※ 帝国(源佐久)




長く厳しかった冬もようやく終わりか。最近は天気が良くて気持ちがいいな、などと、爽快な気分で考えて無しに体を伸ばした瞬間だった。


「誰か、安全ピンとか持ってないか」



千本針
【a million hands】





「何だそれ!裂けたのか?」
源田の左手には、あり得ない箇所が破れたワイシャツ。それを見た友人たちから驚愕の声が上がる。

昼前の暖かい日差しに気分が良くなり伸びをしたら、左右の袖の縫い目と何故か背中の切り返しが裂けた。ブレザーを着ていれば見えないのだが、布が動いて心地が悪い。仕方なく指定の運動着に着替えた。
「どうしたらこうなるんだ…」
シャツの惨劇に言葉を失っていた佐久間は源田から見事に裂けたワイシャツを受け取ると呆れたような声で言った。
「いや、もともと小さくなってたのを無理に着てたせいだと思うけど」
「小さいのか?これが?」
「小さいな」
彼女が左右の袖に内側から手を入れてはたつかせたのを見たら体とシャツが対比になって、成程、小さいサイズではないらしいと今更思う。
「お前今、何センチ?絶対伸びたよな、背」
「箸でさすなよ辺見」
今は昼食の時間だが、いつもこうして部員で集まり天気のいい日は屋上で食べる。そして全員揃わなくとも着いた者から先に食べる。馴染みながらのことである。
それでも佐久間はまだ昼食を広げていなかった。
待っていてくれたのか、と言いかけてやめた。皆の前で照れさせられるのは居ても立ってもいられなくなるらしい。自重。
「ひゃくななじゅう…」
「うわっ70センチ代かよ」
「辺見先輩170いってないんですか」
「成神笑ってるけどな、お前の方がチビだろう」
「ななじゅう…よくわからない。5は越えてるんじゃないか?」
会話をしながらもちらちらと佐久間の方を見る。裂けた縫い目を丹念に調べて、慣れた手付きで畳んで置いた。
「チビではないですよぉ。それ洞面の前では禁句ですからね」
「そういやウチのレギュラー結構でかいよなぁ」
「それ洞面の前では言っちゃだめですからね」
「そういえば洞面来ないな。どうしたんだ」
相変わらず佐久間の方を盗み見ながら話に加わる。佐久間は弁当箱を取り出して、蓋を取り、箸箱を開ける。それを見て自分も昼食を広げた。
「今日学食行くらしいっす」
「寺門もだよな?なんだ4人ぽっちか」
「つるみすぎっすよオレら。仲良しっすねぇ」
「いいことじゃないか」
そういってやはり当然のようにあぐらをかこうとする佐久間に待ったをかけて軽く説教。週に5回は注意している気がする。

「放課後までに縫っとくよ」

"でももう着ないだろうから、簡単にな。"
昼食の後、そう言って佐久間はワイシャツを抱えて教室に戻って行った。

こういう面が意外である。

裁縫ができてあまつさえ裁縫道具を持ち歩いているとは、あぐらと言葉遣いを毎日のように注意される彼女からは予想もしなかった。
「ボロボロに一票」
「悪いけど、オレもっす」
「うーん…まぁ帰るときに着れればいいし…」
しかし可愛い彼女の厚意なのに、出来を信用してあげれないのは…
申し訳ないが仕方ない。


ワイシャツのことは部活中全く忘れていて、昼間に話した"うちのイレブンは仲が良い"とか"洞面にチビは禁句"とかそういった事は思い出したのにシャツのことだけは失念していた。佐久間も一度も口にしなかったが、終わってすぐに思い出した。そして何も言われなかったことで、悪い、失敗した、と"ボロボロ"が差し出されることをほぼ確信した。


「あ、わ、、わ、ごめん」
男子よりずっと帰り支度の早い彼女は、とっくに皆着替えていると扉を開けて慌てて閉めた。
逆じゃね、と辺見が呟いてどっと笑いが起こり、佐久間はドアの外からなになに?と興味津々に声を掛ける。
「まだあ?遅いなお前ら」
「お前が早すぎるんだよ」
「そうかなあ」
やはり一向にシャツの事を言い出さない。もしかして忘れているとも閃くが、"ボロボロ"の方がずっと可能性が高い。
「佐久間」
「終わったか?開けるぞ」
「いや、まだだけど」
「うん?何?」
「ワイシャツ」
ドアを開けて顔だけ出すと、佐久間はすぐ横の壁に寄りかかってしゃがんでいた。
「何か着てから出てこいよ!」
目があった途端に飛び退いて非難される。
「だから、ワイシャツ。預けてるだろ」
「あ、そう、そうだ。届けに来たんだった」
スポーツバックに手を突っ込み、漁ってさっとシャツを取り出す。畳んであったのでできばえはよくわからない。受け取って、戸を閉めながら礼を言う。
「ありがとう。パンツ見えてるぞ」
バタン。
「早くな」
壁のロッカーに向かいながら畳んであったシャツを開く。
「わ、綺麗になおりましたねえ」
「ホントだ。へぇ、やるじゃんあいつ」
「てか先輩それ小さいんすよね?着たらまた破けちゃうんじゃないっすか?」
わっと寄ってきた辺見と成神が縫い目を見ると感心したような声を出す。慌てて自分も見てみるが、確かに破れたこともわからないくらいに修復されている。見事だ。
「源田ぁ」
「今行く」
着替えて部室から出るとやはり壁に寄りかかってしゃがんでいた。正直上目に見られると、慣れているはずなのに目眩がする。
「帰れる?」
「ああ、待たせたな」
もう一度丁寧に御礼を言って、意外なスキルを褒めちぎりながら帰った。途中褒めすぎたのか軽く蹴られたがそれでもとても嬉しかった。

「シャツ、買いに行かないと」
「購買で注文したらいいじゃないか」
「あんまり好きじゃないんだよ。学校のシャツ」
多分体にあんまり合わないんだとぶつぶつごちると佐久間が明るく言う。
「じゃあ行こう。今度の休み。新学期の準備。私もスパイク新調したいし、源田ももう小さいだろ」
「…知ってたのか」
「当然」
得意気に言うのが可愛くて、頭を撫でると容赦なく叩き払われる。その上肘で脇腹を軽く打たれる。
「なんだよ可愛いと思ってやってるんだぞ」
「なお悪い。恥ずかしい」
にやにやするな、と睨まれてますます顔がにやけてしまう。こいつはどうしてこう、照れに免疫が無いというか、慣れないというか。


「新学期の、準備か…」
帰宅して部屋着に着替え、制服をハンガーにかける。小さくなった上に盛大に破れたワイシャツを脱ぐと、ぐしゃぐしゃと丸めてゴミに投げようとふりかぶる。
しかし投げずにもう一度広げて彼女が縫った箇所を見てみると、それだけでこの破れたシャツにも価値がある気がしてきた。
おそらく短い休み時間を利用してやってくれたのだろうが、本当に綺麗に丁寧に縫ってある。
「捨てられくなったなあ…」
シワを伸ばしていたら胸ポケットに見慣れない色がついていた。汚れだと思い叩いてみるが一向に取れる気配がない。
「…あ」
よく見ると銀色の糸で小さくイニシャルを刺繍してあるのだとわかった。ぱっと見ただけではわからない。
こんなものは、なかったはずだ。ということは、つまり、今日、彼女が刺繍したのだということになる。

"もう着ないだろうから、簡単にな"

そうとわかるともうどうしたって顔が笑ってしまうので、にやにやするな!と怒る彼女の声が聞こえてくるような気がする。
今、思い切り抱き締めて、柔らかい髪に頬擦りしたい。この糸を通した手にキスしたい。

彼女は俺を浮かれて狂った馬鹿にする。

いちいち、いちいち。




土曜日は彼女にシャツを選んでもらおう。
ずっと観たかった映画もある。
週末は晴れるらしいし、桜が咲くのももうすぐだ。


買ったシャツにはもう一度、この目立たない刺繍を頼みたいと思っている。




2011.03.15




▼ 短編top

***

辺見の「逆じゃね」は、「普通男子が女子更衣室を開けてキャーヤダーバカーンウフーンてなるパターンなのにな」ということ。



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -