もっと切なくなるだけの行為


一度、開き直った人は強い。その後、何があってもぶれない。

雨にも、風にも負けない。

「その辻の手前で大丈夫ですから」

降りしきる雨の音にかき消されそうになるので、声が武市さんに届くように、少し大き目の声を張り上げたらまるで拒絶しているような響きにかわってびっくりする。

「また、しばらく会えないのは辛いな」

そんなの。全然心配なかった。寺田屋から借りて来た紺の番傘、陰になって少し暗い。けれど彼は私に微笑み続ける。傘と傘を寄せて、持ち帰った包みを片手で何とか受け取ると、雨粒に濡れて冷えてしまった指の上から、そっと暖かい手が覆う。

「冷やさないように、暖かくしてお休み」

名残惜しそうに髪を撫でてくれる手が遠ざかる。ひとつ、お辞儀をしてその場を去る。私がきっと藩邸に入ってゆくのを、どこか離れた場所で見届けて帰るだろうその光景を、想像できるほどにまでなっている。





これほど真っ直ぐに、好きだと言われた事は初めてで。もう冗談だと茶化すには真剣過ぎて、胸が痛くなる。というのは、私も武市さんの事が好きだからなんだろうか。

眠る事も出来ず、冷えてしまった手と足先をすり合わせる様に、敷いた布団に横たわってはぐるぐると答えも出しようがない深みにはまって唸る。

好きだと、言ってくれた武市さんの声を今でも思い出せる。

「はぁ」

どきどきして止まない心音の高鳴りを押し隠す様にぎゅっと目を閉じると、前髪を額に沿って撫でてくれる手。

「おかえり。帰っていたの」

「あ…はい、すみません御声もかけずに」

声、かけられるわけがなかった。今のままじゃ、顔だって見られない。

ただ背を向けて横たわる私の肩に、桂さんは脱いだ羽織をかけてくれる。じわじわと伝わる温もりに、余計に心がざわついて仕方ない。

「今日は本当に冷えるから…帰ってくるのも大変だっただろう、この雨じゃ」

「…はい」

「風邪をひいてしまわないか心配だよ」

「…大丈夫です」

「…誰かに、送っていただいた?」

一瞬、息を呑む。変な間が生まれるのを、見逃してはくれなかった。

「なにか、された…?」

一足飛びに桂さんが質問する。

「なんで、そう決めつけるんですか、もう」

声が上ずる。桂さんを不安にさせているのはわかるのに。ああもう、私にはどうすることもできなくて。こんなにぐらぐらしている自分が悪い。自分が悪いせいだから。そう思ったら不甲斐なくて涙が出た。ゆっくり体を起して、枕元に正座している桂さんの胸に、とん、と額を寄せて云う。

「私は、桂さんの事が好きです。好きなんです」

首筋にキスをして。耳に残る声に包まれながら、桂さんに強引に口づけを迫る。こんなに好きな筈なのに目も見られない。合わせた唇にやさしく応えてくれた彼は、ずっと私の背中を撫で続けてくれた。

切ない―――。





どうして桂さんじゃなくて武市さんなんだろう。

どうして武市さんじゃなくて桂さんなんだろう。

今夜は出掛けてくるからと一言、言い置いて桂さんは部屋を出る。何度障子の外を眺めても明るくなりはしない空。長い夜。眠ろうと思えば思う程、交互に二人の事を思い浮かべては溜息で消し続けている。

桂さんも武市さんも、自分とは不釣り合いな程、大人で、博識で、落ち着いていて余裕があって。ずっと遠い存在だと思っていたのに。なのに想う気持ちは真っ直ぐで、私だけを見つめてくれて、苦しいくらいで。

桂さんには包み込まれるように自然に、これまで導かれてきた。

そして武市さんは、迷いなく私を好きだと言う。

何百回と寝がえりをうった気がする。

「蘇芳さん」

どきり、帰ってくるのは朝だとばかり思って焦る。まぎれもなく桂さんの声がする。

「入るよ」

しばらくして、音もなく障子を引いて部屋に踏み入る気配だけがして。灯りのない部屋で、月あかりがほんのりと廊下を照らしているのだけがわかる。

「おかえりなさい」

「ただいま」

そのやりとりから、しばらくの時間が流れ…。先に口を開いたのは桂さんの方だった。

「武市君の事を好きなの」

わからない。

首を縦にも横にも振れずに困惑したまま彼をみつめる。

「好きでも…。好きならいいよ、なんて言えない」

少し低い、落ち着いた声音が響く。

「簡単に蘇芳さんの事、手放せる程度なんかなじゃない。それは、わかってくれるかい」

そう言って、私の両の頬に掌を添えて、悲しげに覗きこむ桂さん。そのまま、口づけを落として、するすると、頬を、耳朶を、首筋と鎖骨を、唇で撫でてゆく。

「っ、桂さん…」

「こんな事して…狡いって思うだろう?武市君は今夜、君に触れる事すら出来ないんだから…私は」

寝間着をそっと引っ張って、心臓のすぐ上の皮膚、谷間をきつく吸われ体を捩る。

「それをわかっていて、君を抱く」

「っ…。私、わからなくなってきて…っ」

自然、涙はこみあげてきて。困惑ばかりが溢れかえって、桂さんにも武市さんにも非道い事をしてる気分になる。

ぴた、と私の鎖骨、肩を撫でていた桂さんの手は止んで、私を見下ろしている。どれくらい何を躊躇っていたんだろう。

桂さんは意を決して、そっと、そっと、

「こんな事、敢えて口にする時が来るのかわからなかったけれど」

真っ直ぐ見つめられて待っていた。

「私は、蘇芳さんの事が好きだよ」

その一言で、目尻から熱い涙がぽろ、と零れ落ちて行く。

あ…と、ひとつだけ、わかった事があった。

「桂さん、好きって言うの、怖いですか?」

「すごく。」

私達臆病だから。だから手を伸ばす事すら不安だった。振り払われたら…その気持ちがわかるから。そこに、魅かれたんじゃなかった…?

「私もすごく怖い。…こわい」

だから、愛しいと思ったんじゃなかった?

「私もそんな…何回もなんて、言えない、から…っ」

「蘇芳」

抱きしめた桂さんは、大きいから…全然私には包み込む事すらできないけど。今夜はずっと離れたくなんてなかった。

「す、き」

抱きしめてる間中、私も好きだって気持ちがずっと伝わってればいいと思った。

「フラフラする蘇芳さんの事も、見ているよ」

「なんか、やです」

「それでも私がいい、って思わせる」

「はい…」

「鈍感とか石頭とか、誰かさんに言われてもね…前言撤回させられるだけの、自信はもうあるって自覚しているんだけど?」

大真面目に耳元で囁く貴方は誰?思わず噴き出しそうになって見上げると、余裕の笑顔がそこに。

駄目…もうすっかり虜になってるなんて、私こそ何者かしらと恥ずかしい。どうしてこんなに好きになってしまったのか。

ひとつずつ、好きなところを挙げはじめたら。答えは出るでしょうか。

ねえ、桂さん。



もっと切なくなるだけの行為



-END-
2万打記念SSリク「続・武市vs桂」蘇芳さまへ捧げます。

タイトル拝借「にやり」

***

うつむき月智生様からいただきました。

本当もうそも優しさも君じゃなじゃなかったらただのがらくたの続編です。
もともと自分が書けないからという無茶ぶりからはじまったリクですがこんな素敵作品になって手元に届けていただけるなんて!
実はフラフラ体質な私をフラフラも含めて受け止めてもらいます♪
ありがとうございました!

20120107 蘇芳

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