事故の後、目を覚ますと真っ白なベッドの上に横たわっていた。ベッドの周りにはカーテンが引かれており、すぐにここが病院だということがわかった。学校の近くで事故にあったことが幸いし、すぐに大きな病院で治療をしてもらえたおかげで私も幼馴染の彼も一命を取り留めた。頭部打撲のケガだけで済んだ私とは違い、幼馴染の彼は重傷だったが、祖母の知り合いの呪術師が反転術式でケガを治療し、数日で会話できるまで回復した。検査等の関係でその後数日入院することになった私は、時々あの事故のことを思い出しながらもただぼーっと過ごしていた。

入院をしてから1週間が過ぎたある日、「名無し〜生きてる?」となんとも暢気で間延びした声と共に悟さんが私の病室にやってきた。「来るのが遅くなってごめんね。急に長期出張が入って北海道にいたんだよね。はい、お見舞い」と、某老舗高級店のゼリーを渡されテンションが上がった私はご機嫌な状態で箱からゼリーを取り出していると、「ところで」と言いながら、悟さんは私に手を伸ばしてきた。いや、正確には私の後ろに手を伸ばした。そのことに疑問を持ち手の先に視線を向けると、悟さんは何もない空間を掴んでいた。


「なにこれ」
「何ってなんのことですか?」
「もしかして、名無しには見えてないの?」
「えっ、なんのことですか?」
「でも、『こいつ』からは名無しの呪力を感じるんだけど」


悟さんが言っていることが一向に理解できない私は、ゼリーの入った箱を持ったままただただ首を傾げていた。呪霊なら私にも見えるはずだが、私の目にはなにも映っていない。ぐっと手に力を入れて何かを上に持ち上げた悟さんをじっと見ていると。「あぁ、こいつが名無しが『死にかけた』原因か」とつぶやいた。


「それって・・・・呪霊ではないですよね?私の目には見えないですし」
「うん。そうだね。僕も最初は呪霊かと思ったけど、これは『呪い』ではなく、『瘴気』だ」
「瘴気?」
「そう。呪いは人間の負の感情から発生するもので、瘴気は自然から発生する悪い気。所謂邪気だよ。そして『こいつ』には呪いじゃなく瘴気がついてる」
「悟さん、『こいつ』って一体何がいるんですか?」
「『神様』」
「えっ?」
「いや、これだけ瘴気まみれだったら『邪神』の方が正しいか。ねぇ、なんで名無し取り憑いたの。理由次第ではこのまま・・・・」


そう言って悟さんが更に手に力を入れるのが見えた。じゃしん。それは私が初めて耳にする言葉だった。漢字すらわからないが、『よくない神様』の呼び名だということだけはなんとなくわかった。何故そんなものが私に取り憑いているのかまったく身に覚えがなかった。


「悟さん、どうしたらいいですか?」


さっき悟さんは邪神が原因で私が死にかけた。と言っていた。つまり、昨日起きた事故は偶然ではなく、邪神が引き起こしたものということになる。このままだと恐らくまた私の身に昨日と同じような起きるだろう。また、誰かを巻き込んでしまうかもしれない・・・・。そうならない為にもなんとかしなければ。


「理由も言わないし、さすがに呪霊化してない神様を祓うのはマズいから、とりあえず元の場所へ戻そう」
「元の場所?」
「ここで引き剥がせたとしてもさ迷われても困るし。ねぇ、君どこの神様なの?・・・・ふーん、名無し家の別邸ね」
「しゃ、しゃべれるんですか?」
「うん、一応。やっぱ声も名無しには聞えてないんだね」
「はい。全く」
「じゃあ、名無しの家に行くよ」
「は、はい」


そして私は悟さんと邪神と共に私と祖母が住んでいる別邸へと向かった。この別邸に2人も神様がいたことに驚いた。邪神に住んでいる場所を教えてもらっている悟さんの後ろをついて歩いていると、いつも来ている池に辿り着いた。


「ここか」
「あの、悟さん。実は、ここにもう一人『神様』が住んでるんです」
「ここに?この邪神以外神性を持った者は見えないけど」
「え、でもいるんです。先日、この池に落ちた時に神様らしき人の姿をぼやっとですが見ました。あと、声も」
「この池に落ちたの?」
「はい。ちょっと浮かれておりまして・・・・」
「名無しはほんとドジだね」


悟さんはその場にしゃがんで池の中に手を差し入れた。そして、水に触れながら何かに気づいた様子で「うん。やっぱりそうだ」と呟いた。


「何かわかりましたか?」
「うん。この水に流れている通力とそこの邪神の通力が一致した」
「えっ?!」
「つまり、この池に住んでいる『神様』がそこの『邪神』。ちなみに通力っていうのは神様の力のことね」


悟さんの言葉を聞いた私は驚きのあまり口を大きく開いたまま固まった。私がずっと『神様』だと思っていた者がこの『邪神』で私を殺そうとした?なんで?そういえば、池に落ちた時も私の首に手をかけていた・・・・。固まったまま言葉を発さなくなった私の代わり悟さんは邪神に声をかけた。


「さて、話は終わり。さっさと名無しから離れて」


住んでいる場所についたからいつでも私から引き剥がせる。と思った悟さんは早速『邪神』に私から離れるように言った。しかし、悟さんの顔は無表情のままで、「は?」と低い声がその口から出た。


「どうしたんですか?」
「離れられない。って言われた」
「えっ?」


どうして離れられないの?もしかして、私がまだ死んでないから死ぬまで離れられない。という意味だろうか?そういえば私に取り憑いた理由って何?と、理由を考えていると、悟さんは何かに気づいたように口を開いた。


「お前、『縛り』を破ってその罰を名無しに移したな」
「縛り?罰?」
「縛りっていうのは、他人と何か約束を結ぶこと。つまり誓約だね。で、当然縛りを破るとなんらかの罰を受けることになるんだけど、コイツはそれを名無しに受けさせた」
「えっ?」
「それが、名無しの死にかけた原因」
「なんで、そんなことを・・・・」
「そんなの自由になるためだろ。名無しを使って縛りを破ろうなんてよく考えたな。さすが邪神。ちゃっかり名無しから取った呪力を通力に変換してるし、たった1人の健気な信者を利用するなんて呪霊よりも呪霊らしい」


どうしてそんなことを・・・・。そればかりが頭を駆け巡った。やっぱり、昨日池に落ちてしまったことがダメだったのだろうか。身の程をわきまえず話しかけたことがいけなかったのだろうか。毎日ここに来ていたことがいけなかったのだろうか。池からあがる水しぶきを見るたびに神様が喜んでくれているのだとずっと思っていた。でも、それは勘違いだった・・・・。気落ちして水底に視線を向けていると、横にいる悟さんの手が急に視界に入ってきた。驚いて顔を上げると、「ちょっとごめん」と言った悟さんは、私の服の首元をグッと引っ張って胸元を覗き見た。


「ひゃあ!」
「これはちょっとやっかいだな」


突然の出来事に驚いて、慌てて胸元を両手で押さえながら悟さんの顔を見ると、悟さんは、ため息をついた。別に下心があったとはではなく何か確認するための行為にも見えた私は首を傾げた。


「なにかあったんですか?」
「うん。名無しにマーキングされてる」
「マーキング?」
「そう。胸についてるマークがその印」
「えっ?」


すぐに服を上からぐっと伸ばして胸を見ると、ピンポン玉ほどの大きさの黒い点があった。シャワーに入った時に黒くなっていることには気がついていたが、ずっと事故の時についた青たんか何かだと思っていた。まさか、これが印だったとは・・・・


「縛りを破った者は罰から逃れられないようにマーキングされるの。それが名無しについてる」
「えっ、じゃあ神様が私から離れたとしても私はずっと罰を受け続けるんですか?」
「うん、そういうこと。恐らく名無しが死ぬまでずっと消えない」
「それは、困ります」
「だよね。だから縛りを上書きする」
「上書き?そんなことできるんですか?」
「うん。同じ者同士では縛りの上書きはできないけど、違う者同士なら可能だよ。でも、それには名無しと邪神が直接話さなきゃいけないんだよね」


どうするかな。と頭を悩ませている悟さんを横目に私はあることを思い出した。きっとあの方法なら邪神と話せるはず。


「悟さん。きっと、この池の中に入ればお話しできます」
「マジ?」
「はい。昨日、一言ですがお話ししました。でも、この中で長時間お話しするだなんて息がもつかどうか・・・・」
「それなら大丈夫。俺の術式があればできるよ」
「ほんとですか?」
「うん。じゃあ、早速やろうか」
「はい」


悟さんに手を握られながら池の中に入ると、まるで私たちの周りに薄い膜が張ってあるかのように、呼吸もできるし視界がクリアな状態で水の中にいられた。そして・・・・


「やっぱりあの時の神様だったんですね」


もしかしたら違うかもしれないと一縷の希望を持っていたが、目の前には白い着物を着た綺麗な女性がいた。しかし、昨日ぼやっとした視界の中で見た時には見えてなかったはずの黒い空気が薄く彼女の体を覆っていた。これが、瘴気・・・・たしかに、呪いとは少し違って見える。


「さて、早速縛りを結ぶよ。君が嫌だって言っても強制的に結ぶから」


さっさとこの件を終わらせたい悟さんは、すぐに私たちに縛りを結ばせようと口を開いた。自由になる為に私に罰をなすり付けた邪神はきっと嫌がるだろう。と思っていたが、目の前にいる彼女は、薄く笑いながら首を縦に振った。


「利害による縛りを結ばないといけないから。まず、名無しからは自分に付けられた『罰』を邪神に戻すことを要求する。その代わり、名無しもコイツの為に何かしなきゃいけないんだけど、うーん。なんか適当に毎年1回お供え物持ってくる。とかでいいよ」
「それは適当すぎませんか?」
「いいのいいの。本来名無しがする必要なんてないんだから」
「でも・・・・」
『それでかまわぬ』
「えっ?」


どういう条件で邪神と私の間に縛りを結ぶかを悟さんが考え、明らかにこちらの利益が大きく損が少ない条件を突き付けたにも関わらず邪神は二つ返事で首を縦に振った。なんだろうこの違和感は。本当にこの邪神は私を利用して自由になろうとしたのだろうか?


「・・・・あのさ、一個聞いていい?」
「?」
「池の横にある祠。君のじゃないよね?なんで君ここに住んでるの?」
『・・・・昔、ある呪いの王から逃げるために本来ここに住んでいた土地神を利用した。あの祠はその土地神のものだ』
「なるほどね。じゃあ、君が破った縛りもその神と?」
『そうだ』
「あの、なんでその土地神と縛りを結んだんですか?」
『話せば長くなる・・・・』

そういって、神様は遠い昔の話を始めた・・・・

昔、神様は別邸の横にある山の中腹に建てられた神社に土地神として身を置いていた。繁栄の司る神様として子孫繁栄・子授け・安産にまつわる村人たちの願いを数多く叶えてきた。自分の願い・家族の願いを祈りに毎日のようにたくさんの人が神社を訪れ、その優しい願いを聞くたびに神様は嬉しく思っていた。神様のおかげもあり小さな村にも関わらず、村には常にたくさんの人が住んでいた。人の暮らしに触れるのが好きな神様はよく人里に降りて生活を覗き見て楽しんでいたようだ。

そんなある日、呪いの王・両面宿儺が神様の元へとやってきた。一瞬にして神社やその周辺は禍々しい呪いに覆われ穢された。呪いの王は一言「退屈だ。相手をしろ」と神様に言い、その後3日3晩乱暴に犯され続けた。私欲のために四肢の関節ははずされ、背中や臀部に長い爪を突き立てられ常に皮膚の奥にある肉が見えた状態にされ、出血してない箇所を見つける方が困難なほど全身血まみれの状態だった。3日目の夜を迎え、動けなくなった神様に興味が薄れたのか、ふと姿を消した両面宿儺を見て、全身に激痛が走る中、命からがら神社から逃げた神様は、近くにある池の中に逃げ込んだ。そこには、蛙の土地神が住んでいた。両面宿儺から逃げ切るために神様その蛙の土地神と縛りを設けた。両面宿儺をこの池の中に入れない代わりに、自分はここから一歩も外に出ず通力を使い池の水を浄化し続ける。と。

その後、神様の居場所を見つけた両面宿儺は、自分が池の中に入れないことを知り、神様が自ら外に出てくるように仕向けた。近くの村に住む100人の村人を使って・・・・。
呼びかけても神様が外に出てこなかったため、両面宿儺は、村人1人ずつの首や胴体をへし折り、池へと投げ入れていった。何人目で外に出てくるか。と楽しんでいたらしい。悲鳴が響き渡り、池の水はどんどん赤く染まった。池の中には屍が積み重なり、恨み言の一つ言えなくなった身体は目で言葉を訴えかけてきた。神様は縛りのせいで外に出ることができず、どれだけの村人が犠牲になろうとも外に出なかった。100人全員の死体と血が入り混じった池には瘴気が漂い、その中にいた神様は穢れ始め、両面宿儺が入れぬように結界を張った時に相当量の通力を使用した蛙の土地神はその瘴気に耐えることができず、腐敗して消滅した。

神様はその穢れた池の中で1000年もの間、通力で池の水を浄化し続け自らを顕現させた。そして、1000年経ったある日神様の元に現れたのが私だった。
最初は、池の近くで何かしている者がいる。としか思っていなかったようだ。時折聞えてくる声を聞いて子供か。と、認識した程度で興味もなかった。と。


『数百年の間、池に降り積もった葉で光は入らなくなり、暗闇の中ずっと一人罪を背負って生きてきた。でも、ある日突然その闇は晴れた。水の上をずっと覆っていたものが消え数百年ぶりに光を見た。そして、光に照らされた汝の笑顔を見た時、死んでいた心がまた動き出した感覚がした』
「・・・・・。」
『すぐに飽きると思っていたのに、毎日飽きもせずにここにやってきて、返事もないのに楽しそうに一人で話す汝を愛おしく思った。言葉では言い表せぬ程嬉しかった。そのことをどうしても汝に伝えたかった』
「それなのになんで、私に取り憑いたんですか?」


私が来たことが嬉しかったというのなら、何故私に取り憑いたのだろう。そんな私に罰を肩代わりさせてまで外に出て自由になりたかったのだろうか?


『池の中で死にかけた汝を助けるためにはそうするしかなかった。水しぶきをあげる程度しか通力を使えない妾が意識を失っていた汝を池から出すためには取り憑く以外に方法はなかった。助けた後もずっと憑いていたのは、妾の通力で満たされたこの池の外では妾は顕現できないからだ。もう妾の体には通力がほとんど残っていない。だから、汝の呪力を通力に変換させて顕現していた。汝の無事を確認した後すぐに消える予定だったが、印が妾ではなく汝についたことに気づいたから離れられなかった』
「じゃあ、ここから出て罰をやぶったのも全部私のせい・・・・」


今の話を聞いてすぐに邪神が縛りを破った原因が自分だということに気がついた。私を助けるために、池から出たから・・・・。


『汝のせいではない。あの時100人の村人を見殺しにした癖に、汝だけは死なせたくないと思った。否、村人たちを見殺しにした時の後悔を汝で償ったんだ。どちらにせよ妾は汝を私欲の為に利用した』
「でも、そのせいで縛りを破ることに・・・・」
『罰を汝に受けさせるつもりなどなかった。しかし、取り憑いた時に本体とみなされた汝に印がついてしまった。本当にすまなかった』


私を助ける為に『神様』が縛りを破ったことを知り、胸が締め付けられて苦しくなった。結果として、私がその罰を受けることになってしまったが、それは『神様』にとっても想定外の出来事で、『神様』は自分が罰を受ける覚悟で私のことを助けた。


「私はただ会いたくて来てただけで感謝されることなんて何も・・・・」


涙が止め処なく溢れてきた。出会ったのはただの偶然で、私はただ何もすることがなくて池の周辺や池の水の掃除をしていただけだ。家を不在にしがちの祖母の代わりに話を聞いてもらってただけだ。何も感謝されることなんて・・・・何もしてない・・・・嗚咽が出る程涙が溢れる瞳を両手で覆った。息が上手く吸えなくなるぐらい泣き続ける私の頭を優しく撫でる手に涙で濡れた顔を上げると、そんな私のことを見ないように『神様』の方に視線を向けた悟さんが横にいる私の頭に手を伸ばしていた。


「別に名無しが責任を感じることじゃないでしょ。たしかに池に落ちたのは名無しのドジのせいだし、縛りを破ることになったのも名無しを助けることが理由だったけど、この先いつまでもこの池の中にいるわけにはいかなかったし、どこかで区切りをつけなきゃいけなかったんだ。それがこのタイミングだっただけ」
「でも・・・・」
『そやつの言うとおりだ。いつかはこうなる運命だった。いや、本来ならばもっと早く自分の罪と向き合わなければいけなかったのだ。神として』
「きっと何か幸せになる方法がっ」


そうだ、私がこのまま代わりに罰を受ければ。と一瞬頭をよぎったが、それと同時に幼馴染の痛ましい姿が頭の中を流れて言葉を詰まらせた。私が罰を受ければ私だけではなく周りの人も犠牲になってしまうかもしれない・・・・。


『幸福はすでに汝から十分すぎるほどもらった。今まで1000年以上過ごしてきた中のたった数年だというのに、汝との思い出ばかり記憶に残っている。これを幸せと呼ばずなんと呼ぶ』
「神様・・・・」
『妾の幸せを願うのならば罰を受けさせてくれ。もうこの罪から開放してくれ。これ以上抱えて生きていくのは辛い』
「ほら、邪神もこう言ってるんだから、さっさと縛りを結ぶよ。こいつの気が変わっちゃう前に終わらせよう」
「はい・・・・」


このままここにい続ければ私の心が折れてしまうと感じたのか、悟さんはさっさと縛りを結ばせてこの件を終わらせようとした。神様もそのことに納得しており、「さぁ、さっさと申せ」と促した。


「じゃあ、名無し。口にして」
「はい。私が受けることになった縛りを破った罰をお返しします。その代わり毎年お供え物を持って貴方に会いにきます」
『承知した』


神様がそう口にすると胸にあった印が消え、周囲から集まった黒い瘴気が神様の体を包み込んだ。真っ白だった着物はその上からかぶった瘴気によって黒くなり、綺麗な顔も片目がかろうじて見えるだけで全て覆い隠された。その禍々しい姿を見てまた涙が溢れた。元々、私に取り憑いた神様を引き剥がすためにここに来た。だから、これでいいんだ・・・・これでいい。自分を納得させるために何度も心の中でその言葉を繰り返した。


「人間だと命を失うほどの罰でも、さすがに神様は消滅しないか。でも、神性はほとんど残ってないし、通力もほぼ空だね。これだけの瘴気を自分で浄化するのに一体あと何百年かかることやら。これで本当の邪神になったね」
『それは元より覚悟の上だ』


まるで神様の体から発生してるのではないか。と思うぐらい、体の周りにもとめどなくついている瘴気を見て悟さんは神様が自分で浄化するとなると相当な時間がかかることを口にしたが、神様はまるでなんてことはない。といった様子で返事をした。これだけの瘴気に覆われて、なんでもないわけがない。きっと私に気を使って平気なふりをしてくれてるんだ。


「どんなに苦しくても呪霊化だけはしないでよね。名無しが悲しむから」
『わかっている。もう数百年こうして過ごすだけだ、大したことではない』
「そう。その言葉信じるよ」


「さて、名無し。戻るよ」と言って悟さんは私の腕をひいた。これでいい。これで私の平穏な毎日が戻ってくる。少しの間このことを思い出して胸が苦しくなるかもしれない。だけど、数年経てば自然と忘れていく。毎年1度だけお供えしにここに来ればいい。ただそれだけだ。


『名無し。長生きせよ』


右目しか見えない姿だが、瘴気の奥で笑顔を浮かべているように見えた。その姿を見た瞬間、私の気持ちは溢れ出した。悟さんの腕を振り払い神様に駆け寄り抱きついた。悟さんから離れたら術式が解けてしまうかと思ったが呼吸はできた。


「やっぱりダメです!」
『名無し』
「名無し離れて。いくら僕の術式があれば大丈夫だからって直接瘴気に近づくのはよくないよ」


神様の体に直接抱きつく私の肩を悟さんがぐっと掴んだが、私はそれを拒否した。


「私の呪力を通力に変換できるんですよね?なら、私から呪力を使ってください」
「名無し。それはただの同情だよ。こんな姿になったのを今目の前で見たからそんなこと思うだけだよ。実際一緒にいることになれば、あんな事故は起きないにしても、瘴気に引き寄せられて不幸が君の身に降りかかることになる。すぐに一緒にいるのが嫌になるだろう。その時、君はコイツのことを捨てられる?無理だと思うよ。だって、君善人だから。そんな君の姿を見てこの邪神が喜ぶと思う?」
「村人を死なせてしまった罰を神様が受けなければいけないというなら、私は、神様をこんな風にした罰を受けるべきです」
『そんなこと妾は望んでおらぬ。早く地上へ戻れ』
「私が一緒にいたいんです。これは私のワガママです・・・・」


瘴気の中に手を差し入れて、神様の両手を握り締めながら真っ直ぐに目を見つめて伝えた。本当にワガママだと思う、神様の気持ちなんて何も考えてない。ただ私が一緒にいたいだけだ。ひどい女だと思う。それでもどんなことをしてでもこの願いだけは叶えたい。


「もしかしたら、私が生きている間に神様の瘴気は浄化しきれないかもしれない。そんな貴方をおいて一人死んでいく私をひどい女だと思う日がくるかもしれない。なんて、自分勝手な人間なんだと思うかもしれない。それでも、この願いだけは叶えたい」
『妾はこの池の外では汝に取り憑かねば顕現すらできぬ。妾は邪神だ。そばにいれば必ずお前を不幸にし続けるだろう』
「かまいません。私の体を使ってください」
『いつか必ず後悔するぞ』
「後悔するかもしれないです。それでも一緒にいたいです」


涙を流しすぎて頭の中がぐちゃぐちゃで自分でも何を言っているのかわからなくなった。もう正常に脳が動いてなんかいない。それでも一緒にいたいと言う事だけは伝え続けた。


『・・・・本当にひどい娘だ。妾にこんなにも離れがたい思わせるなんて・・・・』
「これは縛りではありません。私は貴方を縛ったりしない。自分の意思で私と生きて欲しい。私を選んで欲しい」
『名無し。今の妾は汝に幸せを与えるどころか不幸にし続けるだろう。それでも、共にありたいと願ってもよいだろうか』
「はい、もちろんです」


お互いに手を握り締めて瘴気に包まれる中、私たちは離れないように身を寄せ合った。悟さんの言うようにこれは神様をこんな風にしてしまった罪悪感かもしれない。いつかこの選択を後悔する日がくるかもしれない。それでも、そんな日がきたとしても、今、私は命が尽きるその日まで神様と共にありたいと思った。


「はぁ・・・・ワガママの一つも言わない子だと思ってたけど、唯一のワガママがまさかこんなやっかいなこととは・・・。これなら、ティファニーの店ごと買って欲しい。って言われた方がまだマシだったよ」


私たちのやりとりをずっと近くで見ていた悟さんは、目隠しの上から眉間を親指で押しながら呆れたように口を開いた。


「悟さん、ごめんなさい」
「名無し。君が思っているよりもずっと大変だよ?ちゃんとわかってる?」
「はい」
「池から出たらこの邪神は君なしじゃ生きていけない。名無しが呪力を与えなきゃ浄化どころか顕現もできない。君次第で神様が力を暴走させることがあるかもしれないし、そのせいで死ぬことになるかもしれない。その他にもまだわかってない制限も多いだろう。それでもいいの?今ならまだ引き返せるよ」
「はい、神様と一緒にいたいです」
「何かあった時の責任を取る覚悟はあるんだよね?」
「あります」
「わかった。じゃあ、名無しのジジイとババアや上層部の説得は僕にまかせて」
「いいんですか?」
「婚約者の唯一のワガママぐらい叶えてあげなきゃね」
「悟さん、ありがとうございます」


その後、悟さんは言葉通り本当に祖母の説得はもちろん、呪術界の上層部にも私の話を通してくれた。反対したのは祖父と上層部の方で、祖父は、ある条件を私がのむ代わり許可してくれた。上層部の人達は高専内で保護するなら。と納得し、GW明けから私は高専で生活することになった。『窓』の人の中に家庭教師をやっている人がいて、勉強はその人に直接寮の部屋で教えてもらうか、問題集を自分で解いて自習したりしている。たまにふらっとやってきた悟さんが呪術に関することだけではなく、勉強を教えてくれるから学校の通っている子たちと学力の面では大差はないと思う。

同じ寮に住んでいる真希さんも最初は名無し家の人間と知って嫌そうな顔をしていたが、悟さんと神様が散々言ってたとおり、事故に合うような大きな不幸は起きないものの、小さな不幸がよく身に降りかかるようになった私を見て不憫に思ったのか、面倒を見てくれている。

神様についてはまだわかっていない部分が多く、通力に変換するために呪力を渡す関係になっても姿は見えないし、声も聞こえない。悟さんがいない時はどうコミュニケーションを取ればいいか?と思っていたが、幸い、一緒に池に落ちたぬいぐるみには触れられるため、そのぬいぐるみを使って私とコミュニケーションを取ってくれている。池に会いに行っていた時は、水しぶきで返事をしてくれていたが、一方的に私が話している感覚が強かった。その時よりも今の方がずっと会話をしている感覚がある。

今朝から盛大に躓いて転んだ私を心配するように「大丈夫?」と私の周りをふわふわとぬいぐるみが浮いていた。「大丈夫だよ」と笑顔で答えると、慰めるように私の頭をぬいぐるみが撫でてくれる。それだけで心が温かくなった。いつかこの選択を後悔する時はくるかもしてない。それでも、今の私は間違いなく幸せだ。





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