「はい。治療は終わり」
「ありがとうございます」
「怪我は治したけど、しばらくはまともに動けないと思うから家でしっかり療養するように」
「はい、わかりました」


家入の治療を受けた伏黒は上着に腕を通しながら返事をした。伏黒が家入の反転術式を受けるのはこれが初めてではないが、何度受けても他人を治せるこの能力をすごいと思っていた。


「じゃあ、次は名無しね。間違ってもこっち入って来ないように」


そう言って家入は名無しが寝ているベットに近づき周りに敷かれているカーテンを引いた。そのタイミングで医務室に五条が戻ってきた。


「いや〜、まさか君たちがあの香炉の事件に巻き込まれるなんて思わなかったよ」
「なんであんな所に香炉があったんですか?都内でしか起きてない事件だったんですよね?」


伏黒が事前に伊地知から聞いていた情報では、あの香炉の事件は都内でしか起きていないはずだ。だからこそ、伏黒と名無しは安全を考えて東京から2つも県が離れた場所の任務が宛がわれたのだ。なのに、あの場所に香炉が存在した。しかも、使用済みのものが。


「それがさ、あの香炉、あの町で作られてたんだよね」
「は?」
「今日、あの香炉を使って高専関係の術師の邪魔をしてた犯人を捕まえたんだけどさ、実は、あの香炉は使用していた人物とは別の人物が作って売ってたことがわかって、その製造があの町で行われてたってわけ」


今日伏黒と名無しが訪れた町は決して栄えている印象のない町だった。隠し事をするにはたしかに打って付けの場所かもしれないが、まさか、ピンポイントでその場所を引き当てるとは・・・・。と伏黒は頭を抱えた。任務先は伏黒たちが自ら選んだわけではなく、高専関係者が決めている。特にまだ高専に入学していない伏黒と名無しが担当する任務は吟味に吟味を重ねられ慎重に決められている。そのことは伏黒もわかっている。ましてや、今日捕まえた犯人から製造元が別にいることを教えられ、そこからあの場所を知ったのだから、事前にそのことを知っていた上で伏黒と名無しをあの場所に行かせたわけではないことを十分に理解している。運が無さすぎる。としか言いようがなかった。


「で、たまたま香炉の使用実験を行ったのがあの廃校だったってわけ。1番最初に作った試作品を試したらしいんだけど、呪霊が現れるまでに結構時間がかかったから失敗作だと思ってそのまま捨てたんだってさ。元々恵たちが依頼を受けた3級の呪霊も恐らくその香炉によって引き寄せられたものだね」
「そうですか。そもそもなんでそんな事件を起こされたんですか?」
「ただのたちの悪い愉快犯が僕たちを困らせたかっただけだよ。呪術高専は何かと恨みを買うやすいからね。呪詛師の行動原理なんてそんなものばっかりだよ」


やれやれ。といったポーズをしながら五条は少し呆れたように話した。今回の案件は伏黒たちが狙われたわけではなくただ運が悪かっただけだということがわかり伏黒は少しだけ安心したが、それと同時に、もしこのことを名無しが知れば、また自分のせいだ。と責任を感じて自分を責めてしまうのではないか。と伏黒は心配した。


「名無しのあの技に関する話、今聞いてもいいですか?」
「僕の知ってる範囲であればいいよ」
「名無しがあの技を使用したのに死ななかった理由ってなんですか?」
「それを話すには少し名無し家の話をする必要があるね」


そう言って五条は名無し家の話を交えながら、『悪喰開錠』の技に関する説明をした。


「名無し家の術式である朔望天恵術は相伝の術式として代々受け継がれてるんだ。『月魄蒼天』の技もその時に一緒に受け継がれる。だけど、『悪喰開錠』の技だけは一子相伝なんだ」
「つまり、名無しは父親から受け継いだ技。ってことですよね」
「そう。普通の呪術師の家系だったらそれが原因で争いが起きたりするけど、名無し家では起きない」
「・・・・子供が産まれにくいからですか」


なんでですか?と伏黒は質問しようとしたが、その言葉を口にしようとした瞬間、五条が前に名無しの過去の説明をした時に名無し家は代々男児には恵まれているが、子宝に恵まれておらず、兄弟がいるのは稀で一人っ子ばかりだ。と言っていたのを思い出した。


「そう。兄弟が少ないと家関係のめんどうな争い事が起きにくいから良かったりするんだけど、その分跡継ぎ問題とかがあるから色々と大変だったりするわけ」
「で、その一子相伝の話と名無しが生きてる話はどう繋がるんですか?」
「そう急かさないでよ。ちゃんと話すから。悪喰開錠は本来、他人の生命を使用しないと使うことができないんだ」
「他人の?」
「うん。だから、名無し家は代々この技を使用するために、死刑判決を受けた呪詛師を金で買取り、そいつらを使ってこの技を使ってるんだ」
「っ!呪詛師の命を使って技を使用してるんですか?!」


技を使用するために他人の命を使わなければいけない。ということだけでも信じられない。と驚いていたのに、呪詛師の命を使って技を使用していたことに伏黒は更に驚いて目を見開いた。


「少なくとも名無しのじじいの代まではね。名無しの父親はそもそも呪術師に向いてなくて家からほとんど出てなかったみたいだから、この技を使ったことがあるのかわからない。下手すると呪霊を祓ったことすらなかったかもね」
「でも名無しは・・・・」
「そう。自分の命を使った。名無し家は代々男児ばかり生まれてるんだけど、たまに百年に一度ぽんっと女の子が生まれたりするんだよ。その女児がまた特殊で自分の寿命を捧げることで悪喰開錠を使用することができるんだ」
「っ!」


だから名無しはあの技を使っても死ななかったのか。とようやく伏黒は理解したが、命までは取られないにしても代わりにそれ相応の寿命は取られるのでは。と伏黒は心配した。


「一回でどれだけの寿命が持っていかれるかまでは知らないけど、一回使ったぐらいじゃ死ないから安心して」


伏黒が顔をしかめて考え事をし始めたのを見て、何を考えているのかを瞬時に察した五条は伏黒の疑問に答えた。


「本来なら他人の命を使わなくともあの技が使えるんだから、一族からは重宝されそうなものだけど、一つやっかいなことがあって名無し家の女児は代々一族からも疎まれてるんだよ」
「やっかいなこと?」
「うん。一族に女児が生まれると子供が生まれなくなるんだ」
「生まれなくなる?でもこれまで名無し家は続いてますよね?」
「不思議なことに女児が名無し家から出るか死ぬかのどちらかすると、不思議とその後にポンっと男児が生まれるんだよ。ははっ、名無し家は完全に呪われてるんだよあの黒獣に」


何が面白いのか笑顔で名無し家のことを話す五条とは対照的に、終始真剣な表情で五条の話を聞いていた伏黒は前に五条から聞いていた話も含めて色々と考えていた。今の話を聞いて、何故まだ小さかった名無しを当主が禪院家に嫁がせようしたのか。その後、五条家に嫁ぐことになった時も、万が一、五条悟が死亡した場合は禪院家で貰い受ける。という条件で了承したのかも、ようやく理解することができた。しかし、一つだけ伏黒にはわからないことがあった。


「なんで名無し家の当主は名無しを呪術師にしたんですか」


今の話からすると、名無し家の跡継ぎのために名無しを他の家に嫁がせる理由はわかるが、わざわざ呪術師にした理由が伏黒にはわからなかった。


「ただのじじいのプライドだよ。息子は引きこもりの上に使用人との間に子供を作って家から逃げて死亡。呪術師としての跡継ぎがいない状態で長年散々他の家からバカにされ続けてたからな、あのジジイ。相当悔しかったんだろ」
「そんなことの為に名無しを呪術師に?どうかしてますよ」
「ははっ。呪術師なんてみんなどうかしてるでしょ。イカれた人間の集まりだよ」


自分のプライドの為なら孫の命がどうなってもいい。と思っている名無し家の当主に対して伏黒は拳を握り締めて怒りを露わにした。名無しが神様と一緒に生きていく道を選んだ時に、それを自分のワガママだ。と言った話を聞いて、伏黒は正直、何を言ってるんだ、そんなのワガママでもなんでもないだろ。と思っていた。しかし、あれはきっと本当に名無しの『ワガママ』だったのだろう。周りに決められることなく初めて自分自身で決めた選択だったのだろう。と思うと、それをワガママだ。と言った名無しの気持ちがようやく伏黒には理解できた。


「なんで五条さんはそんなに名無し家のこと詳しいんですか?」
「まぁ、これでも一応当主だから周りの呪術師の家系に関する情報はある程度は知ってるよ。あとは、先祖に執着心の強い人がいてね。その人から教わった」


五条がどこか憂いを帯びた表情で話すのを見た伏黒は何故五条がそんな顔をするのだろう。と思い首を傾げた。


「じゃあ、伊地知に車出すように言ってくるから少し待ってて」
「はい。お願いします」


話が一段落したタイミングで、伏黒を家に送り届けるため伊地知を呼びに五条は医務室から出て行った。ドアが閉まる音を聞き名無しの治療を終えた家入が「話終わったの?」と言いながらカーテンを開けて出てきた。恐らく治療自体は随分前に終わっていたが気を使ってそのまま中にいたのだろう。と家入の気遣いに気づいた伏黒は家入に「気を使わせてすみません」と一言謝罪した。


「別に、怪我を治療するのに比べたら大したことじゃないよ。じゃあ、少し外の空気を吸ってくるからその間名無しのこと見ててもらっていい?」
「はい、わかりました」


家入が医務室から出て行くのを見て伏黒は名無しが寝ているベットに近づいた。体の上に布団がかけられているため傷の具合は見えないが、家入が綺麗に治しただろう。と、心配することなく横に置いてある椅子に腰を下ろした。『悪喰開錠』の技を使用する前に見せた悲しそうに笑った顔や、泣いたように見えた名無しの顔が、ふと伏黒の頭をよぎった。前髪が目元に張り付いているのを見て、払いのけるために手を伸ばすと指先がかすかに名無しの瞼に触れてしまった。指が触れた瞼がぴくっと動き、名無しはゆっくりと目を開いた。


「悪い。起こしたな」
「伏・・・・黒さん・・・・」


目を開いた名無しはまだ意識がはっきりしていない様子で目の前にいる伏黒の顔をじっと見つめた。


「痛い所はねぇか?」
「・・・・・はい」
「そうか。なら、よかった」


痛い所はない。と答えた名無しの言葉を聞いた伏黒は安心したように小さく息を吐いた。名無しが満身創痍なのはわかっているが、何の相談もなく危険な技を勝手に使ったことに対して一言文句を言ってやりたい気持ちがあった伏黒は口を開いた。


「お前、あんな危険な技っ」


しかし、伏黒が文句の言葉を口にした瞬間、布団を払いのけて体を起こした名無しが伏黒に抱きついた。


「っ!・・・・名無し?」


突然強い力で抱きしめられた伏黒は衝撃で後ろに倒れそうになったが、なんとか耐えて自分の体に飛びついてきた名無しを支えようと反射的に背中に手を伸ばしたが、その手は宙をさまよった。


「うぅっ・・・・伏黒さんがっ!生きててよかったですっ!」


伏黒の肩に顔を乗せて泣いている名無しの声が耳に届いた伏黒は目を見開いたまま体を固まらせた。体全体を震わせながら縋るように自分の体を抱きしめる名無しを伏黒は宙をさまよわせていた手をそっと背中に置き優しく抱きしめた。


「お前のおかげでちゃんと生きてるから安心しろ」
「うっうぅ・・・・・はいっ」


泣きすぎて声が上手く出せなくなり振り絞るように声を出す名無しは伏黒の存在を確かめるように更に強く伏黒のことを抱きしめた。名無しの体の震えを全身で感じている伏黒は、この震えが泣いているせいだけではないことを感じとっていた。


「名無し、ありがとな」


名無しはあの時、間違いなく死ぬ覚悟で技を使っていた。それは伏黒を救うためだ。命がけで自分の命を救った名無しに対して伏黒は素直に感謝の言葉を伝えた。もう言葉すら出せなくなった名無しは懸命に伏黒の肩の上で何度も頷いた。伏黒は名無しの背中に添えた手に少し力を込め震える体をしっかりと抱きしめた。たとえ俺が死んだとしてもお前は絶対に死なせない。という言葉を胸に秘めながら。




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