私はためらいました。そして、ためらったという事実に戸惑いました。ほんの少し前までは造作もなかった行動に対して、ためらいというものが生じるには何かしら原因があるはずです。私はその原因に、心当たりがありました。
 心がざわざわと騒がしいのです。まだ長袖の制服に蒸し暑さを覚えながら、進行方向の先に彼の後ろ姿を見つけました。これまでであればその背中目指して駆け出し、勢いも弱めず飛びついて、足音で気付いているにも関わらず「びっくりした、よ★」だなんて白を切る彼と戯れるのがお決まりでした。それなのにもう、今となっては足がすくんで走り出すこともできません。近づいていけたはずの背中がどんどん遠くなっていきます。分からないことを解明するのは得意です。仮説を立てて、実験して、検証する。でも分かっているのにどうすればいいのか分からないのは、ちょっと難しいです。
 難しいことは、調べてみれば解決すると思っていました。けれどどんな指南書のどこを読んでも納得のいく答えはありません。そもそも、彼の考えていることなんて目をつぶっていたって分かったはずでした。電波を受信する準備はばっちりです。どうしたんですか、まぐろくん、ぜんぜん電波が来ませんが。私のレーダーが使い物にならなくなってしまったというのならば、直さなくてはなりません。まぐろくんなら、きっと、簡単に……ああ、またまぐろくんです。そうです、実験でも指南書でも分からないことは、なんでもまぐろくんが教えてくれました。でもこの難問をまぐろくんに答えてもらうことは不可能です。はてさてどうしたことでしょう。……ちゃん……りんごちゃん……
「りんごちゃん?」
「え? まっ、まままぐろくん」
「驚かせちゃった、ね★」
「ど、どうしてここに」
「こんな日には、アイスでも食べようと、思って★」
 別の道を選んだはずでした。考え事をしながら歩いていた私はいつの間にかコンビニエンスストアの前に来ていて、水色のアイスを持ったまぐろくんがそこにいました。彼が寄り道してアイスを買っているところへ、追いついてしまったようです。
「たしかに、こんな日にはアイスでも食べたくなりますね」
「ひとくち食べる、かい?」
「あ――」
 いただきます、と手を伸ばしかけて、ひとくち齧られたアイスを見て私はどきりとしました。
「け、結構です」
「そう? でもりんごちゃん、顔が真っ赤だけど、大丈夫?」
「あっ暑いですからね! 私も自分の分を買ってきます!」

 逃げるように入ったコンビニの空調が火照った頬にひんやりと涼しさを運びます。その涼が私を落ち着かせるとともに、心なしか罪悪感を逆なでします。まぐろくんは何も悪いことをしていません。悪いのは私です。今まで知らなかった感情を持て余しているのです。
 兎にも角にも、まずはアイスです。宣言した手前、買わないわけにもいきません。なにより本当に食べたくなりました。冷菓の什器を眺めて品定めをします。アイスキャンディーの気分です。ソーダかレモンか……。まぐろくんはきっと、このソーダとあのチョコミントで迷ったのでしょう。やはりソーダが食べたくなりました。まぐろくんと同じですが、致し方ありません。まぐろくんはもうひとくち食べてありましたから。今までなら、何も考えずに食べかけをひとくち貰っていたことでしょう……考えるのはやめましょう。さあ、あんどうりんごよ、お会計を。

「おかえり★」
「ただいま戻りました」
「お、りんごちゃんもソーダ味だね★」
「ええ、やっぱり食べたくなって」
 コンビニの軒先で、しゃくしゃくとアイスキャンディーを食べていきます。「それにしても暑い、ね★」「そうですねえ……」考えれば考えるほど、分からなくなります。数々の指南書から得た教訓は、『自分に対して素直になる』とのことです。素直になればなるほど、私はどうすればよいのかわかりません。あんどうりんごはあんどうりんごです。ささきまぐろくんはささきまぐろくんです。あんどうりんごとささきまぐろくんは幼馴染です。それはとってもよいことです。なのに、この関係に対してもどかしさを覚えるのはなぜでしょう。それと同時に、この関係が変わってしまうことを考えると、胸がぎゅっと苦しくなります。
 私は今のように、ただぼんやりと二人でアイスキャンディーを食べるような時間が気に入っています。もしあんどうりんごとささきまぐろくんの関係が、『大切な幼馴染』とは違う別のなにかになってしまっても、きっと二人でこうしてぼんやりとした時間を過ごすことは出来るでしょう。でもきっと、『大切な幼馴染』としてぼんやりする時間は今しかないのです。中学生のあんどうりんごは、自分自身に賞味期限があることを自覚しています。中学生のささきまぐろくんにも賞味期限があるはずです。つまり、中学生で幼馴染のあんどうりんごとささきまぐろくんにも、きっと賞味期限があるのです。まだちゃんと食べられるものを、途中で捨ててしまうのはもったいないことです。そう考えている頭を、騒がしい心がせっつきます。まぐろくんはどう考えているのでしょう。まぐろくんは、この関係を続けたいと思っているのでしょうか。変えたいと思っているのでしょうか。それとも……。
 はたと、先程適当な返事をしてから、一言も発していないことに気付きました。
「はっ、すみません、考え事をしていました」
「気にしないで、ゆっくり食べて★」
「まぐろくんはいつも優しいですね」
「そうかな、ありがとう★」
 いつも通りのまぐろくんです。待っていることを、ほんとうに気にしていないのを私は知っています。いつも通りの事は分かるのです。やはり、どうしたらいいのか分からないことは、私自身ではどうすることもできません。あんどうりんごは匙を投げました。
「最近、まぐろくんの考えていることが分からないことがあります」
「そうなの?」
「はい、なんだか頭がこんがらがってしまって」
「りんごちゃんの頭がこんがらがっちゃうなんて、珍しいね★」
「ほんとうに、その通りです」
「でも、僕もたまに、りんごちゃんが何を考えているのか分からないときがあるよ★」
「ほんとうですか?」
「うん、分かることの方が多いけどね★ たとえば……りんごちゃんはさっき、アイスを選ぶときにソーダ味とレモン味で迷っただろうな、とか★」
「流石まぐろくん、ご名答です!」
「りんごちゃんも、僕が迷ったアイス、分かるでしょ?」
「おそらく、ソーダとチョコミントだったかと」
「正解★」
「……まぐろくんが分からないのは、どんなことですか?」
「うーん……」
 顎に手を当てて、まぐろくんが考え始めます。私はその隙に、アイスキャンディーの最後のひとかけらを口に含みました。なんの気なしに、ただの棒切れとなったそれを裏返して「あ」
「今まで知らなかったこと、かな★」
「へ?」
「りんごちゃんがなにを考えているのか、分からないこと★」
「なるほど……」
 今まで知らなかったこと。たしかに、この感情は今まで知らなかったものです。まぐろくんがこの感情を持っているのかどうかも、知らないこと、知らなかったことです。
「これは分かったことなんだけど」
「なんでしょう?」
「りんごちゃんが分からないことも、同じなんじゃないかな?」
「……やっぱり、まぐろくんにはお見通しですね」
「もちろん★」
 冷静になってみれば、当たり前のことです。私とまぐろくんがお互いに考えていることが分かるのは、いままでずっと一緒にいたので、経験則で分かることが多いためです。かつて幼い頃は、分からないことも多かったはずなのです。それが少し大人に近づいたことで、知らないことが現れただけなのです。だとすれば、ひとつずつ知っていけばよいのです。まぐろくんが一人で、私を置いて先に行ってしまうことはありません。これは、知っていることです。
「ときに、まぐろくん」
「なんだい、りんごちゃん?」
「今日の私は、ツイているようです。なんと、アイスキャンディーがもう一本もらえます」
「それは、とってもツイてるね★」
 次はレモン味のアイスキャンディーを食べましょう。まぐろくんにならひとくちだけ、あげないこともない……かもしれません。






足早に、夏
170601 あんどうとささき



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