名無しは、いつか神様についている瘴気を全て浄化し、元々住んでいた神社に土地神として帰すため、日々できることを探して実践する毎日を送っている。その中の一つに滝行があり、名無しは毎朝高専の敷地内にある滝で滝行を行っている。神道では禊の神事である滝行は穢れを清める効果があり、名無し自身の身を清めることで神様が取り憑ける清い体を維持し、それと同時に通力に変換するために必要な呪力を効率よく神様に供給することもできる。
滝行の他にも、名無しは毎朝早く起きて祖母直伝のおはぎを作り、部屋に作られた簡易的な社にお供えしている。お供えは神様に対する信仰心を表し、神様の神性を高める効果がある。土地神に戻すためには今よりも高い神性が必要なため、一度邪神になってしまった神様を神聖な存在に戻すために行っている。唯一、高専の1年生の中で顔見知りの真希がよく「これ供えとけ」と任務先の近くで買ったお菓子を持ってきて名無しに渡している。
最初は、名無しが名無し家の人間ということもあり、初めて顔を合わせた時こそ真希は嫌な顔をしていたが、元々姉御肌の彼女は名無しの『不幸』を日々見続けた結果、自然と面倒を見てあげるようになった。たまに寮の外にある自動販売機に飲み物買ってこい。と、パシったりすることはあるものの、それ以外はとても優しく名無しに接している。真希以外の学生もよく高専内で見かけてはいるが、人見知りである名無しは知らない人の人影を見かけるとすぐに逃げたり隠れたしている為、普段接している高専関係者以外の人間とはほとんど会話をしたことがなかった。


「毎日朝早くからすみません」
「いいんです、気にしないでください。名無しさんに合わせて早起きするようになってからなんだか体の調子が良くて私も気分がいいです」


毎朝恒例の滝行を終えた名無しは隣を歩く『星名』という名前の補助監督の女性に朝早くから自分の予定に付き合わせてしまったことを謝罪したが、彼女は首を横に振ってその言葉を否定した。ある日を境に彼女を滝行に付き合せてしまうことになった名無しは毎朝のように謝罪を繰り返しているが、その度に星名は笑顔で大丈夫だ。と名無しに伝えた。
滝行自体は名無しが高専で保護されるようになってからすぐにやり始めたのだが、それから3ヶ月経ったある日事件が起きた。名無しの滝行を覗く人物が現れたのだ。犯人は高専の3年生の生徒だった。森の中に置き忘れてしまった呪具を取りに行った時にたまたま見かけたのをきっかけに定期的に覗きに来ていた。と自白した。滝行の際は、薄い生地の行衣1枚しか着ておらず、岩陰に隠れてではあるがその場で濡れた衣服を着替えるため、思春期の男子にとっては自分の欲を満たすのに打ってつけだった。それをある日、雨の日でも滝行を行っている名無しを心配した五条が傘を持って滝に来た時に発見し、現行犯で捕まえたのだ。名無しは、ただ見られただけだから。と何の罰も望まなかったが、学長を始め他の人たちはそれを許さず、その生徒は1ヶ月の停学処分になった。そして、その後1ヶ月の停学を終えたその生徒は、とある任務で死亡した。その時ですら、名無しは人一倍その生徒の死を悲しんでいた。
まさか高専内に覗き行う者がいるとは思っていなかったためそれまで覗きに対する対策を何も行っていなかったが、こういう事件が起きてしまった以上2度目がないとは保障できないため、名無しが滝行を行う際には外から見えないように滝の周りに帳を下ろすことになったのだ。そして、その役目を今年補助監督になったばかりの星名が担うことになった。最初は申し訳ない。と名無しは断っていたが、星名の底抜けに明るい性格のおかげですぐに受け入れるようになった。


「すみませんが、明日もよろしくお願いします」
「はい。では、また明日ここで」


星名と別れた名無しが女子寮に向かって歩いていると、いつもはその時間に人と会うことはないのに、寮の近くにある花壇に水やりをしている少年がいた。高専の制服を着ているのを見て生徒だということはすぐにわかった。花壇に綺麗な花が咲いているのは知っていたが、その花のお世話をしている人を見た事がなかった名無しは、いつもあそこで綺麗に咲いている花は彼がお世話をしてたのか。とこの時初めて知った。てっきり用務員さんが手入れをしているのだと思っていた名無しは花のお世話をしている人物がわかり少年のことを感心していた。
いつもは人影を見るとすぐに走って逃げたり隠れたりするが、感心するあまり思わずその人物のことをじっと見ていると、名無しの視線に気がついたのか、花に水をあげている制服の襟で口元が隠れている少年がじょうろを持ったままクルっと名無しの方を振り向き目があった。その瞬間、人見知りを爆発させた名無しは慌てたようにその場で右往左往し始めた。すると・・・・


「こんぶ」
「えっ?」


挙動不審の名無しに向かって水やりをしていた男の子が急に「こんぶ」と言ってきた。急に一体なんだろう・・・・。と、意味が理解できない名無しは驚きの声を口にして首を傾げた。あ、まずは挨拶をしないと。と、頭を下げて自己紹介をしようとした瞬間・・・・


「明太子、ツナマヨ」
「えっ?」


これは・・・・どういう意味だろう。と名無しは頭を悩ませたが、こんぶ、明太子、ツナマヨ。という単語を聞き、その3つの単語に共通して当てはまるものが、ぱっと頭に浮かんだ。


「もしかして、おにぎり・・・・ですか?」
「しゃけ」


しゃけ。と言いながら首を縦に振った少年を見て、名無しの頭に何かがぽわぽわっと浮かんできた。


「はっ!」


これはもしかしてあれではないだろうか!と何かに気づいた名無しの脳にある記憶が蘇っていた。
名無しが住んでいた村には中学校がなかった為、街の近くにあるマンモス校に通わなければいけなかった。それを面白が・・・・否、心配した五条が、これをちゃんと読んで中学校とはどういう所なのかを勉強した方がいい。と、小学6年生の名無しに『頂点(テッペン)目指す』(全12巻)という中学1年生の男の子が不良学校で1番の不良を目指して奮闘する青春ヤンキー漫画をプレゼントした。もちろん純粋な名無しはその漫画を読み、中学校とはこういう所なんだ。と完全に勘違いしたまま中学校に入学した。その記憶を思い出した名無しは漫画の中に描かれていたあるシーンを思い出し、もしかして、そういうことなのでは?!と、気がついた。


「先輩、少しだけ待っていてください!すぐに戻ってきます!」
「高菜?」


突然大きな声でここで待っていて。と言って女子寮の中に走り出した名無しの姿を少年はじょうろを持ったまま首を傾げて見ていた。名無しはすぐに自分の部屋に戻り、滝行の時に着ていた行衣と濡れた体を拭いたタオルを机の上に置いた。


「神様、少しお留守番しててください」


くまのぬいぐるみを手に取った名無しは、今まで自分の体に取り憑いていた神様にここに残るようお願いした。それを聞いた神様はすぐにくまのぬいぐるみを手に取り、わかった。という意思表示でぬいぐるみの首を縦に動かした。それを見た名無しは「いってきます」と一言伝え、机の上に置いていた財布を手に取った。


「いくら!」


女子寮から走って飛び出してきた名無しを見て少年は慌てたように声をかけたが、名無しは「りょ、了解しました!」と返事をして、高専の敷地外に向かって全力疾走した。ただでさえ人よりも足が遅いのに、行衣に着替えやすいから。という理由で着ていた白のワンピースの裾が足に絡まり余計に走りにくくした。高専に住むことになった時にここら辺は歩いてどこかへ行くのは大変だから。と五条が名無しにプレゼントした自転車の存在が名無しの頭に浮かんだが、それまで一度も自転車に乗ったことがなかった名無しはもちろん乗ることができず、両足をペダルに置いた瞬間に横に倒れて怪我をしたのを見てすぐに使用禁止命令が出された。ようやく高専の敷地外に出た名無しは急いで高専の一番近くにあるコンビニ向かって走った。





名無しにここで待っていて。と言われた少年は、律儀にじょうろを持ったままその場で名無しのことを待ち続けた。あれから30分経っただろうか。というタイミングで、息を切らしながら誰かが走ってくる音が聞こえ、花壇の縁に腰を下ろしていた少年は立ち上がった。


「お待たせしましたっ!」
「高菜?!」


ようやく戻ってきた名無しの姿を見た少年は驚きの声をあげながら見開いた。


「すじこ!いくら!?」


コンビニの袋を両腕に抱えた名無しの腕や膝からは血が流れていたのだ・・・・。慌てて名無しに駆け寄った少年は一体何があったんだ?!と、困惑した表情を名無しに向けたが、名無しは「すみません、いくらのおにぎりは置いてなくて・・・・」と少年の心配とはまったく関係のない返答をした。一体彼女は何の話をしてるんだ?と、困った表情のまま少年が首を傾げると、名無しは汗で顔に貼り付いていた髪を耳にかけて笑顔で少年に抱えていた袋を差し出した。


「途中で転んで袋は少し破けてしまったのですが、中身は無事です!」


そう言って少年の手に渡された袋の中にはたくさんのおにぎりが入っていた。それを見た少年は今まで名無しが何をしに行っていたのかをようやく理解した。
名無しは、少年が発したおにぎりの具の言葉を聞いて、こう思ったのだった。「これは、『焼きそばパン買ってこい』だ!」と。そう。先ほど名無しが思い出したのは漫画に描かれていた不良生徒が下級生に向かって「焼きそばパン買ってこい!」と命令したシーンだった。少年がおにぎりの具だけを自分に伝えてきたのを聞いて、名無しは完全にそれだ!と思い慌てて近くにあるコンビニに買いに走ったのだ。高専からコンビニまでの道は坂道になっており、走りながら上ったり下ったりしたため足がもつれて行きも帰りも盛大に転び腕も膝も血だらけの状態で帰ってきた。
自分のせいで勘違いをさせてこんな怪我まで負わせてしまったことに対して少年は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。擦りむいて血が出ている膝に白いワンピースの裾が張り付きジワジワと赤く染まっているのも目に入りその痛々しい光景に自然と眉間に皺が寄った。


「ごめんなさい。もしかして、買い忘れたものがありましたか?」


名無しは、少年が眉間に皺を寄せたのを見て、何か買い忘れたものがあったのでは?と慌てて質問したが、少年は首を横に振って「おかか」と答えた。


「あ、おかかのおにぎりは買ってあります」


少年に渡した袋の中からおかかのおにぎりを取り出して見せた名無しの手を見て少年はまた目を見開いた。


「高菜?!」


少年は思わずおにぎりを持っている名無しの手を掴んだ。さっきまでは気づいていなかったが、手にも擦り傷がいくつもありそこから血が出ていたのだ。


「え?これはおかかです」


名無しは自分の手に握られているおにぎりの袋におかかと書かれているのを見て首を傾げた。一人だけ状況が理解できていない名無しはずっと少年からおにぎりの話をされ続けていると勘違いしているため、もしかして、『おかか』とは高菜の隠語なのだろうか?と頭を悩ませていると、握られていた手を引っ張られた。


「へっ?」
「いくら」
「あ、すみません、いくらはコンビニに置いてなくて」
「おかか」


少年がまた首を横に振ったのを見て名無しはまた頭を悩ませた。もしかして、違うお店に行って買ってこい。という意味だろうか?駅前まで行けばいくらのおにぎりは見つかるかもしれない。と思い、「わかりました。お昼までには間に合うように買ってきます」と笑顔で答えると、少年はまた「おかか」と言って首を横に振った。その言葉を聞いて名無しが首を傾げたまま困惑した表情を見せると、少年は開いた口をそっと閉じた。そして、名無しの手を掴んだままどこかに向かって歩き始めた。


「あのっ!どこへ・・・・いたっ」
「っ!」


さっきまではアドレナリンが出ていたから痛みを感じていなかったが、今になって擦りむいた部分が痛いと感じるようになった名無しは痛みに顔を歪ませると、それを見た少年は自分が手を引いたせいかと思い、ぱっと掴んでいた手を離した。


「あ、すみません。手が痛かったわけではなくて、あの・・・・その・・・・」


掴まれて痛い。と文句を言ったわけではないことを名無しは一生懸命伝えようとしたが、どう伝えればいいのかがわからず混乱した。少年の気分を害してしまったらどうしよう。と、胸の前で不安げに両手を握り締めていると、少年はその手を優しく掴んだ。


「へっ?」


名無しが戸惑いながら少年の顔を見つめると、少年は優しい笑みを浮かべていた。制服で口元が隠れているがそれでもわかるほどの綺麗な笑顔を見て、名無しの気持ちは不思議と安らいだ。


「ツナマヨ」


さっきまではおにぎりの具を言っているようにしか聞えなかったその言葉も、まるで「大丈夫」と言ったように聞こえた。名無しの安心したような顔を見た少年は名無しの手を一度離し名無しに背を向けてしゃがみこんだ。


「えっ?」


これは一体どういう意味だ?と、名無しがまた困惑していると、おにぎりがいっぱい詰まったコンビニの袋を腕にかけた少年は、自分の肩をぽんぽん。と叩いた。


「私・・・・重いですよ?」
「おかか」


恐らく乗れ。という意味だろう。と察した名無しはすぐに自分が背負ってもらえるほどの軽さではないことを伝えたが、少年は首を横に振って否定した。どうしよう。と思いながらも恐る恐る少年の首に腕を回して体を預けると、少年の体は一瞬びくっ!と大きく動いたが、何事もなかったかのようにすっと立ち上がり名無しの両足を腕にひっかけて持ち上げた。


「あの・・・・大丈夫ですか?」
「しゃけ」


少年はなるべく名無しの胸が自分の背中に当たらないようにできるだけ前かがみになりながら目的地に向かって歩いていたが、体幹もバランス感覚も皆無の名無しは腕だけでは自分の体を支えきれず、すぐに少年の背中に自分の体を預けた。


「っ!」
「す、すみませんっ!すみませんっ!」
「お・・・かか・・・」


背中に感じた柔らかい感触に少年の体はまたびくっ!と大きく反応したが、自分の背中にぴったりとくっつけている名無しの体をどうすることもできず、顔に集まる熱を自覚しながらも歩き続けるしかなかった。目的地に辿り着くまで色々な要因で名無しは何度も謝罪を繰り返していたが、その度に少年は「おかか」と言って首を横に振り続けた。


「明太子」


少年が医務室のドアを開けながら中にいるはずの家入に声をかけると、戸棚の扉を開いていた家入が入り口に目を向けた。


「狗巻?・・・・名無し?!」


狗巻に背負われている名無しの姿を見て家入は少し驚いた表情を見せた。「硝子さん」と少し泣きそうな声を出して不安げな表情をしている名無しとは対照的に、顔を赤くさせて少し焦った表情をしている狗巻の姿を見て、何かを察した家入はすぐに近くにあった椅子を引いた名無しを座らせた。


「一体何がどうなってこうなったの」


どこかから転げ落ちたレベルで怪我をしている名無しの姿を見て事情説明を求めた家入に名無しがどう説明しようか。と困っていると、狗巻はさっきまで名無しに言っていたのと同じようにおにぎりの具を家入に言い出した。すると、普段あまり笑顔を見せることがないミステリアスな女性として有名な家入が「ははっ!」と、声を出して笑い始めた。


「それでその袋?・・・・ふふっ。本当に名無しは面白いね」
「?」


一人だけ状況が理解できず話についていけてない名無しが首を傾げていると、家入はそんな名無しに反転術式で治療しながら説明をし始めた。


「その子は狗巻棘っていうんだ。1年生だよ」
「しゃけ」
「あ、はじめまして、高専に居候させていただいている名無し名無しと申します」
「しゃけ」
「居候じゃなくて保護だろ」


家入から少年の名前を教えてもらった名無しは両足を綺麗に揃えて深々と頭を下げながら自己紹介をした。


「狗巻は呪言師なんだ。言霊の増幅・強制の術式だから安全を考慮して、普段、語彙をおにぎりの具に絞ってるの」
「しゃけ」
「そうだったんですか?!察することができずすみません」


名無しはもう一度深々と頭を下げて謝罪をした。自分が勘違いをしたせいで、狗巻に大変迷惑をかけてしまった。と、とても落ち込んでいたが、「おかか」と言いながら首を横に振って名無しの言葉を否定した狗巻を見て名無しは優しく微笑んだ。勘違いをして長い時間あの場で待たせて、勝手に怪我をして、医務室まで運ばせて、言葉も察することができなくて、すごく迷惑をかけたはずなのにそれでも、笑顔で許してくれる狗巻を見て、名無しは温かい気持ちになった。


「先輩はとっても優しいですね」
「いくら?」
「たとえ時間がかかったとしても人を傷付けない道を選ぶ先輩はすごく優しくてかっこいいです」


きっと話が噛み合っていなかった時は、直接言葉を使った方が名無しとのめんどくさいやりとりを避けられたはずなのに、それでも、万が一のことを考えて、おにぎりの具で根気よく話し続けた狗巻を名無しはとても優しい人だ。と思った。


「っ!」


眩しいぐらい明るい笑顔を浮かべながら言われた言葉を聞いて、狗巻は制服の襟の中で顔を赤くさせた。


「ツナマヨ」
「?」


首を縦に振ったり横に振ったりする等のジェスチャーがついていれば理解できるが、それがないとまだ言葉の意味を理解することができない名無しは首を傾げた。


「狗巻、もう授業の時間だぞ。早く教室に行った方がいい」
「しゃけ」


時計を見た家入はもうすぐ授業が始まることを狗巻に伝えた。狗巻は首を縦に振りながら返事をして、名無しの顔をもう一度見た。


「こんぶ、ツナマヨ」
「あ、こちらこそ。ご迷惑をおかけいたしました。授業、頑張ってください」


手に持っている袋を指差しながら頭を下げた狗巻を見て、おにぎりのことを感謝されていると察した名無しは返事をした。すると、袋の中に手を入れた狗巻が何かを取り出して名無しの手の上に乗せた。


「ツナマヨのおにぎり?くれるんですか?」
「しゃけ」
「ありがとうございます!」
「こんぶ、いくら」
「?」


またジャスチャーのない言葉が出てきたため、名無しが首を傾げていると、隣にいた家入が「一番好きなおにぎりなんだってさ」と助け舟を出した。


「しゃけ」
「そうなんですか。では、今度たくさん買ってきますね」
「っ!お、おかか!」


満面の笑みを浮かべながら名無しが言った言葉を聞いて、狗巻は慌てて手を大きく振りながら拒否した。さっき出会ったばかりだが、恐らくツナマヨのおにぎりを今回と同じくらい大量に買ってきそうだ。と、狗巻は瞬時に察した。そんな二人のやりとりを「ふふっ」と笑いながら見ている家入と目があった狗巻は名無しに手を振りながら医務室を出た。後5分で授業が始まるため、全力疾走で教室に向おうとしていたが、手に持っている袋が重くて思うように速度がでなかった。こんなに重い袋を抱えてあの長い道のりを名無しは走っていたのか。と驚きながら、一体どれだけ買ったのだろう?と一度足を止めて袋の中を見てみると、色とりどりのおにぎりが中に入っていた。しゃけやこんぶ等の狗巻が発したであろう言葉のおにぎりだけではなく、何故か、いなりやチャーハンや五目ご飯のおにぎり等も入っており、きっと、棚に置いてある全種類の商品を買ってきたのだろう。と狗巻は察した。すっ頓狂でおっちょこちょいではあるが、そんな真面目で一生懸命で優しい彼女のことを可愛い。とも、愛おしい。とも思った。

2分遅れで教室に辿り着くと、いつもは遅刻してくる五条がこんな日に限って、すでに教室におり、遅刻してきたことを散々ふざけた調子で叱った後に狗巻が持っている袋の存在に気づき、その中に入っている大量のおにぎりを見て爆笑しながら「ついに、おにぎり屋でも始めるの?」と茶化し始めた。事情を知った真希やパンダにも散々笑われ、少しむっとしていた狗巻に、乙骨だけは「それ食べきれるの?」と心配そうに声をかけた。昼食はいわずもがな1年生でおにぎりパーティーだった。

その日の夕方、突然名無しの部屋に来た真希に呼ばれて名無しが寮の外に出ると、狗巻がぽつんと立っており、「ツナマヨ」という言葉と共に高級和菓子店の店名が書かれた箱を渡された名無しが蓋を開けると、そこには色とりどりの和菓子がたくさん入っており、「綺麗です!」「嬉しいです!」と連呼しながら恍惚とした表情で和菓子を見つめる名無しを見て狗巻は嬉しそうに笑った。





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