「ダヴィンチ、魔力反応だ。立香を呼んでくれ」
名無がそう言ったのは、新たな微小特異点にレイシフトしてすぐのことだった。着いてすぐに魔力検知機を取り出して魔力を計った名無は機械の波形が触れたのを見てすぐにダヴィンチに連絡をした。


その後すぐにカルデアへと戻った名無とエレシュキガルは、大した会話もせずにその場で別れた。
普段名無と気軽に会話ができないエレシュキガルはもっと名無と話したいと思い引きとめようとしたが、いつものように微小特異点での共通の話があるわけでもなかったため、引きとめようと伸ばした手をそのまま下に下げた。


予定もなくなったし、何をしようかしら・・・・とカルデアの中をぶらぶら歩いていると、談話室の前で職員数名がきゃっきゃと黄色い悲鳴を静かにあげながら何かを食い入るように見ているのが目に入った。
何があるのかしら?と興味本位で近づくと、談話室の中にある大きなクッションの上で名無が寝ていた。その様子を職員たちは普段は本人の目も気になってガン見することができないこともあり、ここぞとばかりに見ていた。礼儀をわきまえているため、写真を撮ったりはしないが、全力で脳内にこの光景を焼きつける!という気迫が感じられるほど、じーっと名無の姿をガン見していた。これはカルデアではよく見る光景だ。


「はぁ・・・・眼福」


「ほんといつまでも見てられるわ」


「私は何度か見てるけど、そのたびに見ちゃいけないものを見ている気になるのよね」


「その気持ちわかるわ」


「徹夜明けに名無くんは特に染みるー」と、三者三様にそれぞれが恍惚とした表情でため息混じりに言葉を発した。見ちゃいけないものを見ているという感覚が強いのか、顔を手で覆い指の隙間から覗き見ている者までいた。

普段睡眠時間が少ない名無は時間があれば、所構わずどこでも寝ている。文字通り、『所構わず』だ。最近は、微小特異点が連日発生していることもあり、その行動に拍車がかかり、廊下にある大きな窓の縁に座って寝ている光景を目撃することもある。いつの日か、自室で寝たほうがいい。とエレシュキガルが進言したことがあったが、この方が何かあった時にすぐに動けるから。と、意見は聞いてもらえなかった。


「本当に綺麗ね」
小さく黄色い悲鳴をあげながらひそひそと話している職員たちに混ざってエレシュキガルが小声で発すると、「えぇ。本当は写真に収めてずっと見ていたいけど我慢、我慢・・・・」と答えたあと、全員がエレシュキガルのことを驚いた顔で見つめた。


「あ!エレシュキガル様!こ、これは違うんです!」


「ごめんなさい!ちょっとした出来心で!」


「普段見ることができないのでつい・・・・」


「お許しください!」


エレシュキガルの姿を見た職員たちは、すぐに謝罪の言葉を口にして頭をぺこぺこと下げた。その様子に、エレシュキガルは、えっ?と戸惑っていると、「失礼します!」と逃げるようにその場から去って行った。何に対しての謝罪なのかまるでわかっていないエレシュキガルは、一人ぽつんとその場に残されたまま首を傾げていた。改めて談話室の中に目を向けると、そんなやり取りなんて耳に入っていないのか、名無はピクリとも動かず、気持ちよさそうに寝息を立てていた。
廊下を見渡して、誰も近くにいないことを確認したエレシュキガルは、そろっと談話室の中へと入り、名無の前で膝を折った。


「本当に綺麗」
もう何度も口にした言葉だが、改めてもう一度口から出るほど名無は美しかった。シミや肌荒れ等一切ない陶器のように真っ白で美しい肌、程よく凹凸がしっかりとしているパーツ、そして、見ただけでわかる程柔らかそうな赤く色づいた唇。どこ一つとっても完璧そのものだった。皆が見惚れるのも無理はない。でも・・・・


「いくらカルデアの中が安心できる所だからって、こんな不特定多数が行き来する場所で無防備な姿を晒すだなんて危機感がなさすぎるのだわ」
規則正しい寝息をたてながら穏やかな表情で寝ている名無を叱るように声をかけたエレシュキガルは名無の頬を軽くつついた。その瞬間、うっ。と眉間に皺を寄せた名無を見て慌てて手をひっこめたが、すぐにまた穏やかな表情で眠り始めた。その様子にほっと息をついた。


「びっくりしたのだわ」
自分から接触した癖にいざ起きるような反応をされると慌ててしまった。最近レイシフト続きだったからきっとお疲れだろう。ここはそっとしておこう。


「ゆっくりと眠りなさい。私が貴方の安眠を守ってあげるから」
この部屋に誰も入ってこれないように入り口に魔力をこめておこう。と思い、寝ている名無に微笑みかけていると、「あら、夜這いをするにはまだ日も高いけど」と言う声が突然聞えてきて、エレシュキガルは小さく悲鳴をあげながら驚いた。後ろを振り向くと、そこには同じ顔が2つあった。


「日が明るくてもいいんじゃない?ここには『だーれも』いないんだし」
そう言った同じ顔の2人は、口元に手を当てながらくすくすと笑った。


「よ、夜這いじゃないのだわ!」
破廉恥な疑惑をかけられたエレシュキガルは立ち上がりながら大きな声で否定の言葉を口にした。


「襲う一歩手前のように見えていたけど見間違いだったかしら?」


「いいえ。あとちょっと私たちが来るのが遅かったら大事な名無が冥界の女神様に襲われてたかもしれなかったわ」
わざとらしく2人で顔を見合わせながら、危なかったわ。と口にするステンノ、エウリュアレは、意地の悪い笑みを浮かべた。


「そ、そんなことしないのだわ!」


「どうかしら?それより、そんなに大きな声を出して大丈夫かしら?名無が起きちゃうわよ?」
ステンノの言葉を聞いて、エレシュキガルは慌てて名無を見ると、名無は少し苦しそうに眉間に皺を寄せて「うぅ・・・・」と声を出した。恐らく、眠気が強すぎてまだ眠っていたいのに無理矢理意識が覚醒させられそうになっているのだろう。その様子を見たエレシュキガルは、はっ!と慌てたように両手で口を覆った。そんなエレシュキガルの様子を見てまたくすくすと2人で笑った後、2人は大げさにため息をついた。


「はぁ・・・・レイシフトからすぐに帰ってきたって聞いたから、名無で遊ぼうと思ってきたのに寝ているだなんて残念だわ」


「えぇ。本当に」
がっかりした表情を浮かべた2人にエレシュキガルは眉をひそめた。


「・・・・またありもしない伝説の玉でも探しに行かせる気?」
エレシュキガルは、2人に向けて怒りを含んだ目を向けた。


「あら、知っていたのね」
ステンノ、エウリュアレはその目を見ても怯える様子など一切なく、むしろ知っていることを知っていたかのような反応を見せた。


「本当に健気に一人で探しに行ってくれるから毎回愛を感じているわ」


「そんなのは愛なんかじゃないのだわ」
名無は以前自分を助け、力をくれたのがどこかの女神だということを知ってから、女神に対して、特に親切に接していた。ワガママで傲慢で自分の楽しみの為なら平気で人間を傷つけるような冷酷な者までいるというのに、そんな者たちに対しても『女神だから』という理由だけで、献身的に接している。特に今目の前にいる2人はよく名無に無理難題をふっかける。ありもしない伝説の宝を探しにいかせるのがお気に入りらしい。元々はマスターに対して行っていた戯れだったが、いつの日は、『お気に入り』になってしまった名無にその矛先が向けられるようになった。
一度目は気づけなくても、数度体験すればそれが嘘だと段々わかるようになってくるが、それでも名無は頼まれれば一人でも探しに行った。
心配で、レイシフトルームのモニターを見ていたエレシュキガルは毎回気が気ではなかった。本人にもう行かなくていい。と言った所で、聞く気がしないと思い、女神たちに直接やめるように言いに行こうとしたが、「いい。俺に矛先が向いているうちは立香が楽できるから。それに今回こそ本当にあったらそれこそ大変だ」と笑いながら言う彼を見て、ぐっと思いを留めた。だけど、そんな彼の思いを弄ぶようなことをするのは許せない。


「いい加減になさい。名無は貴女たちのおもちゃじゃないのだわ」


「失礼ね。おもちゃだなんて思っていないわ。ちゃんとした私たちの僕よ」


「僕ですって?その発言は許せないのだわ」
あっけらかんと名無のことを僕だと言ったステンノのことをエレシュキガルは睨みつけた。


「なんで冥界の女神様に許しを請わなければいけないのかしら。名無にとっての貴女はなに?」


「名無にとって私は・・・・」
知り合い?友達?仲間?それとも、ただの同行者?今の私たちの関係性に名前をつけるとしたら、一体どれが当てはまるのだろう。それが、ぱっと思いつかないぐらい、名無とエレシュキガルの関係性は曖昧なものだった。


「あらあら、困らせてしまったかしら?」
完全に言葉を詰まらせたエレシュキガルをステンノはくすくすと笑いがなら見つめた。まるで最初からまともな返答がかえってこないことがわかっていたかのように・・・・
さて、時間つぶしもほどほどにしてそろそろ名無を起こして遊ぼうか。最近連日忙しそうにしていたからちょっかいを出すのを我慢していたのだ。今日ぐらいは・・・・と2人の考えが一致した瞬間。「でも・・・・」とエレシュキガルは言葉を続けた。


「私にとって誰よりも大切な人なのだわ」


「「っ?!」」
先程の迷いに揺らめく瞳とは一変した真っ直ぐな目で2人を見つめるエレシュキガルにステンノとエウリュアレは一瞬目を見開いた。あぁ・・・・これは・・・・


「いいわ。今日は名無よりも面白いおもちゃ・・・・じゃなかった。お人形を見つけたから、そちらに代わりに遊んでもらいましょうか」
問いかけるようにステンノはエウリュアレに声をかけた。


「ふふっ。そうね」
そう言って2人はエレシュキガルに笑顔で近づいてきた。エレシュキガルはそれを見てすぐに手に魔力を込めていつでも攻撃ができる準備をした。2対1だけれど、力で負ける気はしなかった。名無だけは巻き込まないようにしなければ・・・・と気合を入れなおしていると・・・・


「「えいっ!」」


「へっ?」
ニコニコと近づいてきた2人に突然肩を押された・・・・なんとか後ろに倒れないようにしようと体に力を入れたが、戦闘に備えて前のめりに力を入れていた体はその勢いに耐え切れず、すーっとスローモーションのように後ろに倒れていった・・・・・


「ふわぁっ!」
そのまま後ろに尻餅を付く形で倒れていったエレシュキガルは見事名無の上に落ちていった・・・・


「いっで!」
さっきまで仰向けで寝ていたはずの名無はいつの間にかこちらに背を向ける形で眠っており、その横腹にエレシュキガルのお尻がちょうどよく乗っかった。あまりの衝撃に悲鳴にも似た声を名無は上げて、目を開けた。


「ご、ごめんなさい!大丈夫?!」
エレシュキガルはすぐに名無から体を降ろし、今だに横たわったままの名無の顔を覗き込んだ。


「何してんだよ・・・・」
痛む横腹を押さえながら名無は苦しそうに声を出してエレシュキガルの顔を見つめた。


「ごめんなさい。突然肩を押されて・・・・寝ているのを邪魔する気はなかったのだけれども・・・・」
せっかくの名無の安眠を自分のせいではなかったにしても邪魔してしまったことに罪悪感を覚えたエレシュキガルの言葉は段々と尻すぼみしていった。


「そうか・・・・。悪いけど、まだ眠いから寝ていいか?」
痛みよりも眠気の方が勝っているのか、眉を潜めながらも名無は目を閉じていた。


「えぇ、もちろん」
エレシュキガルはあの2人に文句を言おうと後ろを振り向いたが2人の姿は見当たらず、キョロキョロと視線を動かすと、入り口の前でこちらを見ながらくすくすと笑って去っていく姿を見つけた。やられた・・・・。そうエレシュキガルは思った。


「はぁ・・・・ごめんなさい。もう行くわ・・・」
こんなはずじゃ・・・・と肩を落としながら、あの2人を追いかけて仕返しをしなければ。とその場に立ち上がった瞬間・・・・


「きゃっ!」
突然攫うように腕を引かれた。そして、名無の胸に顔を埋めるようにして後ろに落ちて行った。


「・・・・えっ!名無?!」
最初は状況が理解できず混乱していたが、ようやく状況が理解できたエレシュキガルは慌てた。名無の胸に両手を付きながら体を起こそうとしたが、頭に置かれた手に押され、顔はまた名無の胸へと戻った。


「あの・・・・これは一体・・・・」
名無の心臓の位置に耳があるせいか、規則正しい名無の心音だけが耳に入ってきた。


「一緒にいたくてここまで来たんだろ?ならここにいろ」
相変わらず目を閉じたままの名無はそう言ってエレシュキガルの頭をぽんぽんと優しく叩いた。その言葉を聞いて、エレシュキガルは戸惑った。今すぐここから逃げ出してしまいたかった。羞恥や幸せが溢れるこの状態に耐え切れる自信がなかった・・・・。今すぐ自分の体を拘束している腕をどかせて外へと走り出してしまえばいい。そう頭ではわかっているのに、体は名無のぬくもりを求めていた。その体の要求に答えるようにエレシュキガルは名無の体に自分の全体重を預けて目を閉じた。どうか私の心音が名無に届きませんように・・・・それだけを願って。