chapter.15



玄関を開けて出迎えると佐久間は顔も上げずに出てこいという身振りをする。相当不機嫌だ。

「久しぶり」
会いたかったから嬉しくて弾むように歩み出る。
手放した玄関扉が閉まるとほぼ同時に、殴られた。
頬骨と顎がみしりと音を立て、源田はよろめき壁にぶつかる。壁にぶつかった衝撃が痛くて顔をしかめたが、揺れる脳の振動が落ち着くとやはり殴られた箇所の方が倍の倍も痛かった。
一見女性よりも細くしなやかな腕から、こうも強烈な攻撃が繰り出されるとは。
痛みは確かだったが、怒りは感じない。
源田の頭が殴られた衝撃からしゃんとするまでの間に、佐久間は源田の家に上がり込んで居た。
部屋に入るとソファの隅にまるくなって寝転んでいた。
「おかえり」
「………」
冷蔵庫から保冷剤を取り出して頬に当てると、口の中が切れていることがわかった。
「なんか…ごめんね?」
「………」
正直何がここまで怒れる佐久間にしてしまったのかよくわからない。実家に連絡したことが原因なのは確かだろうが、理由は?
「ねぇ、佐久間」
「………」
「ごめんって。どうしたの?」
佐久間が自分のテリトリー内に居ることで、怒りはあれど許せないという程には至っていないのだと予測していた。
「なぁ、さく」
「黙れ」
「なんだよ、そんなに怒らなくても。実家に電話しただけじゃないか…」
「………」
結局佐久間はその日それ以降何も言わずに寝てしまった。相当疲れているように見えた。見計らって布団をかけようと近付いたら蹴られ、太股に青アザをこしらえてしまった。
野性味あふれる男である。


「お前2週間くらい消えてくれない」
翌朝目覚めて開口一番。
「は?」
「定家が家を見張ってるからおれ居るとこ無いんだよお前のせいで。だからここにしばらく住むからお前消えて」
「…いや…無理でしょ」
「なんで?なにが?責任取れよ全て何もかもお前のせいだぜ」
せめて説明してくれと思ったが、謝ってしまったからには責任ありますと言ったようなものだ。
「消えるのは無理だけど、住むのはかまわないよ。なんか、確かに俺のせいっぽいし」
「わかってないのにとりあえず謝る奴大嫌い。消えて」
説明する気はさらさら無さそうだ。佐久間は服を脱ぎ捨てながら風呂に向かう。その服を拾ってやってもいいものか判断に迷ったが、それにさえ迷ったくせに源田は自分の物と一緒に洗濯してしまった。
脱衣場に新品の下着と部屋着にしている服を置いたが、どれも佐久間にはサイズが合わない気がする。
(ま、いいか)

「おれの服ゥ!」

30分後、脱衣場から苛立ちと驚きが混ざった叫びが聞こえて来たが、とりあえず無視した。
何事かを呟きながらビニールを裂く乱暴な騒音が止むと、水滴が着地する音と共に佐久間は現れた。
「まだ居たのかよ」
チッ、と大きく舌打ちすると、冷蔵庫からパック入りの牛乳を取り出しそのまま直に飲み始める。野性味溢れる男である。
「悪いけど行くとこ無いから」
「おっかねー彼女が居んじゃん」
「別れたよ」
「ふうん」

“お前のために”

そう言ったらどんな顔をするだろう。
濡れた髪を簡単に拭くと、使ったタオルを源田の頭に投げつける。
自分が真面目過ぎるのか、幼い頃に「しちゃだめよ」と教えられたことをするのに僅かながらにしろ抵抗を感じる。小さいことだが、食事を残すことや、嘘をつくこと、人を指差すこと、罰当たりなこと、陰口を言うこと…数えきれないし些細だとも思う。そんなことを何とも思わずにそれらをこなす人も多い。佐久間もどちらかといえばそちら側だが、何とも思わないというよりかは「それはわかっているがだから何だ」という方が近い。
人の頭に物を投げつけるのは良いことではないが、自分はこいつに不道徳を叩きつけても罪悪など感じないほどの事をされたのだから、構わない。
そういう感じ。
源田は今の佐久間の状況に置かれたとしても同じことを躊躇無く出来はなしないだろうとぼんやり考えた。
「確執があるの?」
投げつけられたタオルを広げ、佐久間の後頭部をつつむ。
苛立ちが込められた肘鉄が腹に入ったが、一応は鍛えてあるのでそれほど効かない。
「………」
「定家の家と…」
肘鉄にぴくりともしない源田の反応に何を感じたのか、佐久間は黙った。されるがまま髪を拭かれ、それ以上の反抗は見せない。
「目のこと聞いた」
「………」
「本当は事故じゃなくて…」
急に佐久間は頭を振って源田の手から逃れる。
しかしこの場を去らずに、憔悴したようにフラフラと壁に向かい、完全に向かい合う位置に立つ。手を壁に当て額をつけると、ゴツ、ゴツ、とにぶくぶつける。
一見異常行動だ。
「佐久間?」
「うっさい」
ボソボソとした声。
触れてはいけないとわかっていた。でも触れなくては何も変わらない。
再会してから今までで、特に親しくなったといえる間柄では無いと思う。
それなのに一番深く暗いところをいきなり暴こうとする自分に源田は変な気分になる。
(俺、こんなことするヤツだったんだな)
意外な発見だ。

本音はもちろん知りたいし、その気持ちをうやむやにして、そのまま付き合うつもりは初めから無かった。
再会した時から、もしかしたら再会する前から、その予感さえも無い時から、“そこ”を暴くつもりでいた。
何にせよこのまさに今の状況も2人の関係も妙なままとどまり、進展しない事態だけは御免だ。
おそらくは禁忌に近いくらい、佐久間にとっては忌まわしい事だ。
目を刺すだなんてどう考えようとも普通ではない。
抑圧する定家の家に一矢報いたのでは無いだろうか。
佐久間の心の動きを、
あの時の痛みを分けて欲しい。

その思いを熱く乗せ、佐久間を見た。

白い壁にただ向かう姿は傷を癒そうとする動物に見える。
「佐久間…」
「うるさい…」
佐久間はその場にしゃがみこむ。
源田はまるで、ふと見つけた小さな動物が逃げてしまわぬようにするように、慎重に近寄り、隣に膝をついた。
「佐久間」
「うるさい」
「佐久間」
「うるさい…」
このやり取りを何度やったか、佐久間はそのうち応えなくなり、壁に頭を傾けると、疲れはてた様で眠ってしまった。
膝を抱える痛ましい姿にたまらなくなり、できるだけ優しく腕に抱え込むと、途端に表情は歪み小さな子のようにポロポロと涙を流す。
眠りが安息で無い人間を始めて見た。

佐久間の無邪気さや無垢な姿は、本当に、本当の彼の心の姿そのものなのかもしれない。
彼はまだ、歪んでしまった子供時代に、たったひとりで取り残されて苦しみ続けているのかもしれない。



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