とりあえず伏黒は月が完全に現れるまでの時間稼ぎをするため、呪霊を引き付けながら名無しとの距離を離そう。と考えた。月が完全に姿を現してから2体の呪霊を1体ずつに分け、伏黒と名無しで同時に祓う。それで大丈夫なはずだ。と考えた。この瞬間までは・・・・

伏黒と名無しが会話をしている間、玉犬【白】と【黒】がずっと呪霊の動きを抑えるために奮闘していたが、先ほど呪霊の背中から復元するように現れたもう1体の呪霊が玉犬【白】へ攻撃しようとしているのが見えた伏黒は何かを感じ瞬時に玉犬【白】を解除した。すると・・・・


「「っ!?」」


バコーンっ!という強烈な破壊音と共に先ほどまで玉犬【白】がいた後ろにある校舎が2階ごとぽっかりと穴をあけた。その光景を見た伏黒と名無しは思わず言葉を失った。


「伏黒さん・・・・」


名無しがか細い声で伏黒の名を呼び、その声を聞いた伏黒はすぐに「名無し、下がれ!」と指示を出した。呪力で体を守れる伏黒ならまだしも、呪力で体を守ることができない名無しがあんな攻撃を受けたら恐らく死ぬ。伏黒はそう感じた。


「あんな攻撃力さっきまではなかったぞ」


先ほどまで2体の呪霊にあんなに強い攻撃力はなかった。地面に当たったとしても少し地割れする程度。玉犬が盾になってたとしても名無しを窓の外に吹き飛ばせる程度。鵺に拳が直撃しても大きなダメージを与えることすらできなかった。少なくともこんな、校舎を1部分ではあるが吹き飛ばせるほどの力はなかった。それが突然何故だ?と伏黒は脳内をフル回転させて考えた。そして、ある仮定が浮かび上がった。


「まさか、新しく生み出された方は、倒された分だけ攻撃力が上がるのか?」


伏黒が1体倒した後でも元々名無したちの方にいた呪霊は特に攻撃力が上がった様子はなかった。しかし、後から出てきた方は、それまでいた呪霊よりも攻撃力は数倍上だ。そう考えると、倒したことで2体の攻撃力が上がるというよりは、新しく生み出された方だけ攻撃力が上がっていると考えた方がしっくりきた。倒された分だけ攻撃力が上がる。と考えたのは最悪のパターンとして考えただけで、これが間違っているならそれに越した事はない。だとしたら、新しく生み出された方の呪霊はなんとしてでも名無しに近づけてはいけない。


「玉犬!名無しを連れて逃げろ!」
「えっ?!」


伏黒の指示を聞いた玉犬【白】はすぐに名無しの前に走り背を向けて立った。てっきり服を噛まれたまま引きずられるのかと思っていた名無しはその様子を見て困惑していると、玉犬はしっぽをゆさゆさ振りながら名無しの顔をチラチラ見た。


「名無し、乗れ!」
「えっ!」


突然玉犬に乗れ。と指示を出した伏黒の言葉を聞いて、乗れ?玉犬に?と完全に戸惑ったまま名無しが足を止めていると、玉犬が催促するように名無しのスカートの裾をひっぱり、わんっ!と一声鳴いた。名無しは恐る恐る遠慮がちに玉犬に横乗りするとそれを合図に玉犬はその場から離れるように走り出した。名無しは振り落とされないように必死に玉犬の首元を抱きしめた。乗る前は私なんかが乗っても大丈夫なのだろうか?と不安に思っていた名無し#だったが、名無しを乗せてもいつもと変わらない速度で走る玉犬を見て、少しだけ安心した。
伏黒が無事にあの場から避難した名無したちを見てほっとしたのも束の間、逃げた名無したちの後を呪霊が追いかけ始めた。しかも、攻撃力が強い方の呪霊が名無したちを追いかけたのを見て伏黒はすぐに玉犬【黒】を解除し、大蛇を召喚した。伏黒の仮定が合っているのなら、完全に祓ってしまうともう1体の体から更に強い攻撃力の呪霊が生み出されてしまう為、あくまで足止め目的で呪霊の下半身を喰った。しかし・・・・


「は?」


下半身だけ喰われたはずの呪霊はそのまま大蛇の中に自ら体を無理矢理押し入れ消滅させた・・・・。まさか。と思い、伏黒がもう1体の呪霊の方に視線を向けると、先ほどまでそこにいたはずの呪霊がいなかった。校舎の中か?と、注意深く校舎を観察したがその姿は見えなかった。じゃあ、地面の中か?と、今度は地面に視線を向けた。


「どこに行った?!」
「伏黒さん!上です!」


伏黒が突然姿が見えなくなった呪霊を探していると、少し離れた所からその様子を見ていた名無しが伏黒に頭上に呪霊がいることを大声で伝えた。その声を聞いた伏黒が瞬時に上を向いた瞬間、2体の呪霊が同時に降ってきた。


「っく!」
「伏黒さん!」


1体の腕が体に当たった伏黒の体は数メートル飛ばされた。それを見た名無しは呪具を使って数秒でもいいから呪霊の動きを止めようとしたが、走っている玉犬にしがみつくのが精一杯で片手を離して呪具を振ることができなかった。


「ぎょ、玉犬さん、少し止まってください!」
「止まるな!」


一度止まって伏黒を助けるために呪具を使用しようと思っていた名無しは伏黒から止まるなと言われ、援護することができなくなってしまった。伏黒はあくまで最後に呪霊を同時に2体祓うためだけに名無しをこの場の残しているため、それまでは名無しを戦闘に参加させる気はなかった。
月が完全に現れるまで待ち、そこから2体の呪霊を分け、攻撃力が強い方の呪霊を伏黒が祓い、それと同時にもう1体の呪霊を名無しが祓う。そのプランで伏黒は動いていた。しかし、先ほどの呪霊の動きのせいで予期せぬ事態が起きた。


「どっちだ?」


全く同じ姿をしている2体の呪霊は見た目だけで見分けることができなかった。だからこそ伏黒はわからなくならないように注意深くその姿を追い続けていた・・・・。このままでは月が現れても名無しに呪霊を1体まかせることはできない。もし、間違えば名無しは最悪死ぬだろう。


「はぁ・・・・」


名無しを生きたまま高専に帰す。それが伏黒の最優先事項だ。だから、さっきまで考えていたプランは捨て、もう一つ考えていたプランに切り替えた。まずは名無しを帳の外に出す。その後、伏黒が2体祓う。玉犬を使って2体を近い場所に集め1体は大蛇で祓い、その間もう1体は蝦蟇で拘束する。幸い、復元には少し時間がかかるということは先ほどのことからわかっている。復元する前に2体祓えばいい。それで大丈夫だ。と考えた。


「名無し、お前はこのまま帳から・・・・っ!」


伏黒が名無しにこのまま玉犬と帳の外に出るように伝えようとした瞬間、視界の端でこちらに向かって走ってくる何かが見えた。その何かは言わずもがな名無しと玉犬だ。


「名無し!」


呪霊に向かって走ってきた玉犬が名無しを上に乗せたまま突進するように呪霊を前足2本で突き飛ばし、そのタイミングに合わせて名無しは玉犬の上から跳んで呪霊の服にしがみついた。玉犬が呪霊に噛み付き何かを喰いちぎり、名無しは片手に持った呪具を振り下ろした。


「っく!」


術式を使用していないため、それほどダメージを与えていなかったが、打撃の痛みで反射的に振り払われた腕によって名無しの体は遠くに飛ばされた。しかし、名無しの体が遠くに飛ばされるのと同時に名無しを振り払った呪霊の体はくるくると回転し始めた。その様子を伏黒が目を見開きながら見ていると、飛ばされた名無しの手には長い布が握られていた。あれは・・・・


「帯・・・・」


市松人形のような外見の呪霊は着物を着ていた。そして、ほどいた帯を名無しが掴んだまま飛ばされたため、腰の部分に帯を巻いていた呪霊の体はそれに従ってくるくると回されていた。飛ばされた名無しの体は名無しを追いかけた玉犬が落下地点で待ち構えしっかりと自分の体でキャッチした。


「痛っ・・・・玉犬さんありがとうございます」


名無しはすぐに立ち上がり自分のことを守ってくれた玉犬に感謝の気持ちを伝えながら頭を撫でると玉犬はそれに返事をするように、わんっ!と一鳴きした。


「っ!」


名無しは自分の背後何かが現れた気配を感じ、すぐに振り向くと先ほど名無しが帯をほどいた呪霊が右腕を振り上げている姿が目に入った。


「『蝦蟇』!」
「ひゃあ!」


伏黒は玉犬を解除した後、すぐに蝦蟇を召喚し呪霊の攻撃が当たる前に名無しをその場から離した。名無しがさっきまでいた場所には地面を抉ってできた深い穴が校舎まで続いており、恐らくあの攻撃が名無しに直撃していたら名無しは確実に死んでいた。そのことに気づいた名無しの心臓がバクバクと音を鳴らす中、蝦蟇の口の中に入った名無しの元に駆け寄った伏黒は不機嫌な表情を見せた。


「あの・・・・伏黒さん怒ってますか?」


その伏黒の表情を見た名無しはすぐに伏黒が怒っていることに気づき、恐る恐る質問すると伏黒は「怒ってるに決まってんだろ」と即答した。


「か、勝手な行動をしてすみません!」


蝦蟇の口の中に入った情けない姿のまま名無しは必死に頭を下げて謝罪した。伏黒が助けてくれなければ名無しは確実にあの攻撃を受けて死んでいた。またご迷惑をかけてしまった。と落ち込んでいる名無しに伏黒は「でも・・・」と言葉を続けた。


「お前がいたおかげで助かった」
「伏黒さん・・・・」


名無しが片方の呪霊の帯を取ったことで遠目からでも違いがわかるようになり、さっきの攻撃を引き出したおかげでどちらが新しく生み出された方かもわかった。ちなみに今の攻撃をした方が新しく生み出された方だろう。と伏黒は判断した。


「帯ってあんなに簡単にほどけるものなのか」
「押さえてる紐さえ取ってしまえば案外簡単にはずれますよ」


玉犬が紐を喰いちぎったおかげもあるが、あっという間に呪霊の帯をほどいた名無しを伏黒は少しだけ感心したが、毎年着物を着ている名無しからすれば帯をほどくことなど造作もなかった。
呪霊の区別もつくようになり、月も完全に姿を現した。あとは、目の前の呪霊を祓うだけだ。今日は満月ということもあり、名無しが術式によるあの衝撃に耐えられるのは恐らく1回だけだ。なんとしてもその1回は外せない。と伏黒は気を引き締めた。


「俺が呪霊を二手に分ける。帯が取れた方の呪霊を俺が祓うから、お前はもう1体の方を頼む」
「はい!」
「『玉犬』!」


伏黒は、玉犬【白】と【黒】を召喚し2体の呪霊を引き離すために玉犬で目的の場所まで誘導しながら攻撃した。攻撃力が強い方の呪霊が攻撃するような動作をしたのを見てすぐに玉犬を1体解除し、召喚した蝦蟇で呪霊の足をひっぱりなるべく攻撃がフルパワーで発動されないように、あの手この手で徐々に2体の距離を離していった。そして、伏黒側に帯のほどけた呪霊、名無し側にもう1体の呪霊が来たタイミングで伏黒は名無しに合図を出した。


「名無し、行くぞ!」
「はい!朔望天恵術『月魄そ・・・・っ!」


伏黒が大蛇を召喚するために影絵を作り、名無しも呪具を両手で握り大きく振りかぶって術式を口にしようとした瞬間、水滴が髪を・・・顔を・・・体を・・・一気に濡らした。


「なんで・・・・」


名無しが空を見上げると、さっきまで晴天の中浮かんでいた月は重い雲によって隠され、その雲からは地面の色を一気に暗く染める程の雨が降り注いだ。


「こんなタイミングでにわか雨かよっ!」


伏黒は突然雨を降らせた空を恨む気持ちで睨みつけた。ついてない。そう2人が思ったのと同時に2人はこれが名無しの『不幸』によるものだということに気がついた。名無しは自分のせいだ。と、ショックを受け、思わず動きを止めた。その瞬間、目の前にいる呪霊が腕を振り上げたのが見え、名無しはすぐにそのことに気がついたが両腕を自分の顔の前に構えて防ぐことしかできなかった。


「きゃあ!」
「名無し!」


呪霊の攻撃が直撃し数メートル先に吹っ飛んでいく名無しの姿を見た伏黒はすぐに名無しの所に駆け寄ろうとしたが・・・・


「っ!?」


目の前から凄まじい呪力を感じ視線を向けた瞬間、体全体が押し潰されるほどの力で伏黒の体は殴り飛ばされた。


「がはっ!」


10m以上離れた校舎まで飛ばされた伏黒の体は全身の骨が砕けたのかと錯覚するほどの痛みを感じ、全身の力が抜けて立ち上がるどころか腕一本動かすことも難しかった。口や頭から出た血が雨と一緒に足に落ちていき、それを拭うことすらできない中、伏黒は数m先に倒れている名無しに視線を向けた。


「名無し・・・・」


雨粒で視界がかすむ中、ずぶ濡れの状態で全身に感じる痛みに苦しみながら必死に立ち上がろうとしている名無しの姿が目に映り、そんな名無しをすぐに助けに行くことができず伏黒は悔しさで奥歯を噛み締めた。やはり名無しを早く帳の外に出すべきだった。と伏黒は後悔した。そうすれば、あんな怪我を負わせずにすんだ。自分との任務で名無しがどこかに怪我を負う度に伏黒は心を痛めていた。やはり、自分のその感情を優先して判断するべきだった。と伏黒は悔やんだ。


「伏黒さん・・・・」


名無しは校舎の外壁にぶつかったまま血を流して倒れている伏黒を見て目を見開いた。吹っ飛ばされた時の衝撃がまだ体に残っているのか、ふらふらと体を揺らしながら懸命に一歩ずつ足を前に進めて伏黒の元に向かった。しかし、近くにいる呪霊はそんな名無しを放っておいたりはしなかった。


「くっ!」


呪霊の攻撃によってまた数m飛ばされた名無しの体は、地面に数回バウンドした後伏黒の目の前に転がり落ちた。


「名無し・・・・」


伏黒は上がらない腕を必死に持ち上げようと腕に力を入れたが折れているのか全く力が入らなかった。


「くそっ」


目の前で名無しが倒れてるのに手を伸ばすことすらできない自分に対して伏黒は苛立つ気持ちを隠せずにいた。名無しに視線を向けていると、その後ろからは2体の呪霊がまるで殺すのをじらすようにゆっくりと伏黒と名無しに近づいて来ていた。なんとか名無しだけでもこの場から逃がしたい。せめて、玉犬さえ召喚できれば。と、伏黒はもう一度腕に力を入れたが、ぐだっと垂れた両腕は持ち上がらなかった。そんな中、ふらっと立ち上がった名無しは伏黒を見つめた。


「名無し、大丈夫か・・・・?」
「はい、なんとか・・・・伏黒さんは動けますか?」
「俺の事はいい。動けるならお前だけでも逃げろ」


重傷だというのに互いのこと優先して気にかける二人は自分のことは二の次で、どうすれば相手をこの場から逃げすことができるのだろうか。ということばかり考えていた。まだ歩けそうな名無しを見た伏黒は自分が囮になり2体の呪霊を引きつけてる間に名無しに帳の外に出てもらおう。と、呪霊とは戦わずに逃げる方法を考えた、しかし、名無しは・・・・


「伏黒さん・・・・あの呪霊は私が祓います」
「無茶言うな。お前一人で祓えるわけがねぇだろ」


攻撃力が強い方の呪霊を宛がうのですら無理だ。と思ったのにそれを含めた2体を同時に相手にするなんて名無しには到底無理だ。と伏黒は思った。だが、名無しは首を横に振った。


「実は、朔望天恵術には『月魄蒼天』以外にもう一つ技があるんです。天候や時間の縛りがある『月魄蒼天』とは違い、この技はどんな天候であっても何時だったとしても使用することができます」
「そんな技があったのか」


前に1度見せたことがある『月魄蒼天』以外にもう一つ技が存在することを伏黒に伝えると伏黒は驚いた表情を見せた。


「はい。だから・・・・私にまかせてください」
「っ!」


いつもの明るい笑顔とは違い悲しみが含まれているような名無しの笑顔を見てすぐに伏黒は違和感を覚えた。そもそも何故今まで名無しはもう一つの技の存在を隠していたのだろか。今までだって危機的状況は何度かあった。だけど、その技の存在を伏黒が教えられたのは今が初めてだった。この時伏黒の頭の中で自分の『奥の手』のことが頭に浮かんだ。まさか・・・・


「っ!・・・・お前何か隠してっ」


伏黒は名無しが自分に何かを隠しているのではないかとすぐに気づいた。しかし、名無しはそんな伏黒に背を向けて歩き始めた。


「朔望天恵術のもう一つの技は呪霊を喰らう『化け物』を一時的に召喚する技です。召喚条件は・・・・人の命を捧げること」
「っ!」
「私は自分の命を捧げてその化け物を召喚します」
「何言ってんだ!そんな危険な技使うなっ!」
「・・・・伏黒さん。今までたくさん守ってくださりありがとうございました。今度は私が貴方を守ります」
「名無し!」


自分を必死に止めようとする伏黒に一瞬だけ顔を向けた名無しは笑顔を見せた。その笑顔にはさようなら。が含まれていた。一度深く深呼吸した名無しは覚悟を決めた目で呪霊を見つめた。そして・・・・


「朔望天恵術『悪喰開錠(あくじきかいじょう)』!」


名無しが技名を口にした瞬間・・・・


「ごほっ!」


名無しの口からは大量の血が吐き出された。咄嗟に名無しは手で口を覆ったが、手から零れ落ちた血はどんどん地面を赤く汚していった。


「名無し!・・・・っ!」


伏黒は痛む体を引きずりながらも名無しに近づこうと懸命に体を動かした。今ならまだ間に合うかもしれない。そのわずかな希望を持って・・・・。しかし、もう発動されている技は止められなかった・・・・。
名無しの血が地面を濡らしたのと同時に地面からは突如鎖が交差するように巻かれた10m程の高さがある大きな扉が現れた。


「なんだこれ・・・・」


そのなんともおどろおどろしい光景に伏黒は思わず言葉を失った。
扉を厳重に閉じていた太い鎖は、ガラガラと音を立てながら扉からはずれ、バッと開いたその扉からは扉と同じ大きさの黒獣が姿を現した。まるで黒い砂からできているかのように体からはプスプスと黒く細かい粒子が浮かんでおり、目や口や耳などの顔のパーツは粒子の隙間によって視覚的にわかるだけではっきりとそれらを現すものは存在しなかった。開かれた扉から完全に出てきたその『化け物』は、出てきたのと同時に2体の呪霊に向けて大きな口を開け、悲鳴をあげる隙さえ与えぬまま呪霊を一瞬で丸呑みした。
伏黒がその信じられない光景を言葉を失ったまま見ていると、呪霊を喰べ終えた『化け物』は何かに引きずられるようにまた扉の中に戻っていった。閉じた扉にはまた太い鎖が交差するように巻かれ、まるで何事もなかったかのように地面に消えていった。


「はぁ・・・・はぁ・・・・」


荒い呼吸を繰り返す名無しは口から血を流しながら何かに耐えるようにぐっと拳を握りしめ唇を噛んだ。雨や血が混ざった水滴が顎を伝って地面にぽたぽたと落ちていくその姿は、伏黒にはまるで名無しが泣いているように見えた。伏黒がふと、名無しの体を濡らし続けていた雨が止んだことに気づいたのと同時に雲間から月が顔を出した。月の光が名無しの姿を照らした瞬間、名無しの体はかろうじて残っていた意識を失いその場に崩れるように倒れていった。


「名無し!」


伏黒が名無しの名を叫んだ瞬間、倒れる名無しの体を抱きしめて支える人物が現れた・・・・


「五条さん!」
「遅くなってごめんね」
「五条さん!名無しが術式で自分の命を使って『化け物』を喚んでっ!」
「恵、それ以上説明しなくていいよ。名無しが術式を使ったのはわかってるから」


焦った様子で状況を説明しようした伏黒を制止した五条は「危険だから使ったらダメだって言ったじゃないか」と意識を失った名無しの体を優しく抱きしめ濡れた髪の中に手を差し入れながら頭を優しく撫でた。


「意識を失ってるだけで死んではいないから安心して」
「でも、名無しがあの技を使う条件が人の命を捧げることだ。って」
「うん、そうだよ。悪喰開錠は人の魂を捧げて顎(アギド)と呼ばれる生命の粒子から創られた黒獣を喚び出す技なんだ」


五条の説明を聞いてあの黒い砂のように見えたものは全部生命の粒子だったのか。と伏黒は理解した。だが、やはりそれだと誰の魂も捧げていないのにあの黒獣は召喚されるのはおかしい。やはり名無しの魂を使用したのでは。と伏黒は思った。


「詳しく説明するには時間がかかるから今は話さないよ。動けないぐらいボロボロなんでしょ?さっさと高専に戻って治してもらうよ」
「わかりました」


そう言って五条は名無しを右肩に担ぎ、左手で伏黒の首根っこを掴んだ。


「この扱いの差はなんですか」
「え〜!恵くん、もしかしてお姫様だっこしてもらいたいの〜?!」
「違います。さっさと連れて行ってもらってもいいですか?」
「も〜恵くんったら、照れ屋さんなんだからっ!」
「そういうめんどくさいんで今いいんです」


変なタイミングで五条のおちゃらけモードのスイッチを入れてしまった伏黒はめんどくさい。と思ったが、いつもなら関わりたくない。とすら思うそれも、今だけは、知らず知らずの内に色々と背負って責任を感じていた伏黒の気持ちを少しだけ軽くさせた。





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