二コールは不思議に思った。
何故一介の町娘である自分が、大層立派で裕福だと噂されているオーキッド伯爵の邸宅に招かれているのか。何故彼と晩餐を共にしているのか。
「お口に合いませんか、二コール」
はた、と疑問に思い手を止めると、向かいに座るオーキッド伯爵に声をかけられる。
「いえ、滅相もございません」
「それはよかった」
着席しているのはオーキッド伯爵とニコールの二人だけである。目の前には色鮮やかな料理たちがたくさん並べられていた。とても二人では食べきれない量の料理たちが。
祖父の墓参りに行っていたはずが、気付いた時にはもうテーブルの前に座らされていた。自分の向かいに座っていた見知らぬ紳士に名を尋ねれば、彼はかの有名なオーキッド伯爵であると答えた。オーキッド伯爵といえば、町の外れの高台に鎮座するそれはそれは大きな館の主であり、また一度として町に姿を現したことが無い、謎めいた紳士として知られていた。何故自分がここに居るのかと問えば、そんなことは気にせず晩餐を楽しみましょう、とはぐらかされてしまった。しかし不思議なことに、彼にそう言われると先ほどまでは全く感じていなかった空腹が突然押し寄せ、自然にナイフとフォークを手に取っていた。
「一切のことは気にせず、どうぞお気の済むまで召し上がってくださいね」
「はい、オーキッド様」
そう言われてニコールは再び料理たちに視線を戻す。全ての肉が、魚が、野菜が、果実が、私を食べて! と言わんばかりにこちらを見つめている。艶やかなワインが、さあ早く、と彼女を促す。色とりどりの熱い熱い眼差しがニコールに向けられている。ニコールはごくり、と唾を飲んだ。そしてそれらの視線に応えるように、次から次へと料理に手を付けていく。オーキッド伯爵の視線など、食材たちの艶かしい誘惑にかどわかされているニコールには一切気にならなかった。
「そう、どんどんお食べなさい、ニコール」

こんなに沢山、と思っていた料理たちは瞬く間にニコールの腹の中に納まってしまった。ニコールの前には汚れた皿が何枚も並んでいるばかりである。彼女は両手にナイフとフォークを持ったままもう一度テーブルを見回す。
「どうしましたか、ニコール」
その声に顔を上げると、全く手の付けられていない料理の向こうで穏やかに笑うオーキッド伯爵の姿があった。しかし彼女の視線はオーキッド伯爵の姿を捉えていない。彼の前に広がっている色鮮やかな誘惑。自己主張の激しいでっぷりとした肉の塊、一思いに食べてくれと訴える魚の虚ろな目、胃もたれをしないよう爽やかな緑を食卓に添えている野菜たち、よく熟れた果実は煌びやかな甘い色彩を振り撒いて彼女を誘い、真っ赤なワインが早くこのボトルから解放してくれと懇願している。
「どうしましたか、ニコール」
オーキッド伯爵が同じ言葉を繰り返す。しかしニコールは彼を見ない。彼女の熱い視線が彼に向くことはない。
「ニコール」
三度呼ばれてようやくニコールは顔を上げる。焦点の合っていない彼女の目を見てオーキッド伯爵は優しく微笑んだ。そしておもむろに席を立つと、ゆっくりとニコールに歩み寄ってきた。
「どうぞ」
ニコールはぼんやりと、差し出された手を見つめる。さあ、と促されてようやくその手を取る。オーキッド伯爵に支えられながらふらふらと歩いていくと、誘導されたのは先ほどまでオーキッド伯爵が座っていた椅子であった。
「さあニコール、お食べなさい」
オーキッド伯爵がニコールの耳元で囁くと、彼女は大きく目を見開き手元の料理に食らいついた。彼女の両手にナイフとフォークは無い。手掴みで、獣のように食材を胃へ放り込んでいく。
やがてオーキッド伯爵の為に用意された料理も全て平らげると、ニコールはまた焦点の合っていない目でオーキッド伯爵に縋り付いた。
「足りません、いくら食べても足りません、まだまだ食べ足りないのです」
「おや、それは困りましたね」
「はい、オーキッド様、もっと、もっと食べ物を私にお恵みください!」
金切り声でニコールは叫んだ。
「残念ながら、これ以上貴女に料理をお出しすることは出来ない」
オーキッド伯爵は落ち着いた声で彼女をなだめる。
「そんな・・・」
ニコールの手がわなわなと震えていた。その手を握って、オーキッド伯爵は言葉を続ける。
「しかし、貴女をその満たされることの無い飢えから解放してやることは出来ます」
は、と顔を上げたニコールの目が揺らぐ。
「本当ですか? どうか、どうかお救いください、オーキッド様!」
「ええ、簡単なことです。食べても食べても満たされないのなら、逆のことをすればよいのです」
「逆のこと?」
「そうです、逆のことです」
柔らかく微笑むオーキッド伯爵を見て、ニコールはぱち、と瞬きをした。
「・・・どういう意味でしょうか?」
「そのままの意味ですよ、ニコール」
ニコールは目を伏せて考える。オーキッド伯爵は、そんな彼女の顎に手を添え、困惑した目を自分の方へ向けさせた。
「ニコール、貴女は自分がこの館に招かれた理由をご存知ですか?」
「いいえ、わかりません。オーキッド様」
顎に添えられた手が彼女の頬を滑り、少し潤んだ目元へと移動した。
「貴女の目です。貴女の美しく、穢れの無い綺麗な目」
「何故、目なのですか?」
「目が一番、なのですよ。ニコール」
オーキッド伯爵がニコールの目元を優しく撫でる。ニコールの目はまだ揺れていた。
「かつて、とある女と晩餐を共にしたことがあります。今日のように、彼女と私の二人きりでした。その日は私もしっかり料理を食べていたのですがね、彼女は私以上に、それはそれは沢山食べていましたよ。ですが、丁度私がメインディッシュに手を付けようとしたその時です。彼女はなんて言ったと思います? 私に向かって、『この忌まわしきベルゼブブ!』と叫んだのです。散々食べ散らかしておいて、ベルゼブブはどちらだか。それにあんな悪魔と同類にされるなんて心外です。私の行いはずっと崇高なのです。そしてそれは彼女が、貴女が、自ら望んだことなのですよ。ニコール」
オーキッド伯爵が紳士とは思えないような卑しい笑みを浮かべて舌嘗めずりをした。それを見たニコールは、ようやく先の言葉の意味を理解する。
「ああニコール、そんなに怯えないで。私は憧れているのです。貴女のような、美しく可憐な娘に。穢れを知らないその瞳に。憧れているものを手に入れたいと考えるのは当然のことでしょう?」

「可愛いニコール。たまには前菜もスープも飛び越して、いきなりメインディッシュを食べたって神も目を瞑って下さると思いませんか?」





ベルゼブブの晩餐会
110718




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