恋の始め方

【某所 桂小五郎の控室】


(確か、今日の予定はこれだけだったな。初顔合わせか。衣装合わせもお願いしますって言ってたが…)

用意されていた新聞を片手にソファに身を沈め、一日の流れを静かにシュミレーションしていると、こんこん!と元気のいいノック音が楽屋に響いた。

時間が許せば、誰よりも早く現場に入るのが癖になっているので、この時間帯に誰かが楽屋に訪ねてくることなどあまりあることではない。

(めずらしいな。スタッフか?)

「はい。どうぞ」

興味半分、警戒半分で扉まで歩を進め、扉を引いた。


扉の向こうに立っていたのはつい先日挨拶を交わした子の姿。

私が扉を引いたことに驚いたのか一瞬大きく目を見開いた。

「あ、おはようございます!蘇芳と申します。今日からよろしくお願いします!」

「はい、こちらこそよろしくお願いします」

息継ぎなしでされた挨拶と勢いよく頭を下げる蘇芳さんに私も軽く頭を下げた。

「それにしても現場にはいるの早いね」

「あ、なんか緊張しちゃって早く目が覚めちゃったんですよ。時代劇って初めてですし。付け焼き刃で申し訳ないですが、話を頂いてからすぐに所作や日舞を習ってきました。
小さな頃から舞台に立たれている桂さんからしたら、まだまだ全然ダメだと思いますけど…気付いたことがあればガンガン指摘してください!」

緊張からか矢のように出される言葉たちが何だか可愛らしくて頬が緩んだ。

「よろしくお願いします!」と前回同様、くったくのないきれいな笑顔を浮かべる彼女はこの世界に数多くいる人種とは少し違う印象を受け、その瞳に釘付けになった。


(いやいや、この子も役者の端くれ。案外これも演技かもしれないしな)

そんなことを考えながら「これから一緒に頑張りましょう」と口の端を上げた。

「そういえば、坂本君とは仲がいいのかい?」

「へ?」

「ほら、こないだ一緒に来てくれたから」

「あぁ、龍馬さんはあれこれと色々教えてくれたり、ご飯に誘ってくれたり、何かと気を使ってくれるんですよ。
こないだ桂さんにご挨拶に行ったときも私が緊張しいなのをわかって『一緒にきぃ』って誘ってくれたんです」

「そうだったんだ」

「あ、桂さんって大久保さんともお知り合いですよね?共演とかされてたし」

「あぁ、坂本君も大久保さんもたまに一緒にご飯にいったりするけどね」

「大久保さんとご飯…」

「ん?どうかした?」

「い、いえ、あの日、大久保さんにもお会いしたんですが、なんていうか大久保さんって口が悪い…じゃなくて、気難しいというか、とっつきにくいというか…」

「ははは、確かにそういう印象を与えがちだね」

気難しい表情をしている大久保さんを頭に思い浮かべ、にこりと微笑みかけると難しい表情でうんうんと大きくうなづく蘇芳さん

「こないだも小娘小娘って言われちゃって!
でも…うーん。うまくいえないんですけど、それだけじゃない感じもするんですよね」

「…」

「あ、ほぼ初対面なのにこんなにべらべらしゃべって、楽屋に長居しちゃって…ほんとすいません」

「いや、大丈夫だよ」

そう返す私を暫く見つめると、意を決したように口を開いた。

「あ…あの、もしご迷惑じゃなかったら連絡先を教えてもらえませんか?」

「…えっ?」

「あ、いや、何でもないです!気にしないでください!
ただ、お話が楽しかったし、いろいろ撮影とかで聞きたかったこととかでてくると思うので………」
語尾がごにょごにょと小さくなり、俯いて見えにくくはなっているが、頬はリンゴのように赤く染まっている。


正直、一回りほど違う子に連絡先を聞かれるとは夢にも思わず、虚をつかれたが、不快感も特に断る理由もなかった。

「じゃあ、いま携帯持ってる?」

「あ、マネージャーだ…」

呆然とする彼女にクスリと笑うと近くにあったメモ用紙に連絡先を書いて手渡した。

「ありがとうございます!では失礼しますね」

ぺこりと頭を下げ、楽屋から出て行った。

普段なら共演者、ましてやほぼ初対面の相手とは無駄話もそんなにしない。ましてや連絡先を教えたりなど過去にはないのだがついそうしてしまった。

(不思議と蘇芳さんとならゆったりとした時間が流れていたからかな。不思議だ)



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