※ 存外ファンタジック注意



「次子」
「旦那様、どうして」
「もうだめだ。俺はもう、何もかも嫌だ。くそ、何故だ。何故だ…」
竹林に半分埋まった離れは薄暗く、木漏れ日というには差し込む光もささやか過ぎる。
鬼道は部屋に入るまま、唯一と思う妻を倒れ込むように抱きすくめた。
窓辺におとなしく座っていた佐久間は以前より痩せたようだったが、会わなかったせいか急に女らしくなって見えた。
「円堂が戻ったんだ。あいつ、企みがあって…それで…」
「ご健在であらせましたか…」
混乱する夫に対し、妻は落ち着いていた。
それを聞いたら鬼道の方も、だんだんと頭が冷えていくように思えた。
「お前はいつも冷静だな…」
「そんなことはございません。これでも驚いておりまする」
「………」
ゆっくり起き上がって、ベールを寄せようとすれば、妻はその指をそっと制した。
最後に会った日御簾の前に通された事。ベールを取るのに覚悟をなさいと告げられた事。
またそれだけ遠くなってしまったのだろうか。
鬼道自身は変わったつもりも無い。形式が変わろうと、今までのままの夫婦だと思っている。
「駄目なのか」
「ええ」
「どうして」
「貴方にはもう、この先にご用は無いはずでございます。わたくしの事は、忘れて暮らす。それがいちばんなのです」
「夫婦なのに」
それを聞くと佐久間は小さく息を飲んだ。
「俺はお前を妻として大事に思っているよ」
「……」
「愛情を持って接している」
「……」

見えなくとも、わかる。

妻は驚嘆しているのだ。
霊山の冬は厳しい。雪が音のすべてを吸いとったように、冷気清みわたる夜は孤独である。月夜はとりわけ胸を射すような空気が満ちる。
あの過酷な山で幼少期を過ごした妻が、己が誰かの唯一に成る状況を理解できない姿は何度相対しても辛かった。
理解できないどころか、可能性すら思い付かない。
どれだけの孤独に身を置けばこれほど悲惨な子供になるのだろう。しかしこの切なさも時を経るごとに変化していた。
はじめは伝わらない事がただ空しいだけだったが、徐々にその理由がわかって来るとどうにも出来ない自分の不甲斐なさが無性に悲しくなってきて、今となっては何もかも引っくるめて、妻が憐れでたまらない。それがまして愛しいのだった。


「強要するつもりはありません。ただ、ここは他の里よりも人が多い」
「狙われやすいと?こちらは本山に抵抗する気は無いのだぞ」
「………」
大会議は張り詰めた気遣いと緊張感を含み、ゆっくりと進んで行った。
賢人会はいつもの通り口が重く、徴兵により若者が少ない会議は動きが遅い。
中央に向かうようぐるりと並んだ椅子の、最前列に鬼道は座っていた。前方右手斜め上から、父が苦渋に満ちた表情でこちらをじっと見つめている。
鬼道はそちらを見なかった。

大会議が始まる前に下克上の宣言発表があり、賢人会からは推薦をもらった。
推薦というのは、許可よりも有利で、それは現当主より下克上を宣言した後継者候補の方が当主に適正な人材であると判断されたということに等しい。
当主でない鬼道が会場に居たため、周囲は気付いていた。
豪炎寺については、とうとうやったか、と笑っただけだったが。
尊敬する父が落胆し、失望し、憤怒と羞恥を抱えている。自分によって。
春奈が知ったらきっと泣くであろう。あの子を悲しませてばかりいる。
「本山は、里が支持の姿を見せぬ限りは攻撃する。
今ここで里は本山を支持すると決めるならば、俺たちは里を出よう。約束もしよう」
「まさか中立的立場を攻撃できるものか。でたらめをぬかすな」
「断言するぞ」
鬼道は円堂を見ていた。
正義感の強かった円堂。ばか正直で、素直だった。
「今日の段階で本山の兵団がどれくらいか、あなた方はご存知でいるのですか」
立向居が手を挙げ、発言する。
気の優しい彼は快活な円堂に、憧れを持っていた節があったが、動揺は見られない。大したものだ。
「正確では無いが、2万と予想している。あるいは、もっと多いだろう…」
会場がどよめく。
ぐったりと力を無くしたように項垂れる当主たちや、憤慨したような声を上げる家会長たち。
「本気で潰す気なのか…何故、何のために」
「……」
豪炎寺の声には嫌悪が混ざる。父上が遭わされた目を考えると、さすがに彼の胸中も穏やかとはいかないだろう。
どよめきが収まりかけて、鬼道も声を上げた。
「意味は」
「…なに?」
「意味だ。理由や、意味が明確ではない」
「…それは…」
「この戦は、何のために起こるのか聞きたい」
「……」
円堂は、黙ってしまった。
言い淀むとは、何か知っているのか、はたまた切っ掛けである事への後ろめたさを感じているのか…
「そんなの、お前らが本山に楯突いたからだろう!」
攻撃的な意見があがり、続く煽り声が響く。
こうなると難しいのが冷静で公平という態度だが、そのために賢人会が参加している。制止の鐘が鳴らされ、口論に発展していた喧騒が静かになる。
「冷静に。公正かつ、誠実に」
賢人会の長が、老いながら厳しく芯のある声で言い放つ。
いたずら好きでよく悪さをした円堂は、よく彼女に仕置きをされていた。
こんな時に思い出したくは無い…
「楯突いたつもりは無い。正義のつもりも無いんだ」
「よく言うぜ」
「すべて話す。だけど、信じてくれ。俺はこの里を守りたい」

講堂はしんと静まり返り、やがて灯が点される。
夜は更け、1人の男の切々たる訴えが、誰もの心を、強く揺さぶりはじめていた。


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