「すみません、今なんと?」

名無しは今しがた口に含んだばかりの団子の串を口元に当てたまま呆けた顔で五条にたずねた。五条は「だから」と、ごまダレで黒く汚れている名無しの口元を指で拭いながら、もう一度口を開いた。

「これから結婚式挙げるよって」

もう一度同じことを五条に言ってもらったが、名無しの脳内は混乱したままだった・・・・。五条が親指についたごまダレを口に運んで「これおいしいね」とのんきに言ったが、その姿さえ名無しは呆けた顔で眺めていた。

「・・・・っは!すみません、少々意識がどこかに行ってました。えっと、確認ですが、どなたが?」
「僕と名無しだけど」

なんとなくそうなのではないかと気づいてはいたが、勘違いということもあるだろう。と名無しは念のために確認したが、やはり自分と五条の結婚式で間違いないなかった。驚きのあまり名無しは口を半開きにしたまま目を見開いたが、そんな名無しの顔を五条は不思議そうに首を傾げながら見た。

「ねぇ、反応薄すぎじゃない?普通、五条悟と結婚するって聞いたら全人類泣いて喜ぶと思うんだけど」
「すみません。あまりにも突然だったので驚きの方が大きくて」

たしかに五条の言う通り、(性格以外)完璧人間の五条悟と結婚できると知れば世の中に存在する全ての女性は泣いて喜ぶだろう。しかし、あまりにも突然すぎるし、何よりそんな重要なことを何故このタイミングで言ったのだろう。と名無しは思った。

五条はいつも突然姿を現して突拍子もないことを言ったりしたりするから、彼に振り回されるのには慣れていると名無しは思っていたが、さすがにこれは驚いた。
今朝、滝行を終えて部屋に戻ってきた名無しの元に五条が突然現れ「たまには少し遠くに美味しいものを食べに行こう」と半ば強引に名無しを誘い、あれよあれよという間に新幹線に乗せられ数県離れた土地に連れ出した。そして、到着してすぐに訪れた商店街で食べ歩きをしている最中に何の前触れもなく先程の件を伝えてきたのだ。
しかし、婚約者になる時に今後五条と結婚するかどうかも自分で決めていい。と言われていた名無しは五条の話しを聞いて、やはり動揺を隠しきれずにいた。それに、結婚式を挙げるにしても一つ問題がある。

「悟さん、結婚式を挙げるにしても私まだ16歳になってませんが」

法律上、女性は16歳にならないと結婚することができない。現在、15歳の名無しはこの問題があるから結婚式を挙げるのは無理だ。と五条に伝えた。

「大丈夫。結婚式を挙げるって言っても、籍を入れるわけじゃなくて、形式上、『挙げる』だけだから」
「えっ?どういうことですか?」

形式上挙げる?と、名無しはますます意味がわからなくなり首を傾げた時、「いたー!五条さんやっと見つけました!」と遠くの方からこちらに向かってくるスーツを着た男性が走ってきた。

「おっそ。補助監督のくせにめちゃくちゃ遅刻してんじゃん」
「誰のせいだと思ってるんですか?!駅前で待っててください。って言ったじゃないですか!」
「だって、駅近くに甘い物食べ歩きできる商店街があるって観光パンフレットに書いてあったから」
「じゃあ、せめて行くって連絡してください!めちゃくちゃ探したんですよ?!」

呆れたような表情で五条と話している補助監督の男性は目を細めて五条を睨みつけた。

「で、準備とかもうできてんの?」
「はい。ちゃんと事前に伊地知さんから指示をもらったので準備は完了してます」
「なんか新しい情報はわかった?」
「いえ、あの事件以降新しい情報は入ってきてません」
「そう」
「あ、あの!事件って何のことですか?」

五条と補助監督がどんどん話を進めていくが、一人だけ話についていけていない名無しは2人に説明を求めた。そんな名無しのことを「えっ?」と驚いた様子で見た補助監督は、「もしかして・・・・」と怪訝な顔を五条に向けた。

「何の説明もせずに彼女を連れてきたんですか?」
「うん、そうだよ」
「はぁ?!五条さん、貴方はなんでいつもそういうことを・・・・」
「なんでってその方が面白いからに決まってるじゃん」

呆れたようにおでこに手を当てる補助監督に五条は何の悪びれた様子も見せずに伝えた。一人状況が全く理解できていない名無しはそんな2人のことを交互に見つめると、補助監督の男性は、はぁ・・・・と一つため息をついたあと、「僕から説明しますね。とりあえず、車に乗ってください」と言い、五条と名無しを車に乗せた後、先程の話を続けた。

補助監督の小山原から説明された話はこうだ―

先月この街に新しくできた結婚式場で結婚式を挙げた夫婦が翌日亡くなる事件が1ヶ月の間に3件起きた。3件とも夫婦が全く同じ状況で死んでおり、奥さんは首を切断され、旦那さんは左手の指を全て切断されてその後失血死で亡くなっている。現場からは呪霊の残穢が確認されていることから、それが呪霊の仕業であるということはわかっている。しかし、この結婚式場ではこの3組の夫婦以外にも何組もの夫婦が結婚式を挙げているが、他の夫婦は無傷だという。そのことから、呪霊の発生には何か条件があると考え、呪霊に襲われた夫婦の共通点を探したが、住所も年齢も経歴もバラバラで同じ式場で結婚式を挙げたこと以外共通点は見つからなかった。不明点が多いことからどんな状況でも対応できるように。と五条がこの任務をまかされたというわけだ。小山原からの説明を聞いた名無しは自分が何故ここに連れてこられたのか。何故五条と結婚式を挙げることになったのか。そして、形式上『挙げる』という言葉の意味をようやく理解することができた。

「亡くなったご夫婦にしかない共通点って他に見つかってないんですよね?」
「はい、泊まっていたホテルも違う所で、式の形式も和と洋でバラバラですし、今のところは見つかってないですね」

その結婚式場で結婚式を挙げた夫婦はたくさんいるのに何故その中の3組だけが呪霊に襲われたのだろう。誰もが疑問に思うことだが、窓や高専関係者が調査を行ってもその共通点は見つけられなかった。

「まぁ、わからないなら行ってみるしかないでしょ。案外すぐに引きずり出せるかもしれないし」
「そうですね。今日とりあえずお二人にはこの後結婚式を挙げてもらいます。唯一の共通点はそれしかないですし、それで出てこなければ違う手を考えます」
「わかりました」

街中から車を走らせて30分の距離にある結婚式場を見た名無しは「わぁ・・・・」と感嘆の声をあげた。

「す、すごい綺麗です!」

キラキラとした表情で建物を見つめて小さく拍手している名無しを横目で見た五条は「そりゃそういう反応になるか。今まで地味な建物しか見たことないもんね」と言って納得した。この歳まで田舎から出たことがなかった名無しは大きい建物といえば、毎年訪れている加茂家所有の屋敷か今住んでいる呪術高専しか見たことがなかったため、初めて見る洋式の煌びやかな建物を見て、まるで絵本の中の世界みたい!と一人はしゃいでいた。

「変な所に建ってるな」
「そうですね。ここの土地は所有者の希望で長年立ち入り禁止だったみたいですよ。でも、会社の経営が傾いたとかでお金が必要になって一昨年この土地を売りに出して、そこに結婚式場ができたみたいです」
「へぇ」

出島のように周りを海で囲まれている人工的にできたような土地を見て五条は「なるほどね」と一人納得したように呟いた。

「何かわかったんですか?」

五条の呟きを拾った小山原は早速五条が何かわかったのかと思ったが、五条は「さぁね」と一言だけ言ってさっさと式場の中に入っていった。
五条たちの姿を見たこの結婚式場の社長はすぐに泣き縋るように飛びついてきた。ここの結婚式場で式を挙げた夫婦が数組亡くなっているという情報がネットで広まり、式の予定が次々にキャンセルされて困っていると心底困ったように話す社長の話を「はいはいはい」と五条は受け流して建物の中をチラっと見渡したが呪霊の気配を微かに感じるものの、呪霊の姿は確認できなかった。

「やっぱり顕現させるためには条件を満たさなきゃいけないか」
「じゃあ、予定通り式を挙げるしかなさそうですね」
「そうだね」
「準備は済んでおりますので、いつでもご案内できますよ」
「はい。おふたりをお願いします」

小山原は、片手で五条を指さし、もう片方の手で建物の中に入ってからも終始「わぁ・・・」と感嘆の声をあげながらせわしなく視線を動かし続けている名無しを指さした。

あっという間に着替えを終えた五条が新郎の控え室から目隠しをはずしてサングラスをかけ、真っ白なタキシードを着た姿で出てくると、女性スタッフは皆目が釘付けになり、あまりのかっこよさに卒倒しかけていた。そんな女性たちの様子を見ても当たり前の反応だ。と言わんばかりにまったく動じていない五条は近くにいる小山原に「名無しは?」と聞いた。

「まだ準備中ですよ」
「ドレス着るだけなのに何に時間かかってるんだか」
「女性の方が支度に時間がかかるのは当たり前なんですから大人しく待っててくださいよ」
「はいはい」

小山原から待つように言われた五条は、近くの壁にもたれかかって窓の外を見ていると、「あ、あの!」と頬を赤らめた女性スタッフに声をかけられた。

「ん?なに」
「よろしければお写真を撮らせていただけませんか?」
「あー、記念に一緒にってこと?まぁ、こんなグッドルッキングガイが目の前にいればそうなるよね」
「あ、そうではなく、実際にここの式場で結婚式を挙げられた方の写真をウェディングレポートとして公式のホームページに掲載させていただきたくて」
「え〜、それなら他の人達の使えばいいでしょ」

自分のようなとてつもないイケメンと出会った記念に一緒に写真を撮りたいのかと思っていたが、宣伝として写真を使いたいと言われ、それなら自分じゃなくても他の人で事足りるだろ。と断った。しかし・・・・

「それが、亡くなられたご夫婦に掲載する写真の撮影をお願いしていたのですが、使うことができなくなってしまったので・・・・・」
「へぇ。それって亡くなった夫婦の内の一組?」
「いえ、3組のご夫婦全員です。3組共美男美女のご夫婦で、特に旦那さんがすごくイケメンで写真映えしていたので、掲載できなくなってしまい残念です」
「へー、亡くなられたご夫婦って美男美女だったんですね」
「はい。それはもうモデルさんみたいにお綺麗でパンフレットにも掲載させていただく予定だったので本当に残念で」

小山原は亡くなった夫婦が美男美女という情報を聞いて、何度も見た死体の写真を思い出したが、女性は失血死しているため顔色が悪く、旦那も首が切り落とされているため、全くそんな情報はわからなかった。ただの世間話のようなその話を聞いて小山原はただ相槌をうっているだけだったが、五条は何か考えるように顎に手を当てていた。その様子を見て、小山原が五条に声をかけようとした瞬間・・・・「皆様お待たせしました。新婦様の準備ができました」と新婦の控え室から女性スタッフが出てきた。

「ちょっと名無しいつまで待たせる・・・・」

待たされたことに対して小言の一つでも言おうと口を開いた五条だったが、控え室からおずおずと出てきた名無しの姿を見て言葉を失った。

「お、お待たせいたしました」

部屋から出てきた名無しが五条たちに深々と頭を下げたあとに五条と目を合わせると五条はサングラスの奥で一瞬目を大きく見開いた。

「あの、へ、へ、変じゃないでしょうか?」

不安気に五条に問いかける名無しを見て五条はすぐに冷静を取り戻した。

「・・・・馬子にも衣装って感じだね」
「それならよかったです」
「いや、それ褒められてないですよ」

五条の言葉を聞いて安心したように両手を胸を当てた名無しは大きく息を吐いた。普段全くしなれていない化粧や、初めて着る華やかな真っ白のウェディングドレスが自分に似合うとはどうしても思えなくて名無しはずっと不安だったため、全く褒め言葉ではない五条の言葉ですら気持ちを軽くするには十分だった。

「では、式場へご案内しますね」
「はい!」

先に前を歩くスタッフさんの後を追おうと足を動かした名無しは、早速、自分の足を隠すほどの長さがあるドレスの裾を踏み盛大に前に倒れた。後ろでドレスの裾を持ち上げていたスタッフさんが驚きの声をあげる中、スローモーションのように前に倒れる名無しはこのままではドレスを汚してしまうと思ったが、両サイドのドレスの裾を持ち上げるために両手を使っているため、倒れる自分の体を支えることができなかった。このまま倒れるしかない。と覚悟を決めて目をつぶったが、その時・・・「絶対転ぶと思ったけどまさか一歩目でやるとは思わなかったよ」と言いながら、五条は倒れかけていた名無しを抱きとめた。

「す、すみません」
「せっかくのドレスが汚れなくてよかったね」
「はい、悟さんのおかげで助かりました」

名無しは五条に感謝の言葉を口にしながら、いつまでも五条に抱きついているわけにはいかない。と体を離そうとしたが、ぐい。っと少し強い力でもう一度抱きしめられた。

「悟さん?」

一体どうしたのだろう?と名無しが顔をあげようとした瞬間、耳元に五条の顔が近づいた。そして・・・・

「綺麗だよ」
「えっ?」

名無しを支えながら五条がささやくように言った言葉を聞いた名無しは聞き間違えか空耳かと思い慌てて五条を見つめたが、五条は、ぱっと名無しから手を離し、「ほら、早く行くよ」と先をスタスタ歩いて行ってしまった。今のは私の聞き間違えだよね?でも、本当は何て言ったんだろう?と名無しは頭を悩ませながら五条の後を追った。

形式上『挙げる』だけと言っても式としての一連の流れはやることになり、名無しはバージンロードを歩くことになった。片手で持てるサイズの花束を手にした名無しは3人の女性スタッフにドレスの裾を持ってもらったが、初めて履くヒールに苦戦し、10mのバージンロードを歩ききるのに5分以上かかった。やっとの思いで祭壇の前にいる五条の元に辿り着いた名無しは、ランニングでもしてきたのか?と聞きたくなるほど死にそうな顔で息絶え絶えだった。そんな名無しの様子を見て五条は、ははっと声を出して笑った。

「新郎五条悟、あなたはここにいる名無し名無しを、病める時も、健やかなる時も、妻として愛し、敬い、慈しむ事を誓いますか?」
「あぁ・・・、まぁ、うん、そうだね」
「五条さん、ちゃんと『誓います!』って言ってください!」
「はいはい。誓います誓います」

心底めんどくさそうに返事をする五条に近くにいた小山原が注意すると、五条は適当に返事をした。

「新婦名無し名無し、あなたはここにいる五条悟を、病める時も、健やかなる時も、夫として愛し、敬い、慈しむ事を誓いますか?」
「えっ、あの、えっと、おばあちゃんに確認してからでもいいですか?」
「名無しさん、そこは即答で『誓います!』でお願いします!」
「あ、はい!ち、誓います!」

慌てたように誓いますと口にした名無しの言葉を聞いて、小山原は、はぁ・・・・と大きく息を吐いた。

「では、指輪の交換を」
「えっ?さ、悟さん、私指輪の準備なんてしていないのですがどうしましょう?」

神父の言葉を聞いた名無しは指輪がない!と慌てふためいたが、五条は「ちゃんと準備してあるから大丈夫だよ」と言って、ポケットから箱を取り出した。

「え、いつの間に買ったんですか?」
「商店街で名無しが美味しそうに饅頭を頬張ってる間に」

五条は商店街で名無しが幸せそうに店内で饅頭を食べている間に指輪を買いに行っていた。食べ物に夢中で五条がその場からいなくなっていたことにも気づいていなかった名無しは、えっ?!と、驚きの声をあげた。

「婚約指輪は給料3ヶ月分とかってよく聞くけど、結婚指輪はどうとかって知らないし、そもそも僕の給料3か月分の指輪なんてそこら辺の店に売ってるわけがないから、とりあえず店で一番高い指輪買ってきた」

そう言って五条が持っている箱から大きなダイヤがついた指輪が2個出てきた。五条の給料がいくらかなんて当然名無しは知らないが、その店で一番高い指輪と聞き口を開けたまま固まった。

「ほら、左手出して」
「は、はい!」

名無しは慌てて左手のグローブを取って五条に手を差し出した。買ってもらったはいいが、指輪が入らなかったらどうしよう。と名無しは内心ドキドキしていたが、そんな心配は不要だといわんばかりに、指輪はぴったりと名無しの指におさまった。そのことに安心していると、今度は五条が名無しに左手を差し出した。

「ほら、早くはめてよ」

指輪の入った箱も一緒に差し出された名無しは震える手で指輪を箱からはずし、両手を大事に掴んだ指輪を慎重に五条の指に近づけていった。

「何してるのさ。さっさとはめてよ」
「そ、そうは言っても・・・・緊張して・・・・上手く・・・・はめられないです・・・・」

ぐぬぬ。と効果音が付きそうなほど真剣な表情で、名無しは五条の薬指の前に顔を近づけてゆっくり指を通していったが、遅すぎて待ちきれなかった五条はそのまま指を前に動かし自ら指輪をはめた。無事五条の指にはまった指輪を見て名無しは安堵のため息をついた。これで大仕事は終わりだ。と名無しが胸を撫で下ろしていると、神父が「では」と言葉を続けた。

「誓いのキスを」
「・・・・・・えっ?!」

名無しは思わず神父の方にぐんっ!と勢いよく顔を向けた。今なんと?と、神父の顔を凝視していると、「ほら、名無し、こっち向いて」と目の前にいる五条に両肩を掴まれた。

「あの、悟さん、キスってフリですよね?本当にしないですよね?」

顔の前にかかっているベールを五条があげる中、名無しは慌てた様子で五条に問いかけたが、五条は何も返事をしなかった。

「目、閉じて」
「えっ?悟さん、あのっ!」
「いいから」

催促された名無しは言われるがまま目を閉じて顔を少し上に向けた。緊張からか自分の体が震えているのがわかった。顔も熱く、まるで自分の体が心臓になったのではないかと思うぐらい、バクバクと心臓の音が聞えてきた。次に起こることを覚悟した名無しはぎゅっと目を閉じた。しかし・・・・ちゅっ。と音がした場所は、思っていた場所とは別の場所だった。

「へっ?」

名無しは思わず目を開いて目の前にいる五条の顔を見つめると、五条はにやっと意地悪い顔で笑った。

「期待した?」
「へっ?!い、いえ、していないです!」

さっきよりも顔を真っ赤に染めた名無しは慌て首を振り、五条の唇が当たったおでこを両手で押さえた。緊張で冷えた手で触ったせいか押さえた箇所がやけに熱く感じた。



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