もう一度名無しに触れようと手を伸ばせば、バンっと大きな音を立てて保健室のドアが開く音がした。


「うおっ!」
ババアが戻ってきたと思い名無しに伸ばしていた手を引っ込めて、隣のベットに戻ろうとすると、ベットを覆い隠しているカーテンが勢いよく開いた。ババアに小言を言われるのを覚悟してため息をつけば、「あ、いた」とババアにしては若い声が聞えて声がして顔を上げればめんどくせぇ女の顔が見えた。


「なんだ。お前かよ」


「なんだ。とは何よ!赤くんが名無さんを保健室に連れて行ったって聞いたからわざわざ見に来たのに」


「ただ邪魔しに来ただけだろ」


「邪魔?・・・・もしかして名無さんにやましいことでもしようとしてたのかしら?」


「は、はぁ?!ば、馬鹿なこと言ってんじゃねぇよ!」
にやにやした顔で疑いの目を向けられて咄嗟に否定をしたが、さっきの自分の行動を思い出して顔が熱くなった。あれは魔が差しただけだ。そうだ。魔が差したんだ・・・・。


「へぇー・・・」


「なんだよ」
俺の言葉を聞いて更に疑いの目を向けてきた目の前の女を睨みつければ、奴はにやにやした表情をやめて明後日の方向を向いたが、すぐに「あ!」と何か思い出し俺を見た。


「そうだ!赤くんお昼ご飯一緒に食べましょ!」


「はぁ?!食うわけねぇだろ!・・・あっ」
俺が声を出したのと同時に名無しの体が少し動いたのが見えて起こしちまったかと思って焦ったが、すぐにまた動かなくなり寝息も聞えてきて安心した。・・・っち。こいつさえ来なけりゃ名無しが静かに寝てられんのにマジで邪魔だな。


「お前、少しは静かにしろ!名無しが起きちまうだろうが!」
あいつの胸倉を掴んで小声で話せば、奴は急に胸倉を掴んだ俺を困惑した表情で見つめた。帰れ。マジで帰れ。


「ずっと大きな声を出してるのは赤くんなのに・・・・・」


「何?騒がしいわね。誰かいるの?・・・あら、綾瀬さんじゃない」
いつの間にか戻ってきていたババアが俺らのいるベットを覗き込んできた。こいつにかまってたせいでババアまで帰ってきちまったじゃねぇかよ。と恨みをこめて胸倉を掴んでいた手を離して奴を睨みつければ、奴は余所行きの詐欺師まがいの笑顔をババアに向け始めた。


「先生。王逆くんが名無さんにっ!むがっ!」


「おー!一緒に昼メシ食えばいいんだろ!食えば!さっさと行くぞ!」
ババアに余計なことをしゃべろうとした奴の口を思い切り片手で塞いで、そのままズルズルと保健室のドアの方まで引きずった。時計を見ればまだ3限目の途中だが名無しがこんな状態では授業に出る気にもならねぇ。こいつをここから追い出すついでにメシでも食ってくるか。


「え、でもまだお昼には早いけど」


「いいから!行くぞ!」



*



奴を引きずったまま外に出てきた俺は外に備え付けてある椅子に座った。いざ外に出てみるとまったくメシを食う気持ちがなくなってこのまま寝て時間でも潰すか。と目を閉じようとすれば、奴が隣に座ってきたのを感じた。あーめんどくせぇ。目だけで奴の行動を追えば持っていた手提げ袋の中をがさがさと漁り始めたのが見えた。そして、嬉しそうな顔をしながら袋の中から中々の大きさの包みを取り出して俺に見せてきた。


「はい。赤くん!お弁当作ってきたの」


「あー・・・・いらねぇ」
その馬鹿でけぇ包みは弁当だったのかよ。クソもいらねぇ。腹は減ってるがこいつが作った弁当を食べる気なんてさらさらなかった。しかも、『作ってきたの』って言葉を聞く限り確実に手作りだ。ありえねぇ。女の手作り弁当なんて中身に何が入ってるのかわかったもんじゃねぇ。昔、差し入れだと言って女から手作りの菓子をもらったが、袋を開けた瞬間に生前散々嗅いできた匂いが微かに鼻について中に何が混ざってるかすぐにわかって捨てたことがある。それから、基本的には手作りのものは一切食べねぇようにしてるし、それを周りもわかってるから買ったものしか俺に寄こさねぇようになった。


「そんなこと言わないでよ!せっかく作ってきたのに!ほら!こんなに美味しそう」
拒否した俺の態度に納得できなかった奴は、弁当の蓋を開けて俺に見せてきた。


「うっわ。和食かよ」
手作りってだけで受け入れられねぇのに、加えて和食かよ・・・・。思わずげんなりした顔で目の前にある弁当を睨みつけた。


「えっ」


「俺、和食苦手だから」


「でも昨日は美味しいって食べてたじゃない!」


「あれは名無しの作ったのがたまたま・・・・ってなんでお前がそのこと知ってんだよ」


「あっ・・・・。と、通りすがりに見かけただけよ」


「あーそうかよ。ストーカー」


「ちょっと!そんな言い方しなくたって!もう・・・・せっかく作ってきたのに・・・・」
俺がそっぽを向けば奴はしぶしぶ開いた弁当の蓋を閉じて手提げ袋の中に弁当箱をつっこんだ。あー・・・・名無しの作ったメシが食いてぇ。昨日はこれからも作ってきてくれるって言ってたが、あんなことがあったしもう食べれることもねぇんだろうな。


「・・・・ねぇ、赤くんって自分に告白してきた女の子のことってどれぐらい覚えてる?」


「そんなの覚えてるわけねぇだろ。くだらねぇ」
名無しのことを考えてぼーっとしていれば、奴がくだらねぇ質問をしてきた。告白してきた女のことなんて覚えてるわけねぇだろ。一人も覚えてねぇ。俺は今まで名無ししか見てこなかったし興味もねぇからな。


「あの・・・・この場所は・・・・見覚えないの?」


「あ?たまに通るから見覚えはあるだろ」


「そうじゃなくて、ここで誰かに告白されたことは覚えてないの?!」


「はぁ?!お前さっきからなんなんだよ!」
いい加減こいつの質問に答えるのもめんどくさくなって、椅子から立ち上がってその場から離れようとすれば、「ちょっと待って!」と服の袖を掴まれたが思い切り振りほどいた。その拍子に奴は体制を崩して地面に膝を打って四つん這いになっていたが、俺には関係ねぇことだ。とそのまま気にせず歩いていった。そういや、俺に唯一好きだと言ってきた女が告白してきたのってここら辺だったか?もう記憶も曖昧だし、関係ねぇことだな。



*



夢を見た。
最初は見渡す限り一面に広がるお花畑で寝転んでいるだけの幸せな夢だった。ひだまりの暖かさに包まれてゆっくりと眠り続けていただけだった。だけど、突如そのお花畑が全て枯れ果て暖かく包んでいた太陽も消えて暗闇の中、誰か分からない黒い影にずっと追いかけられる夢へと変わった。全速力で逃げ続けているのに足が思うように動かずにずっと泥沼の中を歩いているような気分だった。その内だんだんと影が私に追いついてきて、いよいよ捕まると思った時に目の前に光が現れてその中から人の手が出てきて私の腕を掴み光の中へと引っ張った。私を暗闇から助けてくれた人の顔を見たいのに、光に目がくらんで誰かが全然わからないまま目を開けた。


「おー。ようやく目ぇ覚ましたか」


「王逆くん・・・・・」
目を開ければすぐ横に王逆くんがいた。まだ夢から覚めたばかりの私は目の前の光景がまだ上手く認識できていなかった。


「大丈夫か?うなされてたけど」


「大丈夫。ちょっと怖い夢を見ちゃって」
右手に違和感を感じて見つめれば、王逆くんが重ねるように私の手の上に自分の手を置いているのが見えた。その手をじっと見つめていれば、私のその視線に気づいたのか王逆くんは勢いよく手をどかせた。


「お、お前がうなされてたからなんかあったかと思って!」


「うん。ありがとう。ここは保健室・・・・?王逆くんが運んでくれたんだよね」
気を失う間際王逆くんが私を助けてくれたのを思い出して問いかければ、王逆くんは眉間に皺を寄せながら私を見つめた


「急に目の前でお前が倒れたからマジで驚いた」


「ごめんね。重かったよね・・・・。あー・・・・また王逆くんに迷惑かけちゃったな」


「んなこと心配しなくていいんだよ。それより、もう体は大丈夫なのかよ」


「まだちょっと眠たいかな。正直今見えてるこの光景も夢みたいに思えててなんかふわふわしてる感じ」


「夢なわけあるかよ。俺がお前のそばにいるんだ。現実以外ありえねぇよ」
そう言って王逆くんはいつものように優しく私の頭に手を乗せて軽く撫でた。何度もされているはずなのに、今はなんだかあやされているような気がして、少し恥ずかしくなって俯けば、突然王逆くんの手が止まった。どうしたのだろうか。と王逆くんの顔を見れば何故か顔を赤くして私のことを見つめていた。今恥ずかしいのは私なのに何故王逆くんがそんな顔を・・・・・と疑問に思ったが、すぐに目の前のカーテンが大きく開いて保健室の先生が顔を覗かせた。


「あら、名無さん起きたのね。一度熱測ってみましょうか」


「あ、はい」


「ほら、王逆くんは席はずして」
未だに私の頭に手を乗せていた王逆くんに先生が声をかければ、王逆くんは顔を赤くさせたまま慌てて椅子から立ち上がった。


「俺、一回教室に戻る。もう昼過ぎてるしお前は授業でねぇだろ?荷物取ってきてやるからもう少しゆっくりしてろ」


「うん。ありがとう」
そう言って王逆くんは保健室から出て行った。首元のボタンを開いて先生に手渡された体温計を脇に挟んで音が鳴るのを待っていれば、前からくすっと笑い声が聞えてきた。


「あ、ごめんなさいね。あの子にとっても大事にされてるなっと思って」


「そ、そんなことないです。大事にしてくれるのは私をどう思ってるとかじゃなくて・・・・・」


「ん?」


「いえ、なんでもないです!」
王逆くんが私に優しくしてくれるのは、私が王逆くんのマスターだったからで、私のことを何か思ってるからではない。けど、そのことを今ここで先生に話しても通じないし、私は口を閉ざすしかなかった。


「名無さんがあの子のことどう思ってるかわからないけど、あの子、貴女をお姫様だっこしてこの部屋に連れてきた時すごい必死な顔してたんだから」


「えっ」


「それに貴女が起きるまでずっとそばで付き添ってて、あぁ。この子のこと大事に思ってるんだな。ってすごい伝わってきたわよ」


「そうだったんですか・・・・・」
王逆くんずっと付き添っててくれたんだ。申し訳ないな・・・・・倒れた私をここまで運んでくれただけでも申し訳ないのに・・・・・。私は結局王逆くんに助けてもらってばかりで何もしてあげれることなんてない。唯一私ができることは早くマスターの権利を放棄して良いマスターを王逆くんに付けてあげることだけど、朝の王逆くんと綾瀬さんの様子を見るとこれから2人が上手くやっていけるかも不安だなー・・・・とため息を付きながら下を向けば、ピピっと機械音が鳴った。


「どれどれ・・・・36.5度か。熱は相変わらず無さそうだね」
脇から取り出した体温計を見ながら先生はうんうんと頷いていた。やっぱりただの寝不足だったのか。具合が悪いわけではないしこのまま保健室で眠るよりは家に帰った方がいいのはわかるが、まだ頭の中がふわふわしてるのと足に力が入る感覚がなくてもう少しだけここにいさせてもらうことにした。


「さて、珍しく頑張った青少年にご褒美でもあげるか」
ご褒美?と思いながら、カーテンの外へと出て行く先生の姿を見ていれば、ドアが開く音がして、王逆くんの声が聞えてきた。


「王逆くん。私ちょっと備品の補充手続きをしに職員室に行ってくるから名無さんのことよろしくね。何かあったら職員室に内線で電話頂戴」


「えっ?!あ、おい!」
王逆くんの焦った声の後に勢いよくドアが閉まった音が聞えた。先生職員室に行っちゃったのかー・・・・あ、さっきご褒美あげるって言ってたし、もしかしたらそれを取りに行ったのかも。


「荷物持ってきたぞ。ずっと寝てたから腹空いてるだろ。メシでも食うか?」


「あ、うん。ありがとう」
王逆くんから荷物を受け取って、お弁当を取り出そうとすれば何故か王逆くんから視線を感じた。


「ん?どうかしたの」


「いや、なんでもねぇ」


「王逆くんはもうお昼ごはん食べたの?」


「これから食う」
そう言って王逆くんはポケットから何かを取り出してどかっとベットの横にある椅子に座った。取り出したものをよく見れば、某栄養携帯食のパッケージが見えた。あんな少量で足りるのだろうか。と疑問に思って見つめていれば王逆くんと目が合った。


「なんだよ」


「あ、いや・・・・。なんか、あんまりお腹空いてないな。と思って。王逆くんがよければそれと私のお弁当交換してくれないかなーって」


「これとか?」


「うん・・・・・迷惑じゃなければ・・・・」


「俺は別にかまわねぇけど・・・・」


「じゃあ、交換で」
私は自分が持っていたお弁当を王逆くんに差し出して、某携帯保存食を代わりに頂いた。すぐに袋を開けて中から棒状のクッキーを一つ口に含んで気づいた。やっぱり昨日あんなに食べていた人がこれで足りるわけがない。私の一般女子よりも少し大きなお弁当でも王逆くんのお腹を満足させられるか不安だというのに・・・・交換して正解だ。


「なんでだろな。俺ほんとは和食苦手なんだよ」


「えっ!でも昨日は・・・・」


「あぁ。和食苦手なはずなのにお前の作ったものだけは食えるんだよな」
王逆くんは箸で掴んだ肉じゃがを口に入れながら不思議な顔をしてぼそっとつぶやいた。


「そうなの?!」
まさか王逆くんが和食嫌いだったとは・・・・昨日そんなそぶりを一度も見せなかったから和食嫌いと聞いた時はすごく驚いたけど、私の作ったのは奇跡的に口に合ったようでよかった。


「これなんだ?」


「それは磯辺揚げっていってちくわの揚げ物だよ」


「ふーん。これうめぇな」


「それはよかった」
正直今まで自分の作った料理を美味しいと褒められることは何度もあったし、それなりに料理には自信を持っていたけれど、何故か昨日といい今日といい王逆くんから美味しいと褒められると胸の辺りがきゅーと締め付けられるし照れてしまう。またいつか食べてもらいたいけど、もうきっとこんなこともなくなるんだろうな。だって、私たちは今まだマスターとサーヴァントの関係だからこんな風に親切にしてくれるだけで、きっとこの関係が終わればこんなこともできなくなるだろう。こんな嬉しそうに私の料理を食べてくれる姿もこれで見れるのは最後なのか・・・・これからはきっと綾瀬さんが王逆くんのもっと色んな表情を見ていくんだろうな。


王逆くんがお弁当を食べ終わったのを見て箱を受け取り蓋を閉めて袋へとしまえば、「えっ」という王逆くんの驚いた声が聞えた。


「お前・・・・・泣いてるのか?」


「えっ」
王逆くんのその言葉を聞いて自分の目に手を当てれば涙が頬を伝った。なんで私泣いてるの。


「どうした?どこか痛むのか?」


「あ、違うの。ごめんなさい・・・・。私なんで泣いてるんだろう。なんでか急に涙が出てきちゃって・・・・あれ?疲れてるのかな・・・・」
やばい、早く泣き止まなきゃと思って流れてくる涙を乱暴に手で拭っても涙が止まることはなかった。こんなんじゃただの情緒不安定な女だと思われちゃう。こんなタイミングで泣き出すなんて王逆くんからしたら意味不明にもほどがある。


「おい、ほんとに大丈夫かよ」


「だ、大丈夫だよ」


「大丈夫なやつが泣くわけねぇだろ!」
王逆くんは椅子から立ち上がって私のベットに片手を付きもう片方の手で私の頬を覆いながら親指で流れる涙を拭った


「ひゃっ!」


「っ!!?」


突然の接触に驚き思わず口から変な声が出て、その事に驚き王逆くんの手から離れて口を両手で押さえた。恥ずかしい。なんだこれは・・・・王逆くんはただ心配してくれただけなのに変な声を出してしまった・・・・・頬が熱くなっていくのがわかり思わず下を向いた。もう逃げ場がないと思い慌てて布団に包まって寝れば、「あ、おい」という王逆くんの声が聞えたが今こんな顔で出たくない。


「あ、ご、ごめんなさい!ちょっと一人にして!」


「あ、あぁ・・・・わかった・・・・・」