act 02.



「あなた、言うほどのことでも無いですのね」

ある時珍しく女学生の数人が来店し、次子が品々を運んで来るとじろじろとすみずみまで見ては、会計にはそんなことを言って出ていった。
「ふん、やな娘たちだ。次ちゃん気にすることはないよ」
「…はあ…
どういった意味だったのか、よくわかりませんでした…」
教養の高い華族なんかのご息女たちは、卑しい下働きの子供が持て囃されるのが我慢ならなかったようである。
これを皮切りに時たまこうした一団がしずしずとやって来ては、庶民的な店を嫌々そうにきょろきょろと睨み、口元をハンカチフで押さえてみたり、出されたお茶に目を背けてみたりした。
ところが彼女たちがまずとことん嫌うのは次子であった。珍しい白髪や長年の野良仕事で日に焼けた肌なんかは、もう見るに耐えないといった様子で、汚ならしいと叫んで去ったり、水仕事で荒れた手で給仕をすれば、信じられないとその手をはたくことさえあった。

いじめられて参るかと思われた次子は案外にこたえない。嫌味のあまりわからぬ子供であったこと。それから侮辱の数々を、その通りだと思っていたので全くと言っていい程へっちゃらだった。


「あなたなど、やぢうと張るわ」

そうして秋口、嫌味を目的にやってくる女学生はもうほとんど居なかったが、お前に先日花を贈ったのは私の許嫁です、と頬を張って帰ったりするようなのならまだ現れる。ところがこのところやってきた女学生に、こう言われた。

“やぢう”

「やぢう とはなんだろうね」
「さあね」「見当もつかないね」
珍しく次子の方から声を掛けられてだらしなく嬉しそうにする男たちが、それなのに揃って素っ気ない態度をとった。
「ご存じない?あなたも?」
次子は嫌味などは全然気にならないが、知らない言葉を聞かされてそれが何なのかは知りたかった。
「いや、とんと」「まったく」
「ふうん。珍しい言葉を知っていたのだなあ彼女…」
店の旦那も奥さんも、客も近所の店の人までが知らない。
彼女はきっと、よっぽど勉強した人なのだな。難しい言葉なんだ。“やぢう”とは。
次子はそう思い至ったが、それからしばらくして、再び例の女学生がやってきた。今度は学友たちと席につき、あらやだ、本当に。なんて、次子を見てはこそこそめいている。
「失礼。ご注文のお品です」
「……」「………」「……」
こうしてじとりと睨まれるのも慣れたものだ。お茶の入ったカップをテーブルに並べ、お盆を両手で持ち直す。
「尋ねたいことがあるのですが」
次子は臆さない。中には散々嫌味を撒いていった女子もいた。
「“やぢう”とは何かお訊きしたい」
途端、女学生たちは弾けるように笑いだした。ばかにされているとわかったが、別段腹も立たない。答えを聞きたい。
「教養の無いこと」
「恥ずかしいわね」
「いやあね」
群れ成す女学生たちの不親切さは予想もつかないところにあった。けらけらと笑うだけ笑い質問に答えずに去ってしまった。


「…聞けなかった…」
「……いじわるですねえ」
「勇気はご存知ありませんか」
「いえ、それがぜんぜん」
勇気は次子と同じくカフェに働く裏方仕事の少年。働き者で気が合ったのか、2人の仲はとても良かった。
「誰か他に知っている人はいないものでしょうか」
「さて、お嬢さんも知らないとなると、あとはおれには」
2人が勤めるカフェには同じ年の頃の娘が居る。朗らかで底抜けに明るい娘で、以前はよく店に立ったが、今は勉強が忙しくて時々に手伝う程度。
「お嬢さんが知らなくて我々にわかるはずもないですからね」
「毎日とても熱心に勉強されていますからね」
次子と勇気が入ったことで彼女が店に出なくとも十分に立ち回れるのだが、2人に負担をかけている気でいる彼女は優しい質であるのだねと、2人でよく話している。
「お二人とも、休憩ですよ」
「噂をすれば、ですね」
「ですね」
お茶と焼き菓子を乗せた盆を持ち噂のお嬢さんがやってきた。お茶が3人分あるあたり、どうやらお嬢さんも休憩に参加するようだ。

自分の娘を学校へ出し、同じ年の頃の次子と勇気を働かせている。ご主人はそんなことを気にしているようで、よくこうして3人で話す席を設けるように気を遣った。次子も勇気もそんなことは気にしていないし、学校への憧れはあれど暮らしは全く辛くない。善くしてもらって毎日感謝を思っている。
「お嬢さん、今日は学校はどうでしたか」
「春奈でいいですよ」
「そういう訳にはいきません」
「もう、お二人ともからかって」
ご主人の気遣いもあり3人は仲睦まじくしていたが、この遊戯は恒例化していて、敬うふりに怒るふり。実際はただ親しい友人同士だった。
「今日は天文の勉強をしました。覚えることが多くて、大変です」
「天文。ということは星を読むのですか」
「次子さんご存知なんですか。おれは聞いたこともないですよ」
「以前のお勤め先で、少しだけ」
高貴な身分であるはずの例の高飛車な女学生らなんかより、崇高で上品な会話を交わしているが3人は、ごくごく自然にそうしていた。そうしてこの厨房裏のお茶会は、町の小さな名物であった。

「春奈さん、再三申し訳が無いですが」
「はい」
「やはり“やぢう”をご存知ではありませんか」
「ああ、その事。ええ御免なさい知りません」
裏表のない春奈だからこそ疑うのだがどうも変。
以前、皆さんで知らないふりをしているのかもしれません、と次子が勇気に言ったのを、勇気はまさかと笑って聞いた。しかし今春奈の様子を見て、成る程と思う。妙にきっぱりとした言い方である。春奈はどこか狼狽して見えた。
隠し事なんてしたくないのが本音だろう。春奈の性格を考えれば次子の説は、あながちまさかで終わらない。春奈なら知らないことは次子同様、知らないで終わらせたくない根性の者だった。調べものが大好きで、突き止めるのは更に好き。たとい知らなくとも突き止める。その春奈がええ知らぬと質問さえも拒絶する。

「なにやら悪いことかもしれませんね…」
「知ってはいけないかもと?」
休憩が終わって次子が言った。水くさいところなど無い春奈がすぱりと拒否したことを暴くのは、さすがに好奇心でも無邪気といかないとわきまえている。
「そもそもわるくちで言われた事です。以降は私、口にしません」
だからこそ気になりもするだろうと勇気は思ったが、次子の諦めは潔かった。
そうして“やぢう”は忘れられたが、それと深々と関わる日は、これより遠くもないことだった。





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