「また新たな微小特異点か」


「そうなんだよ。最近多くてこっちも困り果ててるんだ。名無くんー、また調査しに行って来てくれないかい?」
オペレーションルームのモニターに映し出された、新たな微小特異点の反応を見ながら、名無がため息をつくと、レオナルド・ダヴィンチは困り顔をして名無の顔を見つめた。


「それが俺の仕事なんだから、頼まれなくたって行く」


「おお、頼もしいね!」


「茶化すな」
七つの特異点が発生したことで大きな時間の揺らぎが他の歴史に波及したことにより、発生し始めた微小特異点が、どういうわけか、ここ一月の間に大量発生し始めた。
まだ、ぽつぽつとしか発生していなかった時は、外からでは情報が確認できない全ての微小特異点を藤丸立香がレイシフトをして調査を行っていたが、人類最後のマスターの負担軽減のため、そういった微小特異点には、まず、名無が行き、そこで調査を行い、藤丸立香の介入が必要かどうかの判断をすることとなった。立香のため、自らその役目を引き受けたはいいが、毎日のようにどこかしらの特異点に足を運ぶこととなった今、さすがに今日ぐらいは休ませてくれ。と、名無は頭を抱えそうになっていた。


「じゃあ、準備でき次第「ちょっと待ってください!」
名無が出口に向かって歩き始めた時、オペレーションルームのドアが開き、片目が髪で隠れたメガネの少女が姿を現した。


「マシュどうした?急ぎの用か?俺、これからレイシフトしに行かなきゃいけねぇんだけど」
自分に向かって視線を向けるマシュを見て、自分に何か急ぎの用事があるのだろう。と察した名無は、申し訳なさそうにマシュに眉を下げながら伝えると、すぐに「えっと、急ぎの用とかではなく・・・・」と、何か言いにくいことを話したいのか、両手をもじもじさせ始めた。その様子に名無が首を傾げると、2人の様子が気になったのか、ダヴィンチが近くに寄ってきた。


「一体どうしたんだい?マシュ」
珍しいマシュの様子にダヴィンチは心配そうに声をかけた。すると、「あ、いたいた!」と明るい声が聞えてきた。


「名無さん!これから微小特異点の調査しに行くんでしょ?」
オペレーションルームの中に元気よく入ってきた立香を見て、さっきまで少し困った顔をしていたマシュは「先輩!」と花が咲いたように明るい表情へと変わった。


「そうだけど、どうかしたか?」


「いやー。名無さん、最近一人で調査しに行って大変そうだから、今日は助っ人呼んできたの」


「「助っ人?」」
立香の突拍子もない提案に、名無とダヴィンチは驚きの声をあげた。


「そう。さぁ、入って入って!」
立香は、一度オペレーションルームの外へ出て行ったかと思うと、すぐに誰かの腕を掴んで戻ってきた。腕を引かれてやってきたその人物は「えっ、あっ、ちょっと!」と、戸惑いを隠せないようだった。


「じゃーん!冥界の女神エレシュキガルでーす!」
そう言って、エレシュキガルを名無の前へ、ぐいっと押し出した。急に、押されたエレシュキガルは、「わぁっ!」と驚き、目をそわそわとあちこちにさまよわせて、落ち着かないのか、自分のマントの裾を掴んで、両手であわせるようにしてグリグリしていた。


「おー。エレシュキガルがついて行ってくれるならこちらとしても心強いよ」
ダヴィンチは拍手喝采の勢いで喜びを表しており、エレシュキガルの横にいる立香も我ながら大変良いことをした。という誇らしげな表情をしていた。マシュに関しては、そんな立香に拍手を送っていた。


「話しは聞いているのだわ。これから、レイシフトするのでしょ?もし、貴方が一人で行くのが不安だっていうなら、特別に、ついて行ってあげてもいいのだわ」
よし、華麗に決まった!ちゃんと言えたのだわ!1週間このセリフを言う練習をした甲斐があったのだわ。と内心エレシュキガルはとても喜んでいた。しかし・・・・


「いや、別に不安とかないから、助っ人はいらないぞ」
名無は、無常にも断ったのであった・・・・・。「・・・・・。」という、無言の空間が生まれ、なんだこの空間は。俺、なんか変な事言ったか?と名無が考えていると、


「え、エレシュキガルさん、しっかりしてください!大丈夫です!これぐらいではまだ死なないです!座に還らないでください!」
マシュの叫びにも似た声を聞き、名無は周りに向けていた視線をもう一度エレシュキガルに戻すと、今の一瞬でこの世の終わりのような表情に変わり、今にも倒れそうになっているエレシュキガルの身体をマシュはがっちりと支えていた。座に還るってマシュは何の話をしてるんだ。と、名無は首を傾げていた。その後もピクリとも動かないエレシュキガルをマシュが懸命に介抱していた。


「えっ、なんで断るの?!」
立香は、名無の服を掴みながら、ぐわんぐわんと身体を揺すった。


「なんでって、今の所、別に困ってねぇし、助っ人とか必要ないだろ」


「で、でも、この前名無さん怪我して帰ってきましたし、やはり、戦闘能力のある方が助っ人で必要なのでは!」


「いや、あれはただ転んだだけ・・・・そういえば、あの日部屋の前に救急箱置いてあったな・・・・置き手紙も何もなかったからてっきりどこかから聞きつけた婦長かと思ってたけど、マシュだったのか」
レイシフト先で着地に失敗して膝をすりむいて帰ってきた日に部屋に戻るとドアの前に救急箱がちょこんと置いてあったのを思い出した名無は、あれはマシュが置いたものだったのか。と思い、そのことを話すとマシュは首を横に振った。


「いいえ、あれは、エレ・・・・うぐっ!」
突然口を塞がれたマシュは自分の口を塞いだ人物をぎょっとした顔で見つめた。マシュの口に手を伸ばしたのは、さっきまで死んだように固まっていたはずのエレシュキガルだった。顔を真っ赤にさせて何やら慌てたようにマシュに何かを呟いているが、死角になっている名無は一体何を話しているのかわからなかった。


「とにかく、俺はもう行くからな」
なんだかわちゃわちゃし始めた空間に耐えかねた名無はその場から去ろうと足を進めると、突然、袖をぐっと掴まれた。また立香か。と思い、「しつこいぞ」と言い、振り向こうとしたが、そこには思いも寄らぬ人物がいた。


「エレシュキガル?」


「・・・・一緒に・・・・一緒に行きたいのだわ」
不安そうに眉を下げ、名無の袖を掴んでいない方の手は自分の胸元へと寄せられ、ぎゅっと、マントの合わせを掴んでいた。よく見ると、袖に伸ばされた腕は震えており、相当緊張しているのが誰の目から見てもわかった。


「もちろん、貴方が迷惑じゃなければだけど・・・・」
最初は、名無の目をじっと見つめていたが、返事がない不安からか、段々あちこちに視線を動かし始めた。そんなエレシュキガルに名無は「っふ」と笑った。


「助っ人はいらない。って言っただけだ。ついて来たいならついて来ていいぞ。じゃあ、また後でな」
そう言って、エレシュキガルの頭をぽんぽんと叩いて名無はオペレーションルームを出て行った。


「よかったね、エレシュキガル!・・・・・エレシュキガル?!」
立香はすぐにエレシュキガルに駆け寄り、頑張りを讃えながら顔を覗き込むと、エレシュキガルは突然両手で顔を覆い隠してしゃがみこんだ。


「き、緊張したのだわ!胸がバクバク言ってて破裂しそう!」


「そうだよね!緊張したよね。よしよし、よく頑張ったね」
立香は、しゃがみこんでいるエレシュキガルの視線に合うように床に膝をつけ、緊張からか震えているその体をマントの上から優しく撫でた。オペレーション内は「よかったね。エレシュキガル」「よく頑張ったね。エレシュキガル」という温かい賞賛の空気に包まれたのであった。



―――――――――――



〜数日前〜


「名無は今日もこれからレイシフトかしら?」
突然オペレーションルームに現れたエレシュキガルに、オペレーションルームにいた者たちは、何の驚きもせずに、むしろ、そろそろ来る頃だと思ってた。と言わんばかりに自然な反応を見せた。


「おや、今日も見に来たのかい?女神様は相当名無くんにお熱のようだね」
エレシュキガルに話しかけられたダヴィンチは、からかうようにニヤリと笑った。


「そ、そうじゃないのだわ。ただ・・・・・何が起きるかわからない場所に一人で行っているのが心配なだけで・・・・・」


「そんなに心配なら一緒に行ってあげればいいのに」


「そ、そんなことできるわけないじゃない!すれ違うだけでも心臓がバクバクするのに・・・・それに、もし、断られでもしたらショックでどうにかなってしまうのだわ・・・・」


「あー・・・・なるほどね。名無くんそんな非道な子じゃないと思うけどなー」
想像しただけでも落ち込む。と悲しげな顔を見せるエレシュキガルにダヴィンチは、温かい目を向けた。彼はクールだけど、人の想いを無碍にするような子じゃない。うん。そう思いたい。とまるで自分に言い聞かせるように心の中でつぶやいた。


[レイシフト準備完了。目標、微小特異点に設定]


「名無くん行っちゃうよ?今日も声をかけなくていいのかい?」
名無の横でレイシフトの準備を行っていたスタッフからの通信がオペレーションルームに届き、ダヴィンチはエレシュキガルに問いかけたが、エレシュキガルは、すぐに首を横に振った。


「いいのだわ。私なんかが声かけたって仕方ないもの・・・・」
名無がレイシフトをする度に毎回オペレーションルームに来て彼の帰りを待ち続ける彼女に何か手助けをしてあげたい。と思ったダヴィンチだが、こうも断られてしまうと、無理強いすることもできないし・・・・と思い、「わかったよ」と答えた。


[アンサモンプログラム、セット。量子変換開始。名無し名無レイシフト全行程クリア。行けます!]


「微小特異点調査開始!」
スタッフの準備完了の声を聞いて、ダヴィンチはレイシフトを開始させた。


「はぁ・・・・・今日も無事だといいのだけど・・・・・」
両手を祈るように合わせながらモニターを見つめ続けるエレシュキガルの耳に突如『うおお!』という名無の叫び声が聞えてきた。


「えっ?!言ってるそばから何?!何があったの?!」


「おー。これは、結構な高さから落ちているようだねー」


「落ちてるの?!大変なのだわ!何とかしてって・・・・どうしたらいいのかしら!というか、なんで貴方はそんなに落ち着いているのよ!」
大慌てしているエレシュキガルとは違い、何故かダヴィンチは落ち着いた表情で冷静に状況を分析しており、周りのスタッフたちも、顔色一つ変えずに、パタパタとキーボードを叩いていた。


「えっ?!名無くんなら大丈夫だよー。ちゃんと着地するさ」


『防御壁!』
オペレーションルームに名無が魔術を使用した声が聞えてきた後、ドサッという、何かにぶつかった音が聞えてきた。


「ほらね。無事に着地した音が聞えただろう?」


「大丈夫かしら、どこもケガしてないかしら・・・・」


「エレシュキガル。落ち着いて・・・・・名無くん、大丈夫かい?」


『あぁ、少し膝を擦りむいたぐらいで、他は問題ない』


「す、擦りむいた?!大変!そこからばい菌が入ったりして、変な病気になったりでもしたら!あぁぁ!救急箱取ってくるのだわ!」
名無がケガをしたという情報を聞いたエレシュキガルは、慌ててオペレーションルームを飛び出していった。


「あ、ちょっと待ちたまえ!・・・・・って、もういない・・・・」
今救急箱を持ってきたからってすぐに名無の治療ができるわけじゃないのに・・・・と思い引きとめようとしたが、彼女の足が止めることはなかった・・・・


『ダヴィンチ。さっきからなんか叫んでるの誰だ?何か、通信不良でよく聞えない』


「あー。なんでもないよ。君は調査を続けてくれたまえ」


その後、救急箱を取りに行ったはいいが、レイシフトから戻ってきた名無に直接渡す勇気がなかったため、苦肉の策で部屋の前に置くエレシュキガルであった。