水槽が逆さまになった。逆さまにしたのはあなただ。あなたは知らないだろうけれど。だぼだぼと水が落ちていく様を、私は確かに見たのだ。水をたっぷり被った私の足元はびちゃびちゃで、靴の中まで水浸しになったけれど気にしない。私は私が驚くぐらいに冷静だった。
 あなたのその白くてきれいな手が欲しかった。言ったところであなたは曖昧に微笑むだけだろうから言わないけれど。あるいは綺麗じゃないよ、とかそんなことを言うのかもしれない。それはもっと嫌だった。
 私はあなたの手が綺麗じゃないことを知っている。あなたの手がほんとうは白くもなんともないことだって知っている。どうせあなたは君の手の方が白いじゃない、とでも言うことさえ知っている。だから私はあなたが嫌いだ。あなたは水槽をひっくり返したことだって気付いていない。あなたはそこにある引き出しのことしか考えていない。
 引き出しの中身なんて知らないけれど、私はそれが分かる。私は引き出しの鍵をあなたが持っていることを知っている。私は私がその引き出しを開けることが出来ないということを知っている。あなたが水槽を逆さまにしたことに気付かないのと同じように、私は引き出しの中身を知ることが出来ない。
 かたん、と引き出しの閉まる音を私は確かに聞いた。あなたがそのきれいな手で引き出しに鍵をかけた。視線に気付いたあなたは振り返って、どうせなんでもないよ、とわらうのだろう。
 私はその右手に持った鍵を飲み込んで、まるごと水に溶けてしまいたいと、心の底から願っている。





あなたは知らない
120209



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