chapter.08



カメラに向かい合う時、生き物の瞳の収縮を見詰める気分になる。
でもレンズには光沢が無い。あのぴかっとする目の感じ、あれは生きてるものだけの特権。

佐久間は柔軟性に長けた身体を折り曲げた。

そうしろと指導があったわけではない。
佐久間自身は知らず、また興味も無いことであるが、被写体として非凡なる素質を持っていた。
体躯の美麗さだけでなく、有無を言わせぬ鋭い迫力が、至極上品にかつ秘めやかに発揮される。宝石と拮抗しながら引き立て合う、いわば状態が違うだけの宝石そのものだと評価されたこともある。
しかし佐久間にはそんなこと、なによりもどうでもいいことだった。

好きだ、と源田に言われた時、
やはり佐久間にはきゅうと胸がおさえつけられるような懐かしさが感じられた。

刹那的な生き方を己で自覚していない佐久間は、懐かしさというものを今まで感じたことが無い。
それでその思いが、どういうものかよくわからない。
佐久間が感じた懐かしさに含まれる、切ない感じを察知して、源田と親しむのは良くないとどこかで思っているのだろうか。それで、止せ、と頭が言うのだろうかと考えてみたりしている。
写真を撮られながら全く上の空。
プロ意識など無い。ただの小遣い稼ぎというつもりの作業。
「惜しいわねえ」
「あ?」
「あらなに。不機嫌なの」
プロデューサーの年増(名前を憶える気が無かったので、モデルを始めた当初は本当にそう呼んでいた)は撮影が終わると満足そうにしながらも、困ったような顔をする。いつもそうだ。
「あんたの目が揃ってりゃあ本当は全身撮りたいのよ」
佐久間はその言葉に余計腹を立てた。
「だめだよ、このコ、手足を撮られるのだって、渋々、なんだからね」
外国人カメラマンが独特の区切りで喋る日本語は柔らかい印象を持つ。佐久間はこのカメラマンのことは気に入っていた。それでいくらか落ち着く。
「だってねぇ、もったいないわよやっぱり」
「うるせえババア」
「またそんな言葉…関口様ってお呼びなさい」
「ババアって何ですか」
「そんな言葉ウィルは知らなくていいのよ」
佐久間は近場の椅子を蹴って、着せられた服を脱ぎ捨てながらスタジオを出ていった。
スタジオを出てすぐの廊下には社員の若い女の子が居て、キャッと声を上げて唖然としていたが佐久間は無視して控室に戻った。
午後から授業がある。
服を着替えて教科書の入った鞄を背負う。指につけられた高価な宝石は、適当に鏡の前に並べて部屋を出た。
「ババア、指輪、鏡の前」
通りすがりにスタジオに呼び掛けると、何か叱るような遠い反響が聞こえてくる。
自転車に乗ると、大学に向かう。
夏の日差しさえも気にしない佐久間は屋外スポーツや移動手段で気兼ねなく日焼けしていた。
とはいえ冷房が苦手な体質なので夏場も長袖を着ることが多く、土方焼けだけはしないでくれとう言い付けはなんとなく守られていた。

授業を受けながら、源田の声を思い出す。

自分自身は経験など無いが本当に好きな相手に対して人が知らずに使う声を、佐久間は何度も聞いてきた。
自分に向かってくる好意もあれば、あの人のことが本当に好き、という話で聞くこともある。前者の場合薄情だが、面倒だとしか感じない一方、後者には概ね幸せそうな、良いものを感じる。

なのに源田の“好きだ”は完全に後者。

好き、と口にされた途端に相手がまがまがしい存在に思えて、拒否するしか無くなるというのが大抵いつものパターンだ。
源田の好きと何が違う?
抱き締められて応えなかったが、振りほどこうとも思わなかった。
かたくたくましい腕。肩や胸。
手をつなぐと気持ちが安らぐ。

毒溜まりのような場所で暮らしてきた佐久間は、平穏な家庭に育ったであろう源田の安定した人柄がそうさせるのだろうと思っていた。
それにしてはアブノーマルな面をちらつかせるが、軸や基盤のようなものが、例えば裁判所で喚問されても慄然としていられようと思わせる気質を持っている気がする。
佐久間は自分自身の行いや発言、考え方については、無知ゆえの振る舞いや間違い以外で恥じ入るような事は無い。堂々たるものだ。しかし育った環境について思うと後ろ暗かった。
いつも背中がのそりと陰っているような、へどろやゴミをひきずるようなイメージがある。グツグツと腐敗する毒甕から吹き出したような泥玉が、自分のような気がするのだ。
よれていっても、不幸な子供は自分の気質がそうなのだと思う。切り離せない素直さだった。
だからこそ自分を好く人間の気が知れない。
なんとかして佐久間を自分のものにしようともがいたり企んだりする人間を見ると、自分自身にもこんな面があるのだろうといつもゾッとした。
一方で源田は己の背景を他人事のような気でいる人間だ。
佐久間が思うほど平坦な家庭では無かったが、居るはずの兄が行方不明だろうが姉が悪女だろうが他人事だった。弟が恨むほど自分を憎んでいようが、そう仕立てておいて全く気付いていない両親、祖父母についてもどうでもよかった。

意識が向き合わないことを、察しながら黙り合う。

佐久間は自分がどんなに遠くへ離れても、いつか源田に見つかることがわかっていた。
ほんの少しだけ話したことがあるだけの、子供のころの同級生が、カメラのような眼で自分を見る。
克明に刻まれる己の姿は、彼の中から一生涯逃げられないのだ。




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