ただ水の中に足を踏み入れただけのはずなのに、急に真っ暗になった視界に、わずかに残っている意識の中、何か不思議なことが起きた。ということだけが理解できた。なんだか、だんだん頭の中がぼーっとしてきて、このまま意識を手放してしまったら、良くないことが起きる気がして、必死にまどろむ意識と戦った。


「名無し・・・・名無し・・・・・起きて」
懐かしい。もうずっと遠い昔に忘れてしまったはずの声が聞えてきて、私は重い瞼を持ち上げた。


「あ、やっと目を覚ましたわね。もう夕ご飯の時間よ」
目を開いた先には、もう見れるはずがないと思っていた人の顔があり、私の口からは、思わずその人の名前が口からこぼれた。


「お、かあさん・・・・・」


「ふふっ。まだ寝ぼけているのね。近所のみんなと遊びに行くって出かけたっきり、夕方になっても全然帰ってこないんだもの。心配で探しにきちゃったわ」
お母さんは、未だに呆けた顔のまま固まった私に笑いをかけながら、「さぁ、帰りましょう。みんなとっくに家に帰っちゃったわよ」と言って、寝ている私の手を握って起こした。周りを見渡せば、そこは、最近では横を素通りするぐらいで中に入ることはなかったが、子供の頃毎日のように遊びにきていた近所の公園だった。なんでこんな所に・・・・さっきまで私・・・・あれ?私はどこにいたんだろう・・・・。お母さんに手を握り締められて公園から出るように歩き続ければ、ある異変に気が付いた。視線が低い・・・・。なんで、こんなにお母さんのことが大きく見えるんだろう。そう思って、自分の身体を見れば、今よりも半分の身長しかなかった。握り締められた手もそこから肩に伸びる腕も小学校低学年の時ぐらいの大きさしかなかった。身体が縮んでる・・・・。これは一体・・・・。異変に対して疑問を持ちながらも公園の名前が書かれている看板の横を通り過ぎて敷地から出た瞬間。


「っ!」
またしても目の前が真っ暗になった。一体これは・・・・。あぁ・・・・心なしか、頭の中がぼーっとする。さっきまで色んなことに疑問を感じていたが、どんどん思考能力が衰えていくのが自分でわかった。そんな中で、また「起きて」という声が聞えてきて、私は目を覚ました。


「名無し起きて。遅刻するわよ」
また重い瞼を持ち上げれば、目の前にはお母さんの姿があった。その姿はさっき見たお母さんよりもいくつか年をとっていて、雰囲気が少しだけ変わっていた。周りを見渡せば、そこはいつも見ている景色で、思考がまともに働いていない私の頭でもすぐに私の部屋だ。と認識できた。


「珍しいわね。いっつもちゃんと起きてくるのに。一体どんな素敵な夢を見ていたの?」
ベットの縁に腰をかけて笑いながら私に尋ねてきたお母さんに私はぼーっとする頭の中でさっきのことを思い出しながら答えた。


「小さい頃の夢。近所の子たちと遊んでたらいつの間にかベンチで眠っちゃって、そしたらお母さんが迎えにきてくれたの」


「あら、懐かしいわね。そんなこともあったわね。ふふっ」
そう言って私の頭を撫でるお母さんの腕を私はそっと掴んだ。肩から伸びる腕も、その先にある手も、さっきとは違い大人と同じ大きさだった。


「どうしたの?」
急に腕を掴んだ私にお母さんは首を傾げながら問いかけた。


「なんでもない。ただ、なんだか今はこうしてたくて・・・・・」
お母さんの手を掴んだ私は、その手を自分の頬へと伸ばし、その上から自分の手を重ねるように置いた。


「今日は珍しく甘えん坊さんなのね」
少しだけ困ったように笑って私のことを見つめたが、私の頬に置かれた手を離そうとはしなかった。そのことに心地よさを覚えた私は、その手に擦り寄った。


「お母さん・・・・お母さん・・・・」


「なぁに?私はずっとここにいるわよ」
私が掴んでいるのとは反対の手で私の肩を抱き、ぎゅっと私のことを抱きしめた。あったかい。とてもあったかい。


「ねぇ、お母さん、私のこと今でも好き?」


「もちろんよ。名無しのことずっと大好きよ。この先もずっと」
肩口に顔を置きながら問いかけた私の質問にお母さんは、さっきよりも強く私のことを抱きしめながら答えた。


「ありがとう。それだけで満足・・・・・・だから・・・・・さよなら」
そう言って、お母さんの両肩を掴んで自分から引き剥がした私を、お母さんはとても驚いた顔で見つめた。


「どうしたの?名無し」


「その言葉を聞けただけで、もう十分。いい『夢』を見せてくれてありがとう」
私がそう告げた瞬間、目の前にいるお母さんの姿は、ぱっと花びらになって床へと散り、周りの景色もガラスのように割れ、粉々になった。その光景をぼーっと見つめていれば、粉々になったガラスの裏側にあった真っ暗な空間から光が溢れて、まぶしさに眩んだ目を開けば、真っ白なふわふわしたものが目の前にあった。正しくは接近していた。息がかかりそうな程近づいているその顔に、私は、「きゃー!」と叫びながら横たわった身体で水中から持ち上げた腕を思いっきり振りぬいた。私に殴られた人物は、「あたたたた・・・・本当に君は乱暴だね」と言いながら殴られた頬を押さえた。私は、水に浮かんだ身体を起こしてその場に立てば、案外深さはそれほどなく、上半身が水面よりも上に出た。


「一体何してるんですか?!人が目を閉じてた隙に!」
私は、距離を取るように、じりじりと奥へ身体を動かした。


「何って、寝てるからせっかくだしキスしようかな。って」
何の悪びれる様子もなく、あっさりと告げたその言葉を聞いて、私の怒りはのバロメーターはぐんぐん上がっていった。


「何をわけわからないことを言ってるんですか!」
もう!と怒りながら、むっとした顔をすれば、「そんなことより、よく『夢』から醒めたね」と言いながら、彼が近づいてきた。


「あぁ、あんな感じの夢は小さい頃何度も見ていて、正直見飽きているので頭がぼーっとした状態でもかろうじて夢だってわかったんです。まぁ、ずっと昔に母の声は忘れてしまっていたので、今回のはとても新鮮でしたけどね」
それに、年を取った姿も見れましたし。と言葉を続ければ、彼は、「なるほど。そうだったのか」と何やら納得したように首を縦に動かした。


「この水は、人に夢を見させる効果があるんですか?」


「そうだよ。それもその人が一番見たいと望んだ夢をね。最初のうちは、何となく夢だと判断がつくけど、そのうち段々脳の思考回路が停止していって、いずれは夢だとわからなくなり、その世界に閉じ込められていく。我欲にまみれた者は決して抜け出すことはできないのさ。夢から醒めたのは君が初めてだよ」
そう言って嬉しそうに笑っているサーヴァントを見ながら、なるほど、私は思考回路が完全に停止する前に夢から醒めただけ。ということか。と納得していると、彼は「でも」と言葉を続けた。


「この水の効果はとても強力で、夢だと気づきそうになったら更に夢を重ねて何が現実なのか夢なのかを混乱させてわからなくするのだが、君にはそれもまったく効かなかったようだね」
彼のその言葉を聞いて、だから、公園から出た途端に場面が変わったのか。と理解した。私があの状況に不信感を持っていたから、夢に夢を重ねて現実から遠ざけさせた。というわけか。水の効果を説明しながら少しずつ近づいてきた彼から距離を取るために後ろへと下がろうとすれば、「あ、それ以上下がらない方がいい。そこら辺にも夢から抜け出せなかった者の死体があるはずだからね」と言われ、思わず、「きゃっ!」と悲鳴を上げながら、目の前の彼にひっついてしまった。


「おっ、君から抱きついて来てくれるなんて、なんだか気分がいいね」


「ち、違います!死体があるかもっていうから・・・・」
にやにやした顔をした彼に、否定の言葉をぶつけたが、それでも彼はにやにやした顔で私を見続けた。


「まぁ、最終試験も合格したことだし、約束通り礼装を渡そう。おいで」
そう言って彼は私に手を差し伸べたが、私は自分の視線の先に、ある人を見つけてその手を掴まなかった。


「セイバー!」
遠くでまだ目を覚まさないまま水面に浮かんでいるセイバーを見つけた私は、そちらへと足を進めれば「やめておいた方がいい。あれはもう手遅れだ」と彼は告げた。


「あれが眠り始めてからもう3時間以上経過している。思考回路は完全に停止し、もう夢と現実の判断なんて絶対にできない。あれは、そこの死体たちと同じように死ぬまで夢を見続けるんだ」


「そんな・・・・・」


「さぁ、あれは置いて私とおいで。礼装を渡そう。ついでに私が君のサーヴァントになってもいい。そうすれば君は・・・あ!ちょ、ちょっと!まだ話してる途中なのだが」
彼の言葉の途中でセイバーの元へと歩き出した私を引き止めるように彼は言葉を続けたが、私は彼女の元へと進み続けた。足に何度か何かがぶつかりその度に足がよろめきそうになったが、その何かのことは考えないようにした。


「セイバー・・・・セイバー・・・・」
歩くよりも泳いだ方が速い。と気づいた私は迷うことなく水の中に身体を沈めた。足をバタバタと動かし泳ぎ続ければ、波に揺られてその場から離れかけたセイバーの身体を掴むことができた。


「やっと会えた」
未だに目を覚まさないその身体をぎゅっと抱きしめながら、顔を見つめれば、一切表情が変わることはなく、薄く開かれた唇から呼吸だけが聞えた。


「目を覚まして。お願い」
その身体に縋るように、顔を埋めれば、「それは無理だよ」と声がかけられた。


「何度も言うのは酷だが、その子は絶対に目を覚まさない。この夢からは抜け出せない」
さっきの穏やかな顔とは違い、真剣な表情ではっきりと告げられた言葉に思わず涙が出そうになった。


「この水も貴方が作り出したものなんでしょ?なら、セイバーを夢から醒ましてよ。お願い!」
涙を滲ませた目で彼を見つめながら懇願すれば、彼は優しく私の頭に手を置いた。


「すまないが、それはできない。一度この水に触れれば自ら醒めるまで夢を見続ける。それがこの水の効果だ。他者がそこに介入することはできない。作った私といえどもね」


「そんな・・・・」
それじゃあ、セイバーは自分で夢から醒める以外目覚める方法はないの?醒めなければこのままずっと会えなくなるの?そんなのそんなの・・・・・


「そんなの嫌!このまま会えなくなるなんて絶対に嫌!私が絶対に助け出してあげるから!命に代えても貴女だけは助ける!だから、待ってて!絶対に待ってて!」
私の目からこぼれた涙はセイバーの顔へと落ちていき、水痕を作った。こんな所で貴女と別れたくない・・・・・もっとたくさん話したいし、もっと一緒にいたい・・・・!


「君にそんなに愛されてるなんて嫉妬しちゃうね・・・・・。わかったよ。そんな君の気持ちに応えて、上手くいくかわからないが、一か八かで試してみるか」


「えっ?」
彼の言葉を聞いて私はセイバーの身体に埋めていた顔を上げた。


「もしかして、何か方法が?」


「あぁ、本来この水の効果は一度きりしか発揮しないし、こんなこと試したことすらないから、上手くいくかはわからないけど、君にそんな顔させたままじゃいられないからね」
そう言って彼は片目をウインクして私を見つめた。セイバーが目を覚ます可能性が1%でもあるなら・・・・


「どんなことだってやります!セイバーのためなら」


「その言葉信じてるよ。じゃあ、早速試してみようか」
そう言って私の手をセイバーの手を掴んだ彼を見て私は首を傾げた。


「一体どうするんですか?」


「君にはこれからこの子の夢の中に入ってもらう」


「セイバーの夢の中に?」


「そうだ。それで、夢から覚ましてきて欲しい」
私がセイバーの夢の中に入って、セイバーの目を覚ます?そんなこと一体・・・・


「そんなことができるんですか?」


「いや、やったことなんてないから正直なんとも言えないが、外からは覚ませないなら、内側から覚ますしかないだろ?自分自身でね。そうなると、夢の中に誰かが入ってひっぱってくるしか方法が思いつかないんだ」


「なるほど。私が直接セイバー連れてこればいいんですね」


「そうだ。そのためには、まず君をこの子の夢の中へと入れてあげなければいけない」


「えっと、どうやって」
未だに私の手を掴んだままの彼を見つめると、彼はにこっと微笑んだ。


「私の宝具で君とセイバーを繋げる」


「そんなことできるんですか?」


「正直わからない。だけど、今はこの方法思いつかないんだ。試す価値はあると思うけど、どうする?やめるかい?やめてお兄さんとイイコトでもしようか?」
にやにやした顔で手に持っている私の手を自分の口元へと近づけようとしたのを見て、瞬時に反対の手をグーにしてその整った顔を思い切り殴った。


「イイコトなんてしません!早くセイバーの夢の中に私を連れて行ってください」


「いたたたた。ひどいなぁ。もう少し優しくしてくれてもいいのに」


「貴方は何故か優しくしちゃいけない気がします。なんでかわかりませんけど」


「ははっ!いい勘をしているね。ますます気に入ったよ」


「そういう冗談はいいので、早くやってください!」


「いいよ。でも、もし、この子が目を覚まさなかったら、君も目を覚まさずここで死ぬかもしれない。それでもやるかい?」
彼は急に真剣な表情で私を見つめながら問いかけた。人の夢の中に入り込むということは、それだけのリスクを背負わなければいけない。ということか。正直死ぬのは怖い。だけど・・・・・


「それでセイバーが助かる可能性があるなら、私はなんだってします」


「いい表情をしているね。じゃあ、早速始めようか・・・・・星の内海。物見の台(うてな)。楽園の端から君に聞かせよう。君たちの物語は祝福に満ちていると。
 罪無き者のみ通るが良い。『永久に閉ざされた理想郷(ガーデン・オブ・アヴァロン)!』」