※ 存外ファンタジック注意


鬼道はどうしても妻の体調について心配になって、後日に乳母に話してみた。
元は鬼道の母のカメであった乳母は、役職上薬師の心得も少しはある。もし女人に限る病などであれば、頼りになるかもしれないと思ったが、乳母は話を聞くなり愉快そうに微笑んで見せる。
『ははあ…若様それはもしや』
『なんだ、喜ぶやつがあるか』
『おやまぁ相変わらず、鈍感なところもあるのですから…
ややではありませぬか』
『やや…』
『奥様があなた様を身籠られた時にも、時折ぐっと寒く感じられたり逆に暑くてたまらないと仰られる場面がございましたえ』
乳母は声を潜めていた。
鬼道は履き物も半端にはいて庭に降りると、もつれ加減に離れに駆けた。
そうなら何より。
せめてと思った確固たるものがやって来たのだ。
ややさえあれば。跡目さえ産めば。子さえ孕めば妻の意志など無くたって、立場はこちらに主張が通る。
強引な遣り口だろうが、残された選択肢のひとつであった。
そして砦。
『ややか、佐久間!』

絶頂からは落ちるだけ。



里の外れの庵から人々が駆け出して来るのを見ていた。
皆叫びながら泣きながら逃げる。恐怖は無かったが深く落胆していた。手に持った槍を手放してしまいそうな程、体に力が入らない。
「馬に乗れ、鬼道。隊列を指揮しなければ」
「…足がすくむ」
「どうした。おい、気持ちはわかるがこうなってしまっては、仕方がない事ぞ」
豪炎寺が馬上から叱咤する。
「仕方がない」
「そう、仕方がないのだ!」
やけくその混じる言い振りに、鬼道も馬に跨がった。
(やけくそでいいのか…)
この場で変な話ではあるが、ほっとした。
「とにかく理由は何にせよ、奴ら俺らを殺すと言うのだから抵抗せねば」
「お前って…」
「話はここまで。また生きて会おう」
「ああ」
鬼道は豪炎寺を誇らしく思った。幼い頃、立ち上がる前から共に成長してきた兄のような弟のような友。
いつも気難しいような顔をしてるくせに思考は身軽で意志は強い。家族に対する揺らがない思いやりも、尊敬する。
失いたくないと思えばさらに戦が疎ましかったが、確かに抵抗をしなくては。

いつもならば家畜を放す草原に、かすかに向こうの陣が見える。靄がかかるが鳥も鳴かない草原には緊張が敷き詰められている。
にらみ合いのまま持ち越される回もある。
鬼道は何故か戦列に参加できない男衆の中に墓家が居る事を思い出していた。
先祖代々の墓を掘り、供養し、墓を保つ事を仕事とする墓守りの一家。そこの次男がどうしてもと名乗って今鬼道の隊の後部についている。
(戦の後に働かねばならない一族だものな…
つらかろうが…)
それから春奈の事を思った。春奈と夕香は佐久間の監視に行かせている。
万一敗戦と成った際に、佐久間と共に居れば捕えられるような事は無いだろうという打算だが、問題は彼女らがばか正直者だということ。それが急に心配になった。本来の意図を話してはいないから、いざとなれば果たしてうまくやれるだろうか。
後列の隊には立向居が加わっている。ここで義兄弟共々倒れたら、鬼道家はどうなるだろう。家に残るよう何度も諭したが、妹婿は折れてくれなかった。
しかし、何もかも確かに今さら、仕方がなかった。仕方がない。

靄の向こうの騎馬が騒がしくうごめき出す。

いよいよかとこちらも槍を持ち直したり矢を構える。
はりつめる中で鬼道は最後に妻を思い出した。

『何を飲んだ!』

あんな大声を出したのは初めてだったと思う。
妻は胸にかけて隠していた貝の飾りから何かを手に出し飲み込んだ。
ややか、と聞いて、そう決めていたかのように躊躇も無くそうしたのだ。
(毒だ!)
薬が作れるなら毒も作れよう。
この日の為に隠しておいたのだ。
『子をくだす薬です』
『毒ではないか!』
『…!』
吐けと怒鳴ったが妻は押し黙ってしまった。
叱り、毒消しを飲めと強くたしなめた。
妻は何も言わない。
『…お前、開戦して、もし、こちらが勝つならば…』
事の重要性がわからないならばと怒る震え声で語りもした。
『里の人間に殺されるやもしれんのだぞ』
『………』
『今はまだ信仰を捨てていない人たちも、息子や夫が殺されたならお前も敵だ。わかるか』
『………』
妻は何も言わない。
鬼道は失望し、その時点で妻をあきらめた。仕方がない。
離れを出る時何事か小さく言っていたが、もう、気に止めなかった。

(結局根底には有るのだな…)
信仰などどうでも良さそうにしていて、虚偽であったのか。鬼道は情けなくなった。
妻のためならまさに今対峙する靄の向こうの敵隊列に加わる事もいとわないとさえ思いもしたのに愚かであった。
馬蹄が地面を蹴る音が、遠近に聞こえる。空気はひやりとしていて、金具のすべてを冷やしていく。

『おにいさま、みて、ちょうちょきれい』

頭の中で唐突に槍山での事が思い出された。閃いたよう。
(……なぜ、今)
『ちょうちょきれい』
『捕まえてやろう。ほら、待ってなさい』
白い蝶を追いかけていた春奈。
「!」
中央から伝播したどよめきが鬼道を驚かせた。
その一瞬夏の槍山にたっていた鬼道は自分が馬に跨がっている事さえ忘れていたのだ。
「伝令だ…」
後ろから呟きが聞こえる。

一騎の馬が武器を持たずにこちらの隊に向かって来ていた。
(何が……)
兵士は馬を降り、叫ぶ。



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