佐久間は足元のおぼつかない不動を半ば抱えるようにして自室に運んだ。
「屈辱的…」
不動がうめく。
「だったらしっかりしな」
ぴしゃりと言うが、厳しい口調ではなかった。

「待ってろよ」
不動をベッドに座らせると、寝巻きのまま再び出ていく。物の少ない部屋だ。備え付けの机の上に少量の冊子と筆記用具。サイドボードに携帯電話。出入口のすぐそばの壁にスパイクが立て掛けられている。あとは仕舞われているのか物が見当たらない。

ぼうっとただ座っていた。
虚脱感がすごいのに、吐いたせいかすっきりしている。そのくせ頭が定まらない。
「疲れたろ」
佐久間は配膳用の大きなトレーに何やら色々と乗せて現れた。
「……」
返事をするのも億劫だ。格好悪いとか、恥ずかしいとか、不思議とどうでもよかった。
「今は約束、無効な。」
佐久間は卓上の物を寄せてトレーを置くと、小振りな容器にお湯を注いだ。湯気が出て、風呂の匂いがする。
「ほら、顔上げろ」
「……」
「世話のかかる。まったく」
突然顔に宛がわれた物は熱く蒸されたタオルだった。乱暴に顔を拭われ、たたみ直して今度は首。
「あつ、お、痛い」
「体は自分で拭け。本当は風呂に入った方がいいだろうけど、今の状態じゃ溺れちまう」
洗いなおしたタオルを投げられ慌てて受けとる。広げると湯気が上がって暖かい。素直に従い体を拭くと、Tシャツとハーフパンツが投げられる。
「顔に投げるなよ」
「ハイハイ」
「……」
着替えながら時計を見ると、午前2時。1時間も悶絶していたことになる。
本当に苦しくて堪らなかったのに、なんだか嘘のようにさっぱりした気分だ。シャツに頭を潜らせると、片足が持ち上げられ、ふっと温んだ。
「今、気持ち悪かったりするか」
「…いや…」
佐久間が屈んで不動の足を拭いていた。驚いて動けない。
こいつ、こんな風にできるのか。人の足を拭くなんて…
裕福な家の子供であるはずの佐久間が、こうして自分に跪いていることがあまりにも…
不動は丁寧に自分の足を拭う佐久間を引き込まれるように凝視した。
手、腕、腹、首、俯いた顔…目。
何か、言いたいことがある。不動は佐久間に言いたいことがあると思った。大事なことだ。言わなければ。
でもそれがなんなのかよくわからない。
左右の足を拭き終わった佐久間は、よし、と言って立ち上がった。タオルをトレーの上に乗せると、今度は何かをカップに注ぐ。
「…なんだ、これ」
「スポーツドリンク」
「いや湯気たってるし」
「そう、熱くした。
飲んだら、少し寝てみろよ。寝られないかもしれないけど、横になった方がいい」

落ち着いていた気分が、寝る、という単語にざわついた。
熱されたスポーツドリンクは体にすんなり溶けるようで、傷んだ体が癒される。佐久間は再びトレーを持って、用の済んだ物を片付けに行った。
ベッドの布団が乱れている。慌ててやって来たのだろうか。跳ね起きたのではないかというくらい捲れ上がっている。
…どうしてあの場にいたんだろうか。頭は大分はっきりしてきていたが、しっかりしているわけではなかった。それに、考えるのも面倒だ。

「どう」
「…あ?」
「眠れそうか」
「………」
ぐっと顔が暗くなる。佐久間はそれを見るとくすりと笑った。
深刻なことを笑われて、不動は少し腹が立つ。どうせ伝わらない辛さだ。憂鬱だ。

「眠るまで、傍にいようか」

なんて、冗談、と笑って佐久間は椅子に腰かけた。
久々に近くで笑うところを見た気がする。
「…冗談?」
「……ごめんな。約束。」
「は?」
「触っちゃったし、喋っちゃったし、馴れ馴れしくしてるし、あとは、えーと」
「…お前が勝手に言ってたんだろ」
不動の声は不機嫌だった。
「勝手にって、だって、その方がいいだろう?」
「その方が?」
「嫌いな人間とは、話したくはないよな」
「だからそれはお前が勝手に」
「じゃあ好きか。違うだろ」
「むしろお前が俺を……」

不動は言葉を切った。興奮したのか頭が再びぼやっと揺らいだ。
「まぁいいやそれは。それより少し寝てみろよ」
「……」
よくないだろう…
"今"が過ぎたらまた話さない目も合わせない…そうなるんだ。
「環境が悪いのかも。おれの部屋で寝てみたらどうだろうな。変わらないかな」
「…は?なに?ここで?」
「あ、いや、ごめん。そっか。それは嫌だよな」
「ちげえよ!そうじゃなくて」
「じゃあもしや潔癖症」
つい声を張るが相手の飄々とした態度にばからしくなる。
「いや、…寝ては、みる。けど…」
「うん、どうする?ここで寝てみるか?」
正直藁にもすがりたいし、自室と違ってここは悪い気配が無いように思える。だがだからといって…
今まで佐久間が眠っていた布団に寝るというのは…

ちらりと見ると佐久間は何かを考えているようだった。
乱れた布団が生々しい。ここに収まって寝れるだろうか…
不動は試しに寝転がってみた。自室と同じ、布団に枕。だがふわりと香る匂いが違う。
絶望の中から救い上げられたついさっき、佐久間になだれてかいだ匂い。落ち着く。あ、眠い…
目を閉じると布団を肩まで掛けられる。足、と言われて座る形になっていた足も布団に仕舞った。
証明が消された気配がして、足元の方から音がする。
「…なにしてんだ」
「寝ることに集中しろ。おれは別の部屋に行くから気にするな」
「……はあ?」
思わずむくりと起き上がる。
「わ、寝ろよ」
「別の部屋って、なんだよ」
「今、綱海にメールを…」
「あァ?」
「いや返事来なくても行くよ。安心しろ。」
「なんで」
「なんでって、居ない方がいいだろう」

「…寝るまで居るって言った…だろ……」

言い切って、顔が火照った。部屋が暗くて良かった。
不動は暗闇にぼんやり浮かぶ、携帯電話の液晶に照らされた佐久間の顔をじっと見た。

火だ…

突然、過去の記憶が蘇る。

「わかった。居るよ。
妨げにならないなら」

佐久間はしっかりした声で答えた。不動に寝るように促し、顔を突き合わせるような位置に座った。
「椅子に居ろよ…」
「だいじょうぶ」
「……なにがだよ」
「寝れるよ。こわくない」
うるせー、と呟いて、不動は目を閉じた。佐久間がよれた布団を掛け直すと、またあの香りに包まれる。

「だいじょうぶ」

口振りはいつも大人っぽいのに、"大丈夫"だけは口の回らない小さな子供が言っているように聞こえる。それが妙に安心した。

あれほど辛くてまんじりとも出来ない日々が嘘のように、体が暖まり今にも眠れそう。

「……てを…」

眠りにおちかけた不動は、大胆な要求をした。
佐久間は動じずそれに応えた。顔の横に置かれた右手を、優しく大事に包んでやる。

「………、く…」

佐久間は不動の頬をなで、伝う涙を拭ってやった。
不動の寝顔はぎこちなく、まるで眠ることに慣れていないように見える。
佐久間の手を離さない。

「……寝たの?不動…」


穏やかな寝息が規則正しく繰り返される。
こんな、
逃れられない何かを抱えて、どうしようもなく苦しんでいる…
同い年なのに…
一体、何故…

佐久間は不動へのいたたまれない気持ちを、どうしていいかわからなかった。
不動は傷だらけに見え、ぼろぼろで痛々しく思える。

友達に、なりたいのに…


目が覚めたら、ルールを守らなくちゃ。






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