chapter.10



彼が廃部寸前の天文学部に所属していたことはとっくに知っていたから、窓枠から校舎の外に半分身体がはみ出た状態で座っているあの場所は、天文学部の部室。

部活中グラウンドからその非常識な姿を何度か見た。
佐久間は空を見ているか、何かを読んでいた。
もしかしたらあれは舞台の台本だったのかもしれない。
紙飛行機を飛ばして遊んでいるのも見た。
大抵はひとりだったが、時たま部員なのか他の生徒が窓辺に現れる。
そうすると源田は、穏やかでないものが胸にうずまくのを感じていた。


「来るなよ」
夏も盛り。再び佐久間がモデルを勤めるブランドのオフィスビルの前に立った。暑くて暑くてたまらない。
「そういったってこうしなきゃ会えない」
「………」
会う必要が?
口には出さなかったが、そう思っていることを隠そうとする気配も無い。そういうところも好きだと思う。
「連絡を取り合うに不便だ。ケータイ買わないのか」
「………」
佐久間はくわえていたタバコをビル前のステップに捨てた。高そうな素材のシャツに身に余るルーズパンツ。その足元が履き古されてすり減ったビーチサンダルだった。
タバコを踏んで火を消すとポケットを探りながらステップを降りてくる。
「ん」
差し出されたのは携帯電話。
「持ってたのか?こないだ…」
「あァ…だから言ったろ。キライだって。めったに持ち歩かない」
ではキライだといったのは携帯電話のことだったのだ。今ようやくほっとして、差し出された携帯電話をとりあえず受け取る。
安堵の表情を佐久間は不思議に思ったが、特に考えるようなことはしない。タバコを新しく取り出そうとして、やめた。
「連絡先控えていいの」
大胆にも断らずしようとしたことを源田は白々しく確認する。
「いいよ。どうせ出ないし返さないから」
「うん。それでもいいよ。気が向いたら電話取ってよ」
源田が携帯電話を忙しく操作している間、佐久間はぼんやり空を見ていた。
「なんでキライなの?」
日陰から出ようとしない佐久間の足元だけが視界に入る。
「便利だと思ってる奴は、そう訊くな」
先ほどまさに“無いと不便”だと口にした源田は、いささかぎくりとした。佐久間にとって好ましくない人間に区分されてしまうような気がした。
「………」
「不便だよ。おれにとっては。ケータイで話してる奴を見ると異様に思うし、画面に釘付けの奴は邪魔だ」
「邪魔って?」
お互いの番号を入力し終わり、佐久間の携帯電話を返そうと差し出す。佐久間は受け取る気配を見せない。
「画面しか見てないで歩いてる。こっちに気付かない。ぶつかりそうになっても避けない。こっちが避ける羽目になる。…それともそれが前提なの?」
「あっちが悪いのに避けるのはシャクってことか」
わかる気がして頷いたが、佐久間はそれ以上説明する気を無くしたらしい。気分屋だとは思わなかった。
佐久間の思考には一生近付けない気がする。それはきっと根本的なことだ。
「違う…?」
不安気な言い方になってしまった。佐久間は歩き出している。慌てて後を追うと、駅とは違う方角の路地へ入って行く。
「佐久間ァ」
「ついて来るなよ」
「だって、ケータイ」
「いらない。捨てろよ」
「まさか。変な事言うなよ。なんだそれ」
追い付くと佐久間は立ち止まり、源田の手から携帯電話を奪う。路地を進んだ先、河にぶつかる。振りかぶる腕…
「おい!」
腕を掴むと手から携帯電話が落ちる。なんて衝動的な男なんだ。その爆発力は思春期の子供の姿に似ている…
「………」
苛立ちや、怒りをその顔に予想していた源田は不意に身がすくむ。
佐久間は振りかぶった腕をおさえて驚愕にかちりと固まった源田の表情を楽しむかのように笑んでいたのだ。
「投げると思った?」
「でなきゃ止めない…」
「投げないよ」
「止めなきゃ投げてただろ」
「止められるってわかってたから」
そしてケラケラと笑う。
携帯電話をポケットに収め、まだ硬直気味の源田の肩を軽くはたく。
「かき氷食べよっか」
「…は?」
「そこに氷屋があるんだ。種類少ないけど、シロップも手作り。美味しいよ」
「………」
そこに、と言いながら佐久間は方向を示さない。
手で日除けをつくり、空を見上げる。癖のように空をよく見る。
「おごってくれんの」
「んあ?ああ…いいけど」
携帯電話を仕舞ったポケットから折り畳まれた千円札を取り出す。
それを見てなんとなく、金に頓着の無い性質を見抜けた。
泊まるところが無いと言って押し掛けて来たり、高価なものを身に付けていても意図していないような素振り。
そのあたりに携帯電話がキライだという理由もありそうだ。
「あずきオススメ」
「そ。じゃ、あずきで」
「あとはね、抹茶かな。ばーちゃんとじーちゃんがやってて…」
耳にぎらりと光るピアス。
一体何個あけてあるやら。
「メニューが渋いけど味はサイコー。ソフトクリームもいけるけど…」
そう言ってのれんに手をかける佐久間は店に声をかけ、手招きする。
開店しているようには見えない店構えだったが人の良さそうな老夫婦に出迎えられ、誰とも親しくなかったこの美しい男が、寂しい古びた店で老夫婦と楽しそうに会話する不思議な光景にかち合う。

かき氷を食べながらケータイ嫌いの理由をぼんやり考えてみたが、源田にはやはりわからなかった。



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