※ その後



春奈の結婚式には神も無く祝詞も無く、ただ一対の夫婦と、酒と馳走と歌があった。
まさに春うららという素晴らしい天気、花嫁は美しく、花婿は初々しい。

「やはり似合う」
「ええ。良かったです…」
身内の席から見守る妹夫婦には、苦難を乗り越えてきた絆が見えた。雪から芽吹く草花のように健気な姿だ。
鬼道の妻が作った花嫁衣装は婚期がずれた時にしつらえたものだから縁起が悪いといって作った本人は大反対したのだが、妹は妹であれからずっとこの衣装を着る日を楽しみにしてきたのだから絶対に着るのだといって説き伏せた。
『じゃあ、じゃあもう一着作るのはどうです。今度はあなたの好きな色や柄で』
『いや。絶対これを着る。わたしの式なのよ。義姉さんには関係無いんだから!』
いたずらっぽく、どうだ、という風に言ってのけた妹は、妻の無茶に誰よりも怒髪、まさに天を突く勢いで怒り叱ったその人である。
回復したらしっかり叱ってやろうと決意していた鬼道だったが、豪炎寺の父と妻を連れ帰った、その時に、床を踏み抜くような足音をさせて廊下を闊歩してきた妹の形相たるや、がみがみと叱り出すのを思わず許してしまう迫力であった。
熱で朦朧、手足に包帯、目がつぶれて顔もあざだらけ、1人で歩けず抱えられたままの痩せすぎた女に、ぎゃんぎゃん怒鳴る。はたから見ては異様で無慈悲な光景である。
忍や夕香では怒りがあってもこの姿を見てはそんなものすぐに消え失せただろう。何よりまず怒れる少女が居たものだから2人には春奈をなだめるくらいの役目しかなかった。

春奈は義姉に死んでほしくなかったのだ。

『行ってしまった…』
あんなに淋しい別れが最期では、たとえ昔以上に平穏な日常が戻っても、やりきれない。

春奈に叱られてから妻は少しずつ自分のした事の罪を理解できるようになっていった。
自分がどんなにむごく死のうが誰にも何も関係無いという勘違いを、わからせるのにどれだけ苦労するだろうと思っていた。春奈の叱咤はこれに大変な貢献をした。
本山の腐敗を知りながら黙殺するということは妻にとっては罪深かった。己の意義を問われるほど。
それと同じくらいに、我々から次子、佐久間を奪うことは罪深いのだと春奈は言った。
鬼道はそんなことを言ってやろうとは思い付かない自分が恥ずかしかった。


清潔な床に寝かせた妻は岩の洞窟で横たわっていたよりもずっとむごい状況に見えた。
夕香は何と声をかける間もなく泣き崩れ、虎丸は駆けつけるなり布団にすがりついて何度も何度も謝った。
妻は朦朧としながらも、うちひしがれた表情を浮かべていた。
自分への情がいたる者に存在することが驚きに値しないと理解できるのに、今度は難しく無いようだった。

鬼道は離殿に留まり続けた。
気に病むだろうから母屋で休んでいるとはしておいたが、実際は妻が眠る隣の部屋で寝起きしていた。
皆がごく簡単にできる、感情を伝える、吐露するといった事が、鬼道は下手だった。子供の頃からだったと思う。くだらない自尊心を持ち続けてきた自分に恥を感じるがうまくできない。
嬉しいとか悲しいとか、明け透けにすると何か自分に都合が悪いのか?
そうやって理屈をこねている隣で夕香や虎丸は素直なものである。
『目の傷はあまり大きく残らずに済みそうだわ。良かった…』
その言葉に感じた喜びを口に出せばいいのに頭がぎしっと固まって何も言えない。
『本当に!ああ良かった』
虎丸は惜し気も無い。喜びや安堵が身体中から見てとれる。鬼道はそわそわするだけで、うんそうか、とだけ呟いだ。
『ご不便お掛け致します…』
直後に妻が応えた言葉に愕然としてしまう。
生き残った結果を戸惑うばかりできちんと喜べない妻に、それを助長させているのは誰よりも自分だと思い知ったのだ。

翌日から鬼道はくわを手に持った。

すっかりへいたんに均された庭を耕し、記憶を頼りに妻の畑をよみがえらせようとした。乱の後始末が毎日毎日論じられる会議に鬼道は全く参加しない。武術ばかりを学んできた体が土に親しむことは簡単では無かった。
忍が見かねて参加しだし、故郷では日常だったという立向居も手を貸してくれる。妻の影響ですっかり土いじりが得意な春奈はもちろん、夕香でさえ鬼道より遥かに使い物になった。

『よう、へっぴり農夫』

豪炎寺が笑いながら会議おわりに寄って行く。円堂はさすがにかまけてられずにこちらに寄っても妻と何事かを話し合って帰って行くばかりであったが、出掛ける用事が多いためによく花の球根や薬草の種を仕入れて持ってきてくれた。
「お前全然ましにならないな」
「うるさいな。球根は?」
「おっ、そうだ。珍しいのもらってよ」
そう言って懐から布包みを取り出す円堂の頬には引っ掻き傷があった。目を凝らしてもやはり引っ掻き傷だ。
「それ…」
「え、ああ、これか。あー、おれのカメよ」
「また喧嘩したのか」
カメは普通奥方に従う世話女の事だが、最近身分制のぐらつきに伴い男が恋人を呼ぶ呼び名として流行している。
「おれが生きてるって知ったの、2ヶ月前だから」
「はあ…それはお前…」
「もう怒っちゃって怒っちゃって…」
カメのほとんどは自身の役目仕事に高い意識と歓びを以て勤めているために、“おれのカメ”は大層ふざけた流行り言葉だといえるのだが、始まりは結婚の許されていなかったカメと恋人関係にあったような連中が使い始めたのだと言われているから、平和の証とも思えて、微笑ましいことでもある。
円堂も戯れに使うことがあるが、これは間柄に信頼がなければ成立しない冗談でもあり…
「だから粛々として、大役終えたように帰ればよかろうに」
「いきなり求婚はまずかったか」
いつもいつの間にか居る豪炎寺が背後からちゃちゃを入れる。
「しかも球根買いに(円堂の恋人の家は苗家である)行くついでに」
「求婚だけに…」
どっと笑うのを妹らがたしなめ、忍が睨む。立向居が笑いを堪えるのを見て、虎丸も吹き出す。

妻の庭が戻ってきた。

ヤギがうろうろ。犬猫が眠り、傍らで馬が草を食む。
縁側で羊毛を紡ぐ妻が微笑む。
真っ青な眼帯はその白髪と金の眼によく似合った。

今ようやく生きてこそと、歓んでくれているだろうか。





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