兄者と俺は本当に仲の良い兄弟だ。ずっとそう思っている。だがその言葉の意味はいくら考えたところで分からなかった。
「あんなに自分の名前を忘れるなって言ってたくせに、お前はなにも覚えていないんだね」
 俺を顕現させた主の横で、そう笑った兄者の顔が、いつまでも脳裏にこびりついている。

 日々は変わらない。兄者は俺や仲間たちの名前を忘れたり、忘れなかったりしながら、共に働き共に食し共に眠った。
「おはよう、ええっと……おとうと」
「おはよう兄者。膝丸だ」
 目覚めはいつもそれだった。朝餉の後、兄者は粟田口の子らと戯れている日もあれば、鶯丸と縁側で茶をすすっていたり、はたまた古参の打刀と手合わせで汗を流していたり、それなりに広く交流しているようだった。とはいえそれはまだ練度の足りない俺が、遠征やら出陣やらで本丸にいる時間があまり長くなかった時期の話で、出陣の機会が減った今となっては俺と一緒にいる時間の方がおそらく長い。部屋も同じだから朝から晩まで、本当に一日中共に過ごすこともよくあった。兄者の練度に追いついてからは、同じ部隊で出陣する機会もままあった。俺が重傷を負い気を失ったときには、兄者がそれこそ鬼の形相で敵の残党を屠っていたと後に他の刀から聞いた。手入れ部屋で目覚めて最初に見た兄者の顔は、いつも通り柔らかく微笑んでいた。
 だからこそ俺は、顕現されたときの、肉を得て初めて見た兄者の、あのさみしい笑顔が忘れられない。兄者に直接尋ねる勇気は無かった。気付かぬ振り、忘れた振りをしていれば、きっと兄者は今のままでいてくれる。いや、間違いない。だから兄者はあれ以来おくびにも出さないのだ。俺にはわかる。なぜなら兄者と俺は、本当に仲の良い兄弟なのだから。

 大きな宴で、酒には強い兄者も次々に勝負を挑まれて流石に酔いが回ったらしい。「おとうと〜」と抱きついてくる姿は愛らしいが呼気が臭う。
「膝丸だ、兄者」
 三人目の勝負に打ち勝ってなお次の挑戦者が途切れそうもない様子を見て、自分の酒を控えたのは正解だった。一度開きになった場にまだ居座ろうとする酒乱どもから兄者を救い出し、先に退散した者たちから少し遅れをとって部屋を後にした。
 夏にはまだ早い季節の廊下は肌寒い。寝床に向かう左文字の短刀とすれ違い、手伝おうか? と声をかけられたが断った。物事にはどうしても向き不向きがある。それ以来他の者は見かけず、静かな夜を二人で歩いた。
「お前は本当にしっかり者だねえ。いい子いい子」
「ありがとう兄者。褒めてくれるのは嬉しいが、もう少し自分で歩いてくれ」
「歩いてるよほら〜」
「ああっ、わかった、そうだな、俺の肩に捕まってくれ」
 離れた途端によろける兄者を引き戻す。兄者がここまで酔うのも珍しい。
「おとうと」
「膝丸だ」
「お前はここにいるんだね」
「ああ、俺は兄者の弟だからな」
「……そうだね」
 嫌な予感がして、迂闊に次の言葉を紡げなかった。自分の身体がじわりと汗ばむ気配を感じる。二人とも黙り込んだまま、そうこうしているうちに、やっと自分たちの部屋へたどり着いた。

「肉を得た僕らが、今までの僕らよりいっとう曖昧な存在なんだよ。不思議だね」
 壁へ寄りかかりそのまま座り込んだ兄者が、不意に口を開いた。
「兄者?」
「おいで」
 ぽんぽんと畳を叩いた手に従って、兄者の隣に座る。兄者は俺の頭を抱えて、自分へ寄りかからせるようにした。俺は素直になされれるがまま、兄者の肩に頭を預けた。
「弟は確かにお前だったし、お前も確かに弟だ。一挙一動変わらない。それでもあの弟はお前とは違って、お前もあの弟ではなかったんだね。だけどどちらも可愛い僕の弟」
 泣きたくなるのは、兄者があまりに優しく、子をあやす様に頭を撫でるせいだ。
「お前は折れちゃだめだよ、膝丸」
 薄々勘づいてはいた。おそらく俺は、二振り目だ。主も他の刀たちもその話題には触れないようにしていたが、どうしても綻びは出るものだ。
「俺は……兄者の弟だ。折れることなど、あるものか」
「そっか」
 頭を撫でる手に力がこもった。
「やっぱりお前は、いい子だね」
 可愛い可愛い、僕のおとうと。兄者のつぶやきを聞きながら、俺はただ撫でられることしかできなかった。

 変わらぬ朝が来る。
「おはよう、ええっと……おとうと」
「おはよう兄者。膝丸だ」
 この朝が変わらず続けばいいと願っているのは、きっと俺だけではない。いや、間違いない。なぜなら兄者と俺は、本当に仲の良い兄弟なのだから。







在るために
180503 膝丸と髭切



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