この色はすべてあなたに

ちょんちょん、と小指に載せた紅を唇へ。
鏡の中の自分を確認してにっこり笑ってみる。






芝居見物に連れていってやる、と大久保さんに誘われた。誘われたというよりは決定事項を伝えられた感じだったけど、まあいつものことだ。
お芝居なんて見たことない。コンサートみたいな感じなのかなー、歌舞伎みたいな?とわくわくしていた。それをお手伝いしながら女中さんに話したら、じゃあおめかししなくちゃ!と言われて…今日のために、お化粧を教えてもらったのだ。でも白粉は要らないだろうと言われて、口紅だけ借りた。

紅い唇に少し大人になった気がする。うーん、緊張してきたなー、と鏡を覗いていると、廊下を歩く足音が聞こえてきた。


「小娘、入るぞ。」
「はいっ!」

返事をするとすぐに障子が開かれて、そこには大久保さんが立っていた。

「小娘がいっぱしの女子気取りか?いつまで私を待たせる気だ。幕が上がってしまうぞ。」
「すみません。もう行けます!」

相変わらすの嫌味だけどもう慣れてきたなあ。慌てて巾着をつかんで立ち上がる。大久保さんに向き合った時、ん、と目を細められた。黙って私を見る大久保さんに不安がよぎる。

「へ、変ですか…?」

髪飾りや着付けなど、女中さんから流行りのおしゃれを教えてもらっていた。せっかくのお出かけだから、大久保さんの隣を歩いても違和感なくて、大久保さんに少しでもかわいいって思ってもらいたくて、自分なりに頑張ってみたんだけど…
似合ってない、のかなあ?


大久保さんのしかめた眉を見上げていると、ふん、とため息をつかれてしまった。

「あの、すみません私やっぱり…」
「それはどうした?」
「え?」
「紅だ。」
「あ…これは、女中さんから借りて…」
「そうか。大層浮いているからどこの飯盛女かと思ったぞ。」
「めし…?」


よくわからなかったけれど、似合わないと言われたんだろう。やっぱりやめておけばよかった。馬鹿なことした。
うつむいたら大久保さんの足袋が見えた。それが片足すっと動いたと思ったらあごに手をかけられ、ぐいっと上を向かされた。どきん。

「お、くぼさ…」
「ふん。濃いな。」

吐息がかかるほど近くで大久保さんが話す。その視線が唇を見ているので長い睫毛がよく見えた。
ちらりと視線が上げられて目があった瞬間、反射的に顔をそらした。どきどきと心臓がうるさい。

「こら、逃げるな。」
「やめてください!」

腕をつかまれてまた顔を付き合わされる。やだ、と言おうとした時にぐいと引き寄せられた。


「蘇芳…」

強い瞳に見つめられる。

「…少し落とせ。」



低く小さな声がして、唇が重ねられた。










息が苦しくてくらくらしてきたころ、やっと長いキスから解放された。はあっと息をして、少し潤んでしまった目で大久保さんをにらみつけるとにやりと笑われた。その唇に紅がうつってしまっていて顔がますます熱くなる。
私の視線に気付いた大久保さんは親指でぐいと唇をぬぐった。その顔がすごく楽しそうで腹が立つ。

「何するんですか!」
「紅を落としてやっただけだ。」
「こんなやり方じゃなくてもいいでしょ!?自分でやりますよ!」
「ほう…紅がはみ出していたのを直してやったのに礼もなしか?小娘はさぞ化粧が上手いのだな。」
「な…!」
「…丁度良くなったぞ?」

唇についと触れられて、馬鹿と言ったけどふんと笑いとばされた。

行くぞと背中を押されて、くやしいけれど敵わない。ぎゅうっとしがみつくように抱きつくと蘇芳?と頭の上で声がした。着物をつかむ手に力を入れると、髪をそうっと撫でられた。


「大人ってずるいです。」
「ならばその大人を惑わせるな。」
「…惑わせる?」
「………」



黙ってしまった大久保さんを見上げて、着物の袂をつんと引っ張ってみると、嫌そうーな顔で。


「…あまり可愛いことをしてくれるな。」



それきり言ってくれない大久保さんが照れたようにぷいっと顔をそらしたので、疑問はのこるけどそのままにしておいた。

この赤い顔も、薄くなった口紅も、全部大久保さんのため。

だから、ちゃんと見てね?







→お礼とあとがき

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