水槽に黒い水が貯まっていた。小さなテーブルの上に乗せられた水槽。俺は飾り気の無い木製の椅子に座って、それを正面から眺めている。青い間接照明がコンクリートの壁にやんわりと光を投げかけている。
 女が水槽の横で、バケツに手を突っ込んで中身をかき混ぜている。女の回りには白いラベルの貼られた、銀色のチューブがたくさん転がっている。そのほとんどは中身を絞り取られて不格好に潰されていたが。バケツの中の液体が、時折ちゃぷちゃぷと音をたてる。
 女がバケツを持って立ち上がった。直角に曲げられた腕を伝って、肘から白い水がぽたぽたとコンクリートの床に落ちる。水は青い光を反射している。女は水槽を挟んで俺と向かい合うように立ち、ゆっくりとバケツを傾けた。白い水が黒い水と混じる。水槽の中でゆるやかな渦を巻いて、白い煙が広がっていく。水槽はすぐ満杯になり、溢れ出た水がびちゃびちゃとコンクリートの上に落ちる。こぼれた水は間接照明の光を吸収して一様に青かった。
 女はバケツを床に置き、今度は水槽をかき混ぜ始めた。白と黒が混ざりあうと透明になるらしい。薄暗い部屋の中、弱く青い光を受けてぼんやりと浮かび上がる水槽。水面がのらりのらりと波打って、水槽に戻りきらなかった水はびちゃ、びちゃ、とまたコンクリートに投げ出されていた。
 透明になった水の中にそれが居た。それはじっとこちらを見ている。
「美しいだろう」
 それが言った。
「これはなんだ?」
 俺は女に尋ねた。
「芸術作品さ」
 女の代わりにそれが答える。それはにたにたと笑っていた。
「そうだな」
 俺は立ち上がり、座っていた椅子を持ち上げた。
「吐き気がするほど醜い」
 水槽に近づいて、頭の上まで持ち上げた木製の椅子を、力一杯に振り下ろす。水槽が重く眩しい音を立てて割れた。
 ガラスと水が散らばる。水槽の底面だったガラスに残った水滴をよく見れば、それは透明でなく青い水だった。青い光を反射しているのではなく、水そのものが青かったのだ。
 女は物を言わなくなったそれを水槽だったガラスの物体から取り出した。それを腕に抱きかかえて、異国の言葉でなにかを歌い始める。まるで赤子をあやすかのように。さしずめ歌っているのは子守唄だろうか。女の頬に一筋の赤。ガラスの破片が飛んだらしい。
 俺は椅子を投げ捨てると女に背を向けた。背後だった正面の壁にひっそりと存在するドアノブに手をかける。半時計回りにノブを捻って、前に力を加える。外の空気を吸う前に、俺は背後からの凄まじい圧力に屈して倒れた。ドアが壁に勢いよく叩きつけられる音がくぐもって聞こえる。声が出せない。頬がちり、と痛んだ。





破水
110921



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