掬水月在手
翌日昼過ぎに藩邸を出て、小五郎さんに連れられてきたのは、京のはずれの温泉が湧いている宿だった。
「わあ〜素敵なお庭!」
通された部屋から見える丁寧に手入れがされた庭に思わず立ち上がって見入っていると、小五郎さんが優しい微笑を浮かべながら隣に立った。
「気に入ったかな?」
「はい。とっても素敵!」
「近くてすまないけどここなら安心だから。」
「安心?」
「ここはね、藩邸で出たけが人や病人が湯治をする時などに使う宿の1つなんだけど、ここなら気心もしれてるからゆっくりできるし、何かあったときでもすぐ戻れるからね。」
「そ、そうですか…」
「蘇芳?どうかしたかな?急に少し表情が曇ったようだけど?」
「だって、たまには小五郎さんにゆっくりと休んでもらいたいんです。戻れる距離じゃない方がよかったなって」
「大丈夫。あくまで念のためで明日の昼頃まではゆっくりできるよ」
「そうなんですか!よかった!!」
「そう、それまでは世話をするもの以外は二人きりだよ」
「………」
妖艶に微笑む小五郎さんにふわりと肩を抱き寄せられて、小五郎さんの肩に頭がこつんとぶつかる。
二人きりを強調された後だからか明らかに自分の頬が火照っているのを感じていた。
そんな私をさらりとした態度で受け流し、手を差し出された。
「じゃ、庭を見に下に下りてみようか。」
「は、はい!」
縁側から下に降り、丁寧に手入れがされた落ち着いた庭を二人並んでゆっくり散歩していると藩邸にいるときの慌しさが嘘のようで時が止まったような感覚すら覚える。
最近少しだけあたたかくなった風を感じながら他愛のない会話をしていた。
「あ、そうだ!ねぇ、小五郎さん、月を捕まえる方法のお話は?」
空を見上げると白い月が青い空に浮かんでいるのが見える。
それを小五郎さんも見上げ、微笑みながら
「そうだったね。でもきっと夜の方が上手く捕まえられるから後のお楽しみということで」
といった。
***
日が落ちて、湯にでもつかろうかと言われ、久しぶりの温泉にうきうきしていると
「脱衣所に湯着が置いてあると思うから、ちゃんと着るんだよ」
「湯着ってなんですか?」
「………湯に入る時につける着物だよ。」
(あれ…?もしかして今一瞬それも知らないのか的な表情されなかった?)
「そんなのがあるんですね。はぁい。わかりました」
脱衣所にはいると白い薄手の襦袢のようなものがおいてあり、ああ、これがさっき言っていた湯着ってやつかと思いながら袖を通した。
(温泉なのにわざわざこんなものをきなきゃいけないなんて面倒だなぁ)
手拭いを手に脱衣場から出ると大きいとは言えないが岩に囲まれたお湯が見え、湯煙の中に人影がひとつ浮かんでいた。
(あれ?誰か先に入ってる人がいる。小五郎さんは私たちだけしかいないっていってたけど違ったのかな?)
「失礼しま〜す…」
その人影をあまり見ないようにお湯に近づき、小さめの声をかけ、かけ湯をしてお湯に浸かった。
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