えた。

 ちょっと壁に寄りかかるはずが、ずりずりと滑り落ちてしまった。月明かりの入る部屋で、弟は黙って寝床の用意をしていた。
「肉を得た僕らが、今までの僕らよりいっとう曖昧な存在なんだよ。不思議だね」
「兄者?」
「おいで」
 恐る恐る近づく弟が幼い子供のようで、やっぱり僕の弟なんだなあと思った。他の刀の前でこんな態度を取っているのは見たことが無い。そんなことはあり得ないんだろう。弟の頭を肩で抱きかかえるように撫でる。僕に対して、兄に対してだけ愚鈍な子。
「弟は確かにお前だったし、お前も確かに弟だ。一挙一動変わらない。それでもあの弟はお前とは違って、お前もあの弟ではなかったんだね。だけどどちらも可愛い僕の弟……お前は折れちゃだめだよ、膝丸」
 この言葉が、弟にとって加護になるのか、呪いになるのかは分からない。でもどうか加護であってほしい。
「俺は……兄者の弟だ。折れることなど、あるものか」
 弟はぴくりとも身体を動かさない。声だけ聞こえる人形のようだった。きっと今にも泣きそうな顔をしているのだろうなと思う。
「そっか」
 可愛い弟へ、どうか僕の願いが届くようにと思いを込めて頭を撫でる。弟が弟で在るために。僕が僕で在るために。







どうか変わらず
180511 髭切と膝丸



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