紅色

お出掛けから戻ってきた私は藩邸の中庭がよく見える自室の廊下に腰を下ろし、ほっと一息ついていた。

つぃと着物の袖が引かれた気がしてそちらに目線をやると、跪いて私の袖の下の方を掌で抑えている人の姿。
それは、ここ長州藩邸に来て以来、秘かに心惹かれている男性だった。

「桂さん」

「あぁ、やっときづいてくれたみたいだね。おかえり。芝居は楽しかったかい?」

声をかけても気づかないみたいだから少し実力行使をさせてもらったよと微笑む桂さんは薫り立つような美しさ。

***

昨夜、高杉さんに「おもしろいところへ連れて行ってやるから明日の朝早く起きろよ!五月蝿いのも明日日中まで帰らないしな!!」と満面の笑顔とともに告げられた。
よくよく聞いてみると出逢った日に演ってくれた歌舞伎?の演目があるらしく、そこに連れて行ってくれるとのこと。
この時代の女性にとってお芝居は一大イベントらしく、朝からそのためのおしゃれをしていくものだとも聞かされた。
そのため、今日はよく着ている小袖ではなく、慣れない振袖を着て、薄く化粧もしてもらっていた。


***

「さっき晋作から事後報告できいたよ」

溜め息混じりにそう言われると苦笑いを返すしかない。
刹那、じぃと桂さんの瞳に見つめられ、すいこまれそうな感覚に陥る。

「ど、どうしたんですか?」

「ん?ここ。」

少し硬い表情の桂さんから頬に少し冷たい掌が添えられ、唇の端に親指が触れる。

「紅が乱れてる…」

「え?あ!」

さっき紅をさしてもらっていたことを忘れて、手の甲でぐっと擦ったことを思い出し、ぱっと自分の手を見るとやっぱり口紅がついていた。

私の視線を追うように桂さんの視線も私の手の甲に止まるのを感じた。

ふっと小さく漏らした桂さんの笑みが私の睫毛を揺らす。

「あみさん、こういう時は懐紙を使いなさい」

桂さんは懐からすっと懐紙を出してくれたので、それを受け取ろうと手を出したけど、それより先に口端を拭き取られる。

「自分では見えないでしょう?」と微笑みを添えて。

拭き終わった懐紙を横へ置き、懐紙入れを懐に直す桂さんを恥ずかしさのあまり、直視できず、俯いていると、
「誰かさんにせっかくの紅を乱されたのかと思ったよ」

思わぬ言葉に「え…」と顔をあげれば、視界一杯に桂さんが拡がっていて、唇には温かく柔らかな感触
真っ白な頭のまま呆然としていると、唇からぬくもりが遠ざかっていった。




「ふ、晋作なら仕方ないかと思っていんだが…私は自分で思っているより我慢が効かない人間のようだ。」

「え?」

「慕っている女子が他の誰かのものになるのを黙って指をくわえて見ているのは無理らしい」

「それって…」

「あみさん、君が好きなんだ」


私はもう一度近付いてくる桂さんの唇に瞳を閉じた。






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