花に満たされたフラワウでも、病室は消毒液の匂いが漂っている。一人になるのは久しぶりだった。いや、この言い方はおかしいかもしれない。俺は一人だった。父さんが死んだ十三年前からずっと。旦那様はいたけれど、あれは上司であってそれ以外のなにでもない。上司として直接会うことも無かった。ジーンとロッタは見守る対象だ。俺は離れたところから、彼らの写真を撮り、行動を記録しレポートに書き起こす。孤独であるはずだった。しかしそれなのに、一人になるのは久しぶりだ、と思った。
 ジーンが最後の煙草を受け取ったことは上司から知らされた。撃たれた時点で予想はしていた。あいつはあれでいて、結構頑固なところがある。自分がバードンへ戻る頃には式典の段取りも決まっているのだろう。こんなことを言ったらジーンはまた難しい顔で怒るのかもしれないが、入院しているあいだ「つとめ」を果たせないことに気が気でなかった。国王様のためでも、クヴァルム院長や旦那様のためでもない、俺は俺のためにこのつとめを最後まで果たす必要がある。分かるか? ジーン。お前ならきっと分かってくれると思う。

「久しぶりだね、父さん」
 バードンに到着してまず墓地へ向かった。いい天気だ。偽名が刻まれた墓石は、花も無く寂しそうに佇んでいる。
「ちょっと立て込んでてさ。今年の視察は大変だったんだ。俺は元気だよ。つとめもしっかり果たしてる。ここ数日はちょっと休んじゃったけど……また明日から戻るよ。今度はジーンの大舞台だ。あいつならきっとうまくやるさ。なんてったって、俺たちの王子だからね」
 まだ冷たい風が流れていく。芝生と白い墓石がまっさらな青空に映えて、ここは綺麗な場所だった。
「俺は後悔なんて無い。未練も無い。葛藤も無い。父さんのせいなんかじゃない。父さんのお陰だ。やっぱりジーンは優しい奴だよ。もちろんロッタも。本当に……」
 本当に、こんな日に限って、雲ひとつ無い快晴だ。

 しばらく留守にしていた自宅は少し埃が溜まって澱んでいた。窓を開けて空気を入れ換える。眼下の通りを、少年とその父親らしき二人が手を繋いで歩いていた。幼い少年が、父親に向かって笑顔で話しかけている。コーヒーでも入れよう。
 チョコレートにはコーヒーが合う。父さんの真似をして、いつの間にか自分もブラックで飲むようになっていた。大人びていたわけではない。俺はずっと子供だった。四十年、随分大きな子供になってしまった。
 バードンに来て少しやつれた父さんの表情をよく覚えている。俺が買ってきたチョコレートを見て、くしゃりと皺の寄った目尻も。自分の命を捨ててでもジーンを守りたかったのは俺の意思だ。それは悪友を守ると同時に、父さんを守ることだから。それが俺を守ることだから。それでもお前はお前たちのために死ぬことを許してはくれない。お前たちの下僕ではなく、俺がただ俺として隣にいることを望んでくれるのだろう。

 冷たい雨など降っていない。殻の中で俺はたしかに一人だった。しかし孵化するには充分すぎるほど暖められた。空の飛び方が分からなければ、金色の鳥たちがきっと教えてくれる。お前たちだって、鳥籠に収まるつもりはない、そうだろう? ジーン。






孵化
171211 ニーノ



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