The birthday morning.
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「桂さん、今日は何の日でしょう?」
或る早朝の、未だ夜明け間もない刻の事だった。支度を終え炊事場へ向かおうと部屋を出るや否や、待ち伏せていたように現れた小娘に声を掛けられ少々面喰らう。彼女は既に身支度も整っており、後ろ手に私を見上げていた。
………今日は何の日?
「……今日、は…」
確か暦は水無月の…、とやや斜め上を仰ぎ、あぁ二十六かと頷いて、はたと気付き合点を得る。
「………私の誕生日、だね」
然もなく答えれば、まるで他人事ですねと苦笑された。そして、彼女の背に隠れていた両手が怖ずおずと此方へ伸ばされる。手の先を見れば、何やら私宛の封書が握られていた。
『桂さんへ』
と書かれた其を受け取り、どうしたものかと封を開け、紫陽花のような紫の濃淡に彩られた便箋を取り出した。
――お誕生日おめでとうございます。今日は桂さんの特別な日なので、一日だけ貴方の仕事の一部をわたしが引き受けます。難しい事は出来ないけれど、食事や掃除、洗濯、高杉さんのお相手くらいなら大丈夫ですよね。
日頃の感謝を込めて。
小娘より―――
文面を読み終えると同時に「だから…、」と再び部屋に戻るようにと私の背を押し始めた。
「桂さんは二度寝でもしていてください」
「……し、しかし…」
「わたしなら大丈夫ですから」
ゆっくり休んで下さいね。
障子戸の間からそう言い残し、踵を返して足早に去っていった。
「………ふぅ、全く」
嬉しい気遣いではあるが、同時に不安も募る。炊事や洗濯、掃除は良いにしても。
「……晋作の相手、というのはどうかな…」
追いやられた自室で独りでに口を衝いたのは、嘆息した理由で。事もあろうか私の胸の内には、夜明け前の空のように薄い闇が立ち込めていた。
――さて、あれから何れくらい経ったであろうか。
良い機会だからと思い手を付けた書状の返信等にも身が入らず…、二度寝など以ての外で、柄にもなく胸騒ぎに冒され落ち着かなかった。
「…晋作の相手………」
…あぁ、まさか。
我ながら呆れる程、疑念深くなっている。私の脳裏に一瞬だけ晋作と小娘の姿が過ったのだ。
外には既に白々とした朝が訪れ、鳥の囀りも耳に響く。
そろそろ朝餉が出来た頃かなと口実染みたきっかけをぶら下げ、部屋の襖を開けた。
向かった先は炊事場。近付くに連れ、出汁の芳ばしい香りが鼻を掠めていく。
ふとその勝手口の手前に差し掛かった途端、彼女以外の低い声がして足が止まった。
「……で、だから………だろ…」
「…は、……だめ………あ、また……」
声音から相手は晋作であることは判ったが、会話の内容がよく聞き取れない。気配を殺してそっと戸を開けた。僅かな隙間から、先程頭の中にあったような光景を目にする。
「…ちょっと高杉さんっ、つまみ食いは駄目ですってば!」
「良いだろ、ひとつくらい。そんな減るもんじゃ…」
「減りますよっ!もう〜…高杉さんの朝餉は無しですね」
「…なに!?其は困るぞっ」
「だからやめてって言って……――いたっ」
あ、と声が洩れそうになり寸前で留めた。
具材を切る際、晋作との会話に気を取られたのであろう。
「おい、大丈夫か?」
「あ、平気です…って…た…、んっ」
「少し大人しくしてろ」
彼女の答えも聞き終わらない内に、赤い滴を滲ませた人差し指を引き寄せ……―――口に含ませた。
「……………」
とても見ては居られない。
何かが腹の中で渦巻いて心地悪くなり、気配を消したまま音を立てぬよう、自室へと踵を返した。
「――…桂さん、朝餉出来ましたよ?」
障子越しに掛けられた声にあぁと心許ない返事をすると、彼女の影が訝るように首を傾げた。
「…どうか、しました?」
入りますねと一言断り、静かに部屋に踏み入った彼女の左手を見る。巻かれた包帯に滲んだ朱色に妙な興奮を覚えた。
「…?…あぁ、これは……―――えっ」
私の視線に気付いた彼女が先程の怪我の説明をしようと口を開いた瞬間、無防備に接近した肩を抱き組み敷いた。視界が反転した事に驚いたのか、私に見下ろされた彼女の目が丸く見開き、何度か瞬いて潤んだ。
「……………」
「……………」
…声を上げれば良いものを。
小さな肩を押さえ視線を絡めながら、矛盾した心の声に苦笑した。
「……君は無防備過ぎるよ」
「……あっ、」
まるで独り言のように呟き、白い首に甘く噛み付く。其に応えるように飛び出したか細い声が甘くて甘くて。
「……参ったな」
抑えが利かなくなった己を嘲笑しつつ、彼女の耳元に囁きを吹き込む。
「君が悪いんだよ…?今日は私の誕生日なのだから、一日中私の相手をしてもらうからね…――」
『The birthday morning.』
(祝いの品は君がいい)
終
***
ちょっと過ぎましたが、桂さんの御生誕記念に。おめでとうございます!
しかし黒桂で御祝いって………すみません。
瀧澤*
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