※モブだらけ


本尊を葬るは旗頭の指示である。
始めて、終わらせる。
自分ひとりの犠牲だけで。

よってたかってなぶった連中は感じる必要もない罪の意識なのに涙を流す者も居た。
隊長の証言と海霧の存在。鬼道も妻が名乗った老爺の身内として、彼女の身の上と今までを聞かせた。
そして全員が武器を捨てた。

幹部として躍していたらしい幾人かが集まり、わやわやと話し始める。
鬼道の回りには女が数人寄ってきて、妻の状態を訊く。同郷の者が走ってきて、鬼道さま、と頭を下げた。
「何も言わん。何も…
少しも動かん。なんだか…」
実感が無くて…
女たちはひそひそと何かを話して散り散りになって離れて行く。頭を下げる男たちと、こちらを気にしつつも回りをうろうろしてる連中は海霧に威嚇されて逃げて行った。
「ばかなことを…」
抱え上げ、隅まで歩く。
くらくらと動く関節に、少しだけほっとする。
死んではいないはず。
「ばかなことを」
隅に座ってもう一度言う。散って行った女たちのひとりが水を入れた容器を持ってきて近くにしゃがむ。
「生きてるかい」
「さあ…」
「確かめにゃあ」
「ああ…」
「………」
こわい。

指をベールの間に入れる。
冷たい皮膚に触れ、体がこわばる。
「死んでたら…」
「え?」
(俺も死のう)
「なんだい?」
「いや…」
なんとなく見られたくなくて、女から見えないようにベールをずらす。血が溢れた口元がのぞき、青くなった頬。それからつぶれた目が見えた。
「ああ…!」
「すまない…」
「ああ…目が…妻の目、目が…」
それ以上言葉が出ない。
(ばか)
「火で焼いたんだ。悲鳴もなかったよ。ゾッとしたが、止めなかった」
女は申し訳なさそうに言う。
たぶん大多数がそうだ。山は憎いが娘をなぶるに気が引ける。
妻には誤算だ。憎き悪の親玉を殺して、皆晴れ晴れと終えるだろう。
きっとそう思っていたはずだ。
(ばかだ)
「薬がある。使ってくれ」
「俺が…」
「え?」
「俺が悪い…!」

妻を信じなかった。いや、疑わなかった。
企みを見抜けば、守れたかはわからない。でも力になれたんじゃないか。
非力な閉じ込められた少女。
鬼道にとって妻は偉大でも、あなどりがちな存在でもあった。
何せ妻だ。妻はただ、飼い殺される女に限る。妻とはそういうものだった。
悪しき習慣だと思いつつ、それが当たり前にも思えていた。女がでしゃばる社会では無い。
裏切りというのかわらないが、妻の莫大な嘘を許せない。
この一大事のことで無く、死を意図しながらそれを軽んじたこと。
自分が死ぬということが、どれだけのことかまだわからないのか。
呆れた気分だ。
ぼろぼろになって、これで里に帰ってみろ。春奈や夕香は失神するぞ。
(達者で、だと)
にやり、と笑んだあの口元。
(死にに行くのに!)

極まって、抱き締める。

(このばか!)
紙のように軽い。
鬼道は喪服の妻を思い出す。それから猫を撫でている姿。
春奈と並んで刺繍をしたり、夕香に薬の手解きをする。
馬に櫛をかけて整える。
犬に枝を投げて遊ばせる。
妻は……

(いつから死ぬことを決めていたんだ)

ごほ、とのどが鳴るまでは、鬼道は上の空だった。
「佐久間!」
呼んではっとする。
名前を聞かれたか。
「姫さん、生きてるかい」
薬箱を持った年増が膝をつく。よく見ると同郷の産婆だった。
「咳をした」
「どら」
看せてごらん、という手振りをされて、鬼道は拒否した。余計抱き締める。
「悪くしないさ」
「だめだ」
「でもあんた」
「いいんだ」
あっちへ行けという目で見ると、何がおかしいか産婆は笑って離れて行った。元から居た女は動かない。
「あんた、佐久間っていうの」
やはり聞かれたか。
「可愛い顔してる。惜しいだろ。でも左の目は無事だよ」
鬼道はあわててベールをあげる。右目だけを見て絶望したが、左は無傷だった。それが開く。ごくうっすら、かすかに。
「佐久間」
ごほ、とまた咳が出る。
血がたらたらと流れてくる。
「佐久間、佐久間わかるか」
ごほ、ごほ、
(喉は…)
首に手をあてるとひくりと動く。女が潰しちゃいないと軽く笑った。
(笑い事か)
「なぜ、…」
かすかすの声が血を伴ってやっと出てくる。
ベールに染みた血の多くが、おそらく目からのものだろう。
「見えるか」
「………」
感情の無い目が憂鬱そうに回りを見る。事態を把握していないだろう。それでも佐久間は呟いた。
「来てしまったのですか…」
ひどくかすれた声だった。
「すまんな」
鬼道はそっけなく応える。
「なぜ、わたし…死ななきゃ」
「ばか」
「いけない…」
「ばか、よせ。ばかだな」
「………」
「終わった。もう。隊長が暴露した。お前の負けだよ。ここじゃ死なん」
ぼんやりした目が、しばたたかれる。ヒュー、と喉が鳴り、妻は目を閉じた。
「佐久間」
「やりやま…」
「えっ?」
「やりやまでちょうちょう…」
「佐久間?」
錯乱したか、と胸にせまる。
佐久間は目蓋をおろしたままだ。
「ちょうちょうをとらえていただきました…」
「槍山で…?」
にこっと笑う。嬉しそうだ。
「あの時からわたし、お慕いして居りました」

『ちょうちょきれい』

あれは…
(春奈じゃ…)
夕香の手を引く春奈が…
夕香…?
夕香はまだ立てない。歩けない。それにあの時、そうだ。春奈はべべを汚したと泣いた。
夕香はまだ母親に抱かれて、では春奈は。
春奈はあの時手を引かれていた。
「佐久間、あれはお前か…」
「やはり、憶えておいでではいなかった…」
佐久間はなんだか、恥ずかしそうに見えた。微笑んでいたが、目を開けようとはしなかった。

『姫様がどうして、貴方がところへ来ることを承知したか、全くわからない』

「もう手が動きませぬ」
「待て、そうだ。凍えたろう。そんな薄着で」
「わたしはもう、十分です」
「何を言う。何がだ」
「ご自由に、旦那さま…
もはや何にも縛られぬ、戒律も習わしも無い季節が来る」
(ばかな。こいつ、まだわかっていない)
鬼道は深々ため息をついた。
「ならばもう一度妻にとろう。
槍山へ行こう。また蝶を見よう。
俺はもはやお前しかいらん。企みがあって嫁いで来たんでも、嘘をつかれていたんだとしても、痴れ者と言ったのが恥ずかしい。
ようやくお前の本音が聞けた。
生かすのはお前の為では無い。
俺の為だ。
生きなさい。夫としてあまりにも不甲斐ないが、お前が絶えたらあとに続こう。
己をなげうつ覚悟なら、お前に習った。さあ、いかが」

でも死ぬか。

佐久間はつらそうに目を開けた。
「ややをくだしました」
「かまわん」
「大罪です」
「では償え」
「…何を以て」
「里に来なさい。辛かろう。
忍は泣くだろう。虎丸もな。
円堂は怒っている。春奈や、夕香は、どれだけ切なかったか、考えなさい。
俺がどれだけ」
側に居た女が袿をかける。
「すまん」
「いいけど」
「どなた…?」
「あんた、随分無茶したけど、生神の身分にすがりついてりゃこんな酷いことになんなかったのに」
確かに。
女はばつが悪そうだ。
どうしたって悪しきに見えぬ少女の姿はやるせない気分にさせるだろう。
「だってわたし…」
佐久間はぱら、と涙をこぼす。
(はじめて見た)
「神様なんかじゃない…」



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