霧が濃かった。腕を伸ばせば手首から先が隠れてしまうほど濃い霧が、夜明け前の暗闇に立ち込めている。辺りを見回しても、真っ白でなにも見えない。私はただまっすぐに歩いていた。どうして歩いているのかは分からなかったが、それが間違いではないと、なぜか私は確信していた。
 もうどれほど歩いたのか、歩けばいいのか、わからない。ただ歩けばいい。それしかわからない。私はなんておそろしいことだ、と認識した。思ってはいない。私はきっとおそろしい状況にあるのだろう、と認識しただけで、ほんとうにおそろしいとは思っていない。なぜなら私は確信している。この先になにがあるのか、この後ろになにがあったのか、私は知らない。今の私にそれらは必要無い。今の私にはただ歩くこと、それが、正義だ。
 白い霧の向こうが微かに揺れた気がした。と思えば、白がぼやけて人の輪郭が現れた。私は立ち止まり、霧の中のそれとしばらく対峙していた。
 ふいに白い線がこちらに伸びる。霧から抜け出した白い右手が私の頬に触れる。その手は霧のように冷たい。ぼんやりと現れた、彼女の眠っているように穏やかな顔はとてもきれいだった。
「あなたはきれいね」
 素直に思ったままを口にした。一瞬彼女の動きが止まってから、左手が私の右頬に触れた。
 途端に光が差した。朝日だ。近づいてくる彼女の表情がよく見える。うっすらと開いた目の端から涙が流れていた。朝日に照らされた彼女は、私に触れている指先から昇華して、霧に溶けていった。頬にひんやりとした感覚だけが残っている。
 朝の日差しは暖かい。霧が立ち込めるこの場所は、とても寒かったのだと改めて気付かされる。この霧もしばらくすれば朝日に溶けてしまうのだろう。私は初めておそろしい、と思った。もしかしたら、泣いていたのは私の方だったかもしれない。





夜の告発者
110927



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