子守唄
会合が長引き夜半近くになり藩邸に戻る。
もう小娘さんは寝てしまったかな。
一目顔が見たいと思ってしまう自分に自嘲していると自室の前廊下にボンヤリ月を眺めて横座りしている小娘さんの姿が目に飛び込む。
「小娘さん」
「!!…小五郎さん、おかえりなさい」
「こんな夜更けにどうしたんだい?眠れないのかい?」
ふるふると首を横に振り嬉しそうに予想外の言葉を告げる。
「どうしても今日中に小五郎さんにお会いしたかったんです」
「…何かあったのかい?」
今日は叶わぬと思っていた彼女の姿をその笑顔を目にし、彼女もまたわたしに会いたがっていたことが分かり深い喜びを感じたが、敢えていつもの表情の読めぬ顔で聞いてしまうのはわたしの悪い癖だ。
「小五郎さん、昨日藩邸を出たきりだったでしょう。小五郎さんに渡したいものがあって…」
そっと目の前に小さな物を差し出される。
「…これは……御守りかい?」
夜遅くわたしの帰りまで待って渡したいもの…御守りを?まったく彼女の意図するところが読めず先を促すようにじっと顔を見る。
「あの…お誕生日おめでとうございます、小五郎さん。今日は小五郎さんが生まれた日と聞きました。実は高杉さんに聞いて知ったのは三日前なんです。こんな物しか作れなかったけど、一応わたしの手作りなんです。心を込めて作りました…どうしても今日おめでとうが言いたくて…」
話しながら最後のほうは恥ずかしそうに俯いてしまう小娘さん。それで小娘さんは今日のわたしの予定を一昨日から聞いていたのか…。昨日から出掛けたきりだったのが悔やまれる。決してわたしの負担にならぬようにわたしの帰りを待ち一人気を揉んでいたのだろう。奥ゆかしい小娘さんを愛しく思い、腕の中に閉じ込めてしまいたい衝動に駆られる。
「……小娘さん、ありがとう」
生まれた日を祝われたのは初めてたが、おそらく小娘さんのいた時代ではそのような習慣があるのだろう。何よりその気持ちが嬉しかった。
「大切にするよ」
ニコリと微笑んで受け取れば、満面の笑みを浮かべて答えてくれるがまだ小娘さんは何か言いたげにしている。
「あの…小五郎さん…… 今日一緒に寝てはいけませんか?」
「!!!っ」
小娘さんとわたしは恋仲と呼ばれる間柄にはなったが、まだ肌を合わせたことはない。大胆な彼女の発言に驚き酷く狼狽するも、努めて冷静に見えるよう言葉を選んだ。
「小娘さん、嫁入り前の娘が男と共寝するのは……
「お願いします。小五郎さん、布団は自分で運びますから!小五郎さんのお部屋で一緒に寝たいんです!」
………………
………やれやれ…、そういうことか…。
少なからず期待しなかったわけではないが、普段の彼女の考え方から言えば、まぁそういうことだろう。
布団を並べてただ一緒に寝たいと。
安堵と落胆の入り混じったため息が出る。
*
結局小娘さんにどうしてもと押し切られわたしの部屋で共に休むことになった。
小娘さんは寂しいのだろうか?帰郷の念が募って人恋しいのだろうか?
ふと不安が頭を擡げる。
「小五郎さん……小五郎さん寝ちゃいましたか?」
「いや……まだ起きているよ」
静かな部屋に隣で横になる彼女の小声が響く。
もぞもぞと動く衣擦れの音が聞こえてきたかと思えば
すうっと闇の中青白い細い腕が迫ってくる。
ドキリとして一瞬体に緊張が走るが、わたしの薄い夏掛けの上に着地するとそのまま一定の間を持って優しく掌が下ろされる。
白く小さなそれは、ぽん、ぽん、と母親が子をあやすように何度も繰り返される。
「小五郎さん…今日はわたしが小五郎さんが寝るまで見届けますね」
わたしを寝かしつけるかのような仕草に苦笑しつつ、まったく彼女の行動は読めないなと改めて感じる。
「今日も…昨日もお疲れ様でした……」
彼女の掌のぬくもりと軽い重み柔らかさ…布越しにそれらを意識しないと言えば嘘になるが、今日は黙ってこのまま彼女に身を任せよう。
「小五郎さんは頑張り過ぎです……わたしがずっと見ていますから、傍にいますから……辛い時は頼ってくださいね…」
ぽん…ぽん…と繰り返される振動と小娘さんから紡がれる甘い吐息交じりの言葉が心地よい。
逃亡生活が長かったせいか常に人の気配に緊張を強いられ、同室で誰かが寝るなど落ち着けないと思っていたが小娘さんに対しては違うようだ。
とても穏やかな心地になり贖うことなくそれに身を委ねていく。
この安心感は絶対的な信頼からくる為だろうか…いいやそんな言葉では表せないもっと深い何か…
「小五郎さん……きっと何もかも上手く行きますよ…」
彼女を守るのはわたしの役目。頼って欲しいと言ってはいたが、実のところわたしが彼女を頼っているのかも知れない…
わたしが抱えてきた孤独や淋しさ悲しみまでも全て包み込んでくれようとしている。
頼り守られる存在か…
「…あの御守りは小五郎さんが怪我をしませんように、大願成就されますように…、心穏やかに暮らせますように……そんな願いを込めました」
小さな小さな声で切れ切れに呟かれる。
ぽん………ぽん……
段々と間隔が長くなる。
母の胎にいるようなそんな守られているような安らかな心地。長く忘れていたこの感傷。
「…小五郎さん……おやすみなさい………明日もきっと…いい一日ですよ…」
彼女の言葉を子守唄にだんだんと体が重くなり眠りに落ちていく。同時に心が解放され清く澄み温かく軽くなっていく。
あぁ、そうか……
時にはわたしに新しいことを気付かせ導いてくれる友のように―――
時には全てを包み込み許し、惜しみなく与えてくれる母のように―――
そして心震えるような喜びや甘く切ない感情を伴い、いつまでも離れ難く寄り添う恋人に―――
その全ての顔を持ち合わせわたしの心を満たしてくれる小娘さん。
わたしの唯一無二の人なのだと改めて感じる。
「………ありがとう…」
深い眠りに誘われながら唇だけを動かし礼を言う。
あぁ、明日は本当にいい日になりそうだ………。
わたしにとって生涯ただ一人の人である彼女に、またそんな彼女に巡り会えた幸運に感謝しつつ
意識を手放しながら、ぬくもりの中で酷く懐かしく甘い夢に落ちていった―――――
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