※ ちょっとしたモブ注意



馬を降りた兵士は虎丸であった。

遠目だったが確かにそう見える。こちらからも馬が一騎隊を出て、応じた。
横たわる東西の陣がじっとその2人に緊張を注いでいる。よくよく見れば伝令に応じた兵は豪炎寺だった。

やがて互いに戻って行ったが、敵陣は間もなく散るように兵を引いてしまった。当然のどよめきの中、こちらにも撤退の銅鑼が鳴る。
ぐわん、ぐわん、ぐわん
靄が鎧に染み込んでくるように思えた。
横についていた隊の兵士が指示を仰ぐように鬼道を見上げる。一矢も放たれず閉じる今日のようだが、前線は向こうが去るまで動けはしない。停戦を申し出て襲撃をかける奇策かもしれない。

(不気味だ…何をあわてている)

焦燥漂う敵陣の撤退に語りかけるよう考えるが、思い返しても戦を交えるに都合の悪い何かが起きたようには見えなかった。
ただし鬼道は家族や里の事を考えてぼんやりしていたものだから自信は無い。見逃した可能性は高いな、と、また緊張感に欠けたような事を考えていたから、また一騎の兵が向こうの群からすっと抜けたのをちょっと気付かずにいた。


「恐いことです。何しろ手にかけるのを全く何とも思わないようでしたから」
「そうか…うん。よく戻ってくれた、虎丸。ありがとう」
「そんな、もったいない。お役に立てるんですから光栄です」
蔵は特に秘密事項について話される時に使われる。鬼道がここに入るのは幼い頃いたずらで忍び込んだそれ一回きりであった。
「………」
「鬼道、動転してるのはわかるけど、時間も無いし話を」
「おばば、知っていたのですか」
鬼道は円堂の言葉を遮るように賢人会の長へ詰め寄った。
「そりゃあね」
「何故俺に話してくださらなかったのか」
「お前さんとこに山の姫ッコがおるからよ。逆にやられぬとは言い切れないからね」
虎丸は諜報していたのだ。
志願兵として本山へ入り、内情を調べては円堂へ報告していたという。
なんという…恐るべき大役を果たして虎丸は見事に帰還したのだ。しかし全く知らずに居た鬼道にとってそれはただ喜ばしい事では無い。
よく知る相手が自分に何を打ち明ける事もせず誰に知らされる事も無く命を賭ける仕事に出向いたのは、理由がどうあれないがしろにされた気分であった。
「諜報に行かせたのは虎丸だけじゃなかったけど、1人しか生き残れなかったんだ。それくらい奴ら目敏くて疑り深いから誰にだって漏らして無い事なんだよ」
「………」
円堂がそう説明すると、虎丸はぐっと辛そうに顔を歪めた。諜報に失敗した仲間達を思い出したのかもしれない。
腑に落ちはしないが話が進まない。駄々をこねても仕方がないし、鬼道は黙った。状況がわからないままではもっと腹が収まらない。それに豪炎寺は落ち着いて居た。
虎丸が志願した時落胆していた姿を見ていたから、彼も何も知らなかったはずである。しかし鬼道とは違い家に使えていた弟同然の虎丸が生きて帰った事への安堵の方が大きいのかもしれない。
「伝令内容は、総本山から一時撤退の命が出たため本日はこれまで。でした」
「そんなの飲むわけないだろ。それだけで押し通せと?難題だな」
「はい。実際の事なんか敵軍に言えませんよ」
虎丸は困ったように笑って肩をすくめた。
「あちらは縄張り争いなんかしたこと無いからね。戦の勝手がわからないんだろうさ」
「きっと朝には本件が届きます。そしたら我々の勝利です」
全くついていけない会話に苛立ったが、当事者の事実確認が終わるまでは待つつもりであった。
豪炎寺は相変わらず黙っている。この落ち着きはもしや伝令の時にもう何か聞いたのだろうか。
そう思った矢先。
「説明しろ」
豪炎寺は落ち着いてなどいなかった。鬼道よりずっと怒りを堪えていただけである。凄みのある声に虎丸の背がぴっとのびる。死線を乗り越え大役を果たした今でさえ主人の威厳にかなわないようだ。

「あの、実は僕は円堂さん達が山城に居る時からおばばとのやり取りの伝令をしていたんです」
「おれが隣里で消える前から虎丸には全部話してあった。苦労かけたよほんとに」
「いいえ、自分から志願したことですから」
「よくやってくれたよ。忍び込んだ連中の中でも一番年が若かったし…」
「……」
画策の全貌が見えないため気持ちが焦る。こちらは急いだ顔をしていたのだろう。余裕に会話を楽しんでいた円堂はひとつ咳払いをして、では、とでもいうように座る姿勢を直した。
「おばば、全部話しても良いのでしょうか」
「もちろん。もうすべて済んだからね」
「呼ばれたのに当事者として扱われないのは腹が立つな。話す気が無いなら俺は出るが」
豪炎寺が鼻で笑う。
彼の言葉はいつも正直である。鬼道も実際その通りだった。
「そう怒るなよ。おれだって、足りない頭で難しいこと一杯やらなきゃならなかったんだ。まだどこか混乱してるような気がする」
頭をかきながら円堂が笑う。その背後に気が気で無いような顔で居る虎丸が見える。
「戦争になっちゃったのは予想外だったけど、おれたちの目標は本山の支配を緩める事だったんだ」
「緩める?そんなに…その、低いというか…それこそ緩い目標だったのか」
「うん。知ってたか。山の教えは槍山の向こうふもとまで定着しているが、一方で全く縁の無い暮らしをしている里も点在している」
鬼道は豪炎寺を見た。豪炎寺も鬼道を見た。お互いに知らなかった事実である。
「すけ山(槍山の連峰山)の辺りには珍しい染め絹の文化があるが、神事信仰は無いし、肋川(草原の中央に走る大河)の周辺のキャラバンは、まあ、大地信仰とでもいうか…
とにかく本山とは関係無しの生活なわけよ」
「知らなかった…
宗束の間この盆地から山々すべて皆敬虔な教徒だと教えられたから」
本山に感じていたきな臭い何かがもうもうとして重量感を増して来る。
「修行は魂のなんたらとか抜かしてるが、ただの洗脳だ。おれが思いきったのは修行が最たる理由だから」
円堂は湯飲みを掴んで、砕いてしまうのでは無いだろうかと思うくらいに力を込めた。
怒りがそこにあるのだと知る。


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -