※ ちょっとモブ注意


霊峰の本尊といえば生神のことである。

天子一族には絶えず生神が産まれ続け、それが天子一族が尊い何よりの証であるとされていた。
生神といえば霊峰の神宮に奉られているはずで、鬼道は結婚の折に神前で誓約を述べた。
神の前には御簾が下がっていて、香が焚かれ、花が生けられた神聖な宮は信仰心にごく薄い鬼道でさえも厳かな気持ちにさせたものだった。

『本尊とは白髪の乙女。山下に嫁ぎて逃亡に備えし…』
『佐久間か…?』
本尊、生神の姿には一貫した特徴があるのだとは、修行の際にも教えられたことではなかった。
白髪、金の目、娘であること。
女神であるとも知らなかった。

『後悔なさいますよ』

離れに走り込んだ時、
悪徳霊山の邪神はまさに我が身のために手下を呼んだ場面であったのだ。


「知っていたのか」
「いや…おれは佐久間の顔を見たことが無かったから」
円堂が意外なことを言った。
「顔を見なかった?一度もだったか?」
「ああ。お前が見る前は誰だって見てねえよ」
「そうなのか?」
手を縛られた女はことごとく冷えた目をしていた。
身代わりにされた事も受け入れている様子だった。
「答えろ」
「………」
「無理だ。これの強情さと言えばただ事では無いぞ」
豪炎寺は興味無さげだった。
「ともかくこいつを突きだそうったって、白髪で金の目なんて特徴がわかられてるんじゃあ偽物だとばれるなぁ」
淡々言って、ぐっと背中を反らせる。それからあくびをするとそのまま目をつむって黙ってしまった。
「知らなかったと言えば通らんかね」
「ちょっと、ちょっと待て。本当に渡す気なのかよ。なあ」
円堂は焦る。どこまでも温情な奴である。これでよく反旗を翻す気になれた。
「でなきゃ明け方には清美軍がかかってくるんだろ。一番平和的じゃないか」
「だって忍は関係無いじゃん。本尊どころか一族ってわけでもない。ただのカメだ」
忍は黙っている。
そうしていると顔の鋭い犬と似ていた。
「身代わりにされたって、ばらされたら面倒だね」
長が机を爪でコツコツ叩く音が蔵に響いていた。
吹雪の中、あの馬はどこまで進んだろう。
一体どこに向かうのだろう。山を越えることはできまい。あれだけの薄着では隣の人里まで駆け抜けることさえ難しいではないか。
鬼道はぼんやりそんな事を考えていた。

顔を見るにはそれなりの覚悟が要るのだと佐久間は言った。
解毒の事をひた隠しにしようとしていたのも、本山の毒について知識が明るいのを誤魔化そうとしていたのだろう。
外が好きなのに屋敷から出るには不思議と気重だった様子。
ややの気配に下しの薬をふくんだこと。

鬼道はだんだん、まぶたが重く感じられるようになってきた。まぶただけでは無い。肩が、頭が、腕が足が。
憂鬱だとも、眠気とも違う。
つま先がひりひりして、痺れを感じ始めていた。
(俺は、怠惰であったな…)
しみじみと思う。
ばかだったな。情けなく、脆弱な男であったな。
流されるまま多くのことを受け入れてきて、自分の意志での行いは、今では全てが間違いに思えた。
わかってはいたつもりだったが通じ合えたと思った妻の心でさえまがい物であったと改めて思い知らされると、己がひどく貧しくうすっぺらな人間に思えて仕方なかった。
「鬼道、打拉がれている場面ではない。
円堂、俺は正直に話す他無いと思う。逃げた場面を見た者がこれだけ居るし、里すべてひっくり返されようと姫が居ない事は確かだ。匿っているわけじゃなし」
「まぁ…打開の案も出るまいな」
「お前まで落ち込んでいるのか。仕方ないだろう。あっちが上手だったんだ」
豪炎寺はだんだん苛立ってきていた。声が刺々しい。
円堂は気落ちしているというよりか呆けて見えた。
いつ、どこで食い違いよじれたのか記憶を模索している。隣国との提携、清美軍との決裂、ここまでの遂行。わからなかった。今本山では何が起きているのか。
何よりも驚いていた。
実は鬼道よりも、ずっとずっと驚いていた。

それで、ふと口にしてみた。

「佐久間は旗頭なんだ」

わからない者は大して反応も無かった。忍だけが鋭く円堂をにらんだ。強く責める顔をしている。それを豪炎寺は奇妙に思った。
「旗頭?」
旗頭、というのが、霊峰の本尊であるという意味と違うならば円堂にはまだ話していない事がある。
鬼道は依然無口な長老を見たが彼女はどんな微かな反応も見せない。
「…もう、違うのかも…
いや、おばばは知らない。おれももしかしたら本当にはわかってない」
「言ったら殺す。まだその時でない」
口がきけぬように黙っていた忍が低い声で怨みがましく、ずいぶん狂暴なことを言った。円堂は別に意に介さない。忍を見もしなかった。
「守、どういうことだい」
名前を呼ばれて円堂ははっと長老を見た。
しまった、という顔をしたかもしれない。その横で豪炎寺はふいに妹が心配になった。あの時離れに居なかった。
「忍、夕香は」
遠くで鐘が鳴った。

時はとっぷり、深夜だった。



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