症状が悪化してしばらく経った夜中、とうとう不動は吐いた。
せり上がるえぐみと酸のような唾液。

真夜中のトイレは蛍光灯が眩しくて目がチカチカする。動けない。苦しい。
便器にしがみつく自分が情けなくて惨めだった。
次第に悔しくて切なくて涙が溢れてくる。

どうしてこんなに辛くて、
長い間苦しくて、
なのになんで打ち勝てないんだ。こんなものに。
こんなに虐げられてきて、どうして最後まで戦えないんだ。

今、ようやく毎日が楽しい。
散々な場所から今だけ解放されていて、今が終わればまた戻される。
どうして、自分がこんな目に…
自分だけがこんな…


何もかも、虚しくて堪らない。
冷や汗と涙がはたはたと落ちていく。息をする度肋骨が軋むような気がした。


「…!」
「だいじょうぶか」
足音も気配も感じなかったが、優しく肩を抱かれていた。
「…やっぱり、辛かったんだろう」
「……、…」
相手の手が熱いくらいに暖かかった。それで体が冷えて震えていることにぼんやり気付く。

"だいじょうぶか"

「…、…さ……」
「あ、ごめん。触っちゃった。誰か、他の人を呼んでくるから」
暖かい手がすっと離れた。ここに居るのは佐久間で、引き留めなければ立ち上がって去っていってしまうとわかった。
「いい」
「…あ、えっと、風丸を呼ぶよ。監督とか、マネージャーには知られたくないだろ」
「いい」
「でも、ひとりじゃ…」
ここに、と絞り出した声は、自分のものと思えないほどに弱々しかった。
「あ、鬼道の方がいいか?親しいだろ」
「いい。ここに、ここにいろ」
ほとんど怒鳴った。
どこかに行っちまえと思うのに、関係ないだろと思うのに、
行かないでくれとごねる心がそれよりも強かった。
「でも、おれじゃ」
「いい。居ろ。ここに居ろ」
「……不動…」
「…頼む」
頼むよ、と、もう一度呟いた。
佐久間の戸惑いがわかる。項垂れたこの目線では姿は愚か顔も見えないが、
ともかく不動は佐久間が嫌い。こう思っている相手から、ここにいてくれと懇願されてはためらいもする。当たり前だ。

げほ、と鈍く咳き込んで、吐き気が失せていることがわかった。
それでも体を駆け巡る不快感や倦怠感が、トイレの床に根をめぐらせているような気がした。

「触るぞ…」
小さく申し訳そうな声がして、佐久間の手が再び不動の肩に触れた。そこからじわりと熱が広がり、ひりひりする食道の横で、やっとかろうじて動く心臓を感じる。
「……」
「……」
佐久間は不動の背中を抱えるように肩を抱き、力なく床に落ちていた右手を握った。
「だいじょうぶ」
「……」
「平気、平気」
不動は意識も朦朧と、細い体に遠慮も無く倒れ込んだ。暖かくて、気持ちいい。
柔らかくて、いい匂いがする。
「胃酸が戻って、体がびっくりしたんだろう。だいじょうぶ。ちょっと休んだら、部屋に戻ろう。寝られないなら、お茶でも飲もう」
佐久間の言い方が子供っぽくて、少し笑える。
なのに本当に安心して、酷い冷や汗もまだ止まらない涙もどうでもよかった。
さっきまで感じていたひどい絶望も、まるで消え去っていた。

今ならば、深く静かに眠れる気がする。

「だいじょうぶ」


お前がそう言うなら、そうなんだろう。




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