今日は伏黒さんとの任務だ。今まで数回一緒に任務を行ったが、私は足手まとい以外の何者でもない。正直、何もできずに迷惑ばかりかけてしまうので、任務のたびに自分の無力さをひしひしと感じて落ち込む日々だ。こんなことならもっと早くから呪力のコントロールの訓練をしておけばよかった。悟さんから渡された呪骸で今日も呪力のコントロールの訓練をしているが、私の頬をツンツンとつつく手が止まることはない。いい加減頬が痛くなってきたので、休憩。と理由をつけて一度呪骸から手を離した。


「私、ダメダメだなぁ・・・・」


伏黒さんと任務先に送ってくれる伊地知さんの2人を高専の入り口前でぼーっと空を眺めながら待っていると、ゲコッ。という鳴き声が聞えた。泣き声がする方に視線を向けるとそこには一匹の蛙がいた。可愛い。住んでいた場所が田舎だったから、蛙はしょっちゅう目にしていたし、手に乗せたりして触ったこともある。だから蛙に対しての抵抗感は全くない。顎の部分を膨らませて鳴く蛙を見て、ふと先日伏黒さんが言っていた言葉を思い出した。


「そういえば、伏黒さんの式神の中に蛙もいるって言ってたような。えっと、たしか、がま。だったかな?影絵はどうやってやるんだろう。玉犬はたしか、こうだったような・・・・」


伏黒さんが玉犬を召喚する時にやっていた手の形を思い出しながらみようみまねで両手を合わせてみたが、どうもしっくりこない。うーん・・・・。


「『玉犬』!・・・なーんて」


式神を召喚するかっこいい伏黒さんのまねをしてみたが妙に気恥ずかしくなって、へへっ。と笑いながら合わせていた両手を下に下ろそうとした時、「全然ちげぇよ」という声と共に突然両手を握られた。


「っ!」
「『玉犬』はこうだ」


ただ両手を合わせていただけの手を少しずらし、左手の親指の付け根に右手の4本の指を添えるように置き、左手の人指し指と中指、薬指と小指をくっつけるように動かされた。


「ふ、伏黒さん!」
「なんだよ。耳元ででけぇ声出すな」
「手続き終わったんですか?」
「あぁ、伊地知さんいたからすぐ終わった。今車持ってくるって」
「そ、そうですか・・・・」


あれを見られていたのは非常に恥ずかしい。と、顔に集まる熱を冷ますために、片手でパタパタと顔を仰いだ。すると「呪骸か?」と伏黒さんに声をかけられた。


「はい。呪力のコントロールの訓練で悟さんからいただいたのですが・・・・このように、まだ上手くいってません」


呪骸を手に取った瞬間また頬へのツンツン攻撃が再開され、私は目をつぶったまま伏黒さんへ説明した。


「へぇ、懐かしいな。俺も昔五条さんにやらされた。でも、俺の時は殴ってくるやつだった」
「えっ?!殴ってくる呪骸ですか?!」
「あぁ、一発がすげぇ痛くてすぐにコントロールできるようになった」
「へぇ。私もそれにしたらもっと早くコントロールできるようになりますかね?」
「いや、お前はやめとけ。一発で家入さん案件になる気がする」
「ひぃ!」


伏黒さんが持つと案の条呪骸は大人しくなった。いいな。と、その光景を眺めていると、「ほら、がんばれ。強くなるんだろ」と、強制的に持たされ、ツンツン攻撃が再開された。さっきから頬の痛覚が薄れてきてるのですが、これまたほっぺた腫れてませんか?





「高いですね・・・・」


名無しは目の前にある建物を見ながら第一印象を口にした。今回は高層マンションに出た呪霊を祓う任務だ。マンション内で変のものを見た。という人が多発し、その後1人が死亡したのをきっかけに住人は次々に別の住居へと引越し、今このマンションには誰も住んでいない。


「今回は2級呪霊の案件です。名無しさんもいるので、無理せず、何かあればすぐに引き返してください」
「わかりました」


帳を張った伊地知さんに声をかけられた伏黒は気を引き締めて名無しと共に建物の中へと入った。玉犬を出し1階から順番に見て回ると、1階の中心にある部屋のドアの鍵が閉まっており開かなかった。


「この部屋開かないですね」
「住人の物置かなんかだろう」


居住スペースは2階からで1階には広いロビーや住人たちのメールボックス・宅配ボックスが配置されている以外何もなかった。この開かない部屋もきっと住人たちの物置かなにかだろう。と思った伏黒はその部屋が開かないことに何の疑問も持たなかった。1階からは強い呪いの気配を感じなかったため、伏黒と名無しは階段で2階から順に上の階へと進んでいった。7階まで見て回ったが特に強い呪いの気配は感じず更に上へと登っていった。8階に辿り着いた2人はさっきまでとは違う強い呪いの気配を感じ、上の階に続く階段を見た。


「名無し。たぶんいるぞ」
「はい」


伏黒に呪霊がいる。と伝えられた名無しは、手に持っている呪具を強く握り締めた。玉犬を先頭にゆっくりと階段を登りきると2人は目の前の光景に目を見開いた。


「なんですか・・・・これ・・・・」
「全部呪いだ」


9階のフロアの床や壁が全て呪いで黒く塗り潰されていた。強い呪いの気配は感じるが、このフロア全体から感じるため、どこに呪霊がいるかはもっと近くまで寄らないと玉犬が感知できない。踏み込むのもためらうようなその光景に2人は数秒足を止めたが、伏黒の「行くぞ」という声に従い9階のフロアに足を踏み入れた。
表面が光っているように見えたことからその上を歩くと滑るかと思ったが、足を置いた部分からはさらっとした感触がした。これなら名無しが転ぶ心配はないな。と、『不運』のことを考えて伏黒が安心していると玉犬が足を止めた。呪霊が近いことを察し伏黒も足を止めて身構えていると、突然「ふわぁ!」という名無しの悲鳴が後ろから聞えてきた。


「名無し!」


伏黒が慌てて後ろを振り返ると、そこには転んで床に四つん這いになっている名無しの姿があった。伏黒は、はぁ・・・・と小さくため息をつき名無しに「大丈夫か?」と声をかけた。


「はい、大丈夫です。何かにつまずいた気がしたのですが、気のせいですね」
「呪霊が近くにいるんだ。気ぃ抜くな」
「はい、すみません」


名無しはすぐに立ち上がり、転んだ時に脱げた片方の靴を取りに後ろの道へと戻った。その光景を、やっぱこんな平坦な道でもアイツ転ぶのか。と、見ていると、伏黒はある事に気づいた。


「名無し!そっちに行くな!」
「へっ?」


名無しがまさに今足を置こうとしている部分を見た伏黒は慌てて名無しに声をかけたが、途中で止まれなかった名無しはそのまま床に足を置いた。しかし、そこにはあるはずの床がなく体は前に傾いていった。


「名無し!」
「伏黒さん!」


穴になった箇所に体が落ちていく中、後ろを向いた名無しは自分の元に走ってく伏黒に手を伸ばしたが、その手が伏黒の指に触れた瞬間、重力に従って名無しの体は落下していった。伏黒は迷うことなく名無しの後を追って穴に入った。そして、穴の直径が2m以上あるのを見て伏黒は両手を構えた。


「『鵺』!」


伏黒に召喚された鵺は伏黒の体を爪で掴んで落下し、伏黒は自分の下にいる名無しの体を抱きしめるように掴み、2人の体は床に叩きつけられることなく着地した。


「大丈夫か?」
「び、ビックリしました・・・・」


まだ伏黒の腕の中にいる名無しは声を震わせながら伏黒の顔を見つめた。9階の高さから恐らく1階まで一気に落ちたため、名無しの心臓はバクバクと激しい音を鳴らしていた。


「あの穴いつからあったんだ?」


自分の真上に存在する9階から直線に続いている穴を見ながら伏黒は疑問を抱いた。伏黒もあの穴の上を一度歩いているが床に違和感を感じなかった。それが、名無しが靴を取りに戻った時には床が消えて穴が存在していた。恐らく、穴を隠すように呪いが貼り付いており、それに気づかれないように9階全体に強い呪いの気配を充満させたのだろう。
となると、呪霊の目的はここにターゲットを連れてくることだ。この部屋の中に呪霊がいる可能性が高い。と、伏黒は身構えた。部屋の電気が消えているため今落ちてきた穴から入り込んでくる光しか明かりはないが、穴が広いためその光だけでも部屋全体に光が広がっている。しかし、壁全体が真っ黒なため光が入っている状態でもとても暗く感じた。この部屋の中にも呪いの気配が充満しており気配で呪霊を見つけることができない伏黒は一度解除した玉犬を再度召喚してこの部屋から出た方がいい。と、奥にある扉に向かって歩き始めた瞬間、突然何かが自分たちに向かって飛んでくる気配を感じ、瞬時に後ろにいる名無しの体を強く押した。


「名無し!」
「きゃあ!」


伏黒に体を押された名無しは床に倒れながら自分と伏黒の間に飛んできた黒い液体を見て目を見開いた。すぐに2人がその液体が飛んできた方向に目を向けるとそこには先ほどまでいなかった頭の上に2本の筒がついている楕円形の白い呪霊がいた。


「っち!」


やはりこの部屋に充満している強い呪いの気配が邪魔をして呪霊の気配がわかりにくい。と、伏黒は舌打ちをした。だが、見つけさえすれば後は祓うだけだ。と、玉犬を召喚しよう。と手を構えた瞬間、呪霊の頭についている右側の筒が膨らんでいるのが見えた。そして、そこからこちらに向かってまた何かが飛んでくるのが見えた。


「『蝦蟇』!」
「へっ?・・・ぐえっ!」


立ち上がったばかりの名無しに向かって飛んできた白い液体を見て、伏黒は瞬時に蝦蟇を召喚して名無しの体を少し離れた場所に引っ張った。急に体を掴まれて引っ張られた名無しは手に持っていた呪具を落としながら蝦蟇の口の中に入った。


「さっきと色がちげぇ」


さっき飛んできた黒の液体とは違い今回は白い液体が飛んできた。一体あの液体に何の効果があるんだ?と、伏黒は液体がかかった壁に目を向けたが、ただ液体がかかっている。ということ以外何の変化も見えなかった。とりあえず、溶けるなどの効果は無さそうだ。と少しだけ安心をした。


「ふ、伏黒さん・・・・」


未だに蝦蟇の口の中に入っている名無しは、か細い声で伏黒の名前を呼んだ。


「名無し!とりあえずお前は蝦蟇の口の中にいろ。呪霊が出す液体に何の効果があるかわからねぇが、溶けたりする効果はなさそうだ。お前の方に液体が飛んでったとしても、その中に入れば大丈夫だ」
「は、はい。わかりました」


名無しの方に液体を飛ばされたとしても蝦蟇で受け止めれば大丈夫だろう。と伏黒は考えた。これで名無しを気にせず祓うことに集中できる。と、玉犬を召喚しよう。とした瞬間、今度は呪霊の頭についている左側に筒が膨らんだ。避ける準備をしよう。と伏黒は身構えたが、何故か呪霊は自分の横にある壁に黒い液体をかけた。一体何の目的でそこに黒い液体をかけたんだ?と、疑問に思っていると、間髪いれず次は右側の筒が膨らみ名無しの方に向かって白い液体を飛ばした。


「蝦蟇、避けろ!」


伏黒が呼びかけると、蝦蟇は呪霊に背を向けた状態でジャンプをして逃げたが、先ほどよりも量が多い白い液体が蝦蟇のお尻の部分にかかった。だが、案の定溶けたり蝦蟇が痛みを感じている様子はなかった。そのことに安堵していると、「きゃあ!」という名無しの悲鳴と共に伏黒の視線の端で何かが急速度で動くのが見えた。


「蝦蟇!」


その何かが蝦蟇だと気づいた伏黒は、蝦蟇が飛んでいった方向を見ると、そこには壁にくっついて動けなくなっている蝦蟇の姿があった。それを見てすぐに術式を解除した。しかし・・・・


「なんで解除できねぇんだ・・・・」


伏黒が術式を解除したにも関わらず蝦蟇は壁にくっついたままだった・・・・。


「いったぁ・・・・」


壁に引っ張られた蝦蟇の口から強制的に排出された名無しは受身を取ることができず顔から床に落ちたため、ジンジンと痛む顔を押さえながら顔をあげると、「名無し避けろ!」という伏黒の焦った声が聞えてきた。


「へっ?・・・・きゃあ!」


避けるどころか立ち上がることができなかった名無しは自分に向かって叫んでいる伏黒に顔を向けた瞬間、背中に軽い衝撃と共に何か液体がかかった感覚がした。そして、それを認識したのと同時に強い力で体ごと壁に向かって引っ張られた。


「がはっ!」
「名無し!」


結構な勢いで背中から壁に衝突したため体中の空気が咳となった吐き出された。すぐに名無しが顔を上げると呪霊が自分に向かって近づいてきているのが見え、すぐにここから離れなきゃ。と思ったが、体が壁に張り付いて動けなかった。


「嘘・・・・」


前に進もうにも背中が引っ張られて進むことができない名無しは、「んー!」っと足に力を入れて前に踏み込んだがそれでもビクともしなかった。伏黒はすぐに名無しの元に駆け出したが、それに気づいた呪霊は伏黒に向かって黒い液体を吐き出した。


「っ!」


飛んできた液体に気づいた伏黒は足を止めて避けるために後ろに体を引くと、黒い液体が伏黒の目の前を通りその横の壁にべしゃっ!とかかった。間一髪のところだった。と安堵したのもつかの間、今度は伏黒に向かって壁に沿って置かれていたロッカーが飛んできた。


「伏黒さん!」
「くっ!」


そのロッカーも無事に避けた伏黒は飛んできたロッカーに白い液体がかかっていることに気がついた。


「物も飛ばせるってことか」


呪霊に視線を向けたまま足を止めていると、呪霊はまた伏黒に向かって黒い液体を飛ばしてきたが、伏黒はまたそれをギリギリの所で避けた。そして、また間髪入れずロッカーが伏黒に向かって飛んできた。高さが伏黒の身長ほどしかないロッカーを避け続けるだけならこのままでも大丈夫だがこれでは一向に名無しの元に辿り着けない。と思った伏黒は自分があちらに行くのではなく名無しにこちら側に来てもらうことにした。


「名無し!上着を脱げ!」
「は、はい!」


動こうにも背中が壁にくっついて動けずにいた名無しに向かって伏黒は上着を脱ぐように指示を出した。それを聞いた名無しはすぐに上着のボタンを外していると・・・


「名無ししゃがめ!」
「へっ!?きゃあ!」


名無しに向かって液体を飛ばそうとしている呪霊の動きにいち早く気づいた伏黒は名無しに液体から避けるように指示を出すと、間一髪のところで上着を脱いだ名無しは横に避けながらしゃがみこんだ。壁にくっついたままの上着は黒い液体まみれになっていた・・・・。その光景に視線を向けていると、遠くから何かがこちらに向かって飛んでくるのが見え、すぐに立ち上がった名無しは頭をかがめながら伏黒の元に向かって走った。




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