金色の前髪と煙が風に流されている。黒いスーツを着た白人の男が一人。船も通らない運河は死んだように横たわっていた。対岸の倉庫に人影は無い。体重を預ける欄干は男の体温をゾンビのごとく吸いとっていく。一日中漂っている灰色の雲が、時間の感覚を狂わせた。男は腕時計を覗き込む。鈍く反射した銀色。その目は秒針を追っている。そのまま聞き耳を立てる。足元で小さな波が静かに岸へぶつかる。
 携帯電話が着信音を発した瞬間に、男の手がそれを黙らせた。
『見送りだ。次の指示は明日になる』
「了解」
 短く答えて通話を切る。舌打ちをひとつ、右手に持った携帯電話を胸ポケットに仕舞いながら、無意識に口元へ寄せる左手の動作が板についたのはいつの頃だったか。大げさに吐き出した煙が短い感傷を連れていった。
「お兄さん」
 男が横目で見やると、少女が立っていた。小柄で、褐色の肌に黒い癖毛が目に付く。
「私を買わない?」
「ガキを買う趣味はない」
 少女から関心を失った男はまた煙草を吸い、空いてしまった時間をどう過ごすか考え始めていた。
「失礼ね、もう十九よ」
 男はまた大きく煙を吐き出す。舌打ちはもちろん彼女の耳にも届いていた。
「十分ガキだ。しかも夜にはまだ早い」
「私が? それとも今日の時間が?」
 男は少女を一瞥する。彼女の服はそれなりによい仕立てであったようだが薄汚れ、髪は緩いウェーブが乱れてみすぼらしさに拍車をかけていた。
「……両方だな」
 彼女は肩をすくめて首を傾げる。黒い目でじっと男を見つめながら、挑発するように口角を上げていた。男は苦笑いで両手を上げる。
「わかった、買ってやろう」
「ありがとうございます、ミスター……あー、お名前を伺っても?」
 スカートの裾を持ち上げて仰々しい礼をしながら、気まずそうに尋ねる表情は子供らしさが残っていた。
「スペンサー」
「ミスタースペンサー。私はマリー。どうぞお見知りおきを。」
「よろしくレディ」
「あら、お上手ですこと」
 マリーがくすくすと笑う。スペンサーは小さく溜息をついて歩き出した。
「どちらへ向かうの? そっちは……」
「付いてくればわかる」
 マリーはその場で眉をしかめて、動き出せずにいた。しかしスペンサーは歩みを止めない。唇をきゅっと結び、こぶしを握る。石畳を蹴って、男の背中を追いかけた。



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