※ 存外ファンタジック注意


義姉に与えられた離れはたった二間のあまりにも簡素な造り。
せめて世話をさせてと父に頼み込み、義姉が移ってくる前にこの離れを整えた。
長年ほこりと砂のつもった板間、寝室と、土間があるだけ。藪に出っ張った部分は風呂であったが、瓦解していたので急拵えでも大工に新たに造ってもらった。
私が義姉にできることは、これだけだ。
春奈は板間を布でみがき、煤を取り払い襖を張り替えた。灰のたまったままのかまどや落ち葉の舞い込んだ土間。

気丈にしても、涙がこぼれそうになる。

春奈にとって佐久間は、憧れそのものであった。
兄の前や客人に対する義姉はおとなしく大人らしく、淑やかでとても慎ましい。
しかし春奈同様年の近い友人の居なかった佐久間にとって春奈と過ごす時自分は幼いように思えていた。そここそが彼女の地なのだろう。
春奈は佐久間に非の打ち所の無い淑女だと憧れ、ああなりたいと夢見ながら、時には自分より幼いような無邪気な部分に魅かれたり、無二の友達として打ち解けてゆく、それがどんなに尊い存在であるか、平生よりわかっていた。日々ひしひしと感じていた。

それが、その義姉にこの仕打ちが課されるのは、こらえがたい。

春奈の中で佐久間は気高く、清々しい場こそが似合う崇高な乙女なのだ。
それがこの薄暗い離れはなんだ。黴の生えた窓枠。すきま風の入る寒々しさ。
悔しい。
兄は何故、義姉を護ってさしあげないのか…


徴兵が始まったのは降雪のやや収まりつつある頃であった。
徴兵とはいえ第一期は、志願兵のみの召集である。本山のために戦う意志のある者が希望する。
わかってはいたが、志願する者は居た。里としてのこれからが定まらないここではどちらともの影響を強く受ける。最近になって清美軍と名乗りはじめた反発派の思想に傾倒し、里を去る若者も多い。本拠地が意外にもここから近いらしい。
正確な場所はそれこそ反発派しか知らないのだろうが位置的に本山との板挟みになっている状態が、なんとなく、笑えてしまう。やるせないが避けられないのだ。
傍観できたらな。
関係ない事だと関わらずに済むならどんなにいいだろう。きっと楽だ。
鬼道は昔から本山の宗派になんの信仰心も無く、無ければ無くても良いとさえ思ってきた。七つの時に本山の娘を妻にさだめられて、それでもどうでもよかった。むしろ嫌気がさしていた。
でも今、もしも妻のためになるのならば、本山の兵士として戦いに赴いても良い。
妻を護れるならと思うのに、あの呆れたお人好しは鬼道の立場を危うくする真似を決して許さないであろう。
側室に下ろされる際に本山に申し上げいただくはずの婚姻の許しは、秘密にしていたわけではなく、佐久間本人が出したらしい。そういう権限が彼女にはあるのだ。
騎馬隊の兵隊が許可書を受け取りに来ていたのを見ていた下男や馬番が居て、最近知った。
新しい正妻は本山を信仰していない。それなのにわざわざ本山から婚姻の許可をいただいたのは、両家で決めた事であったとか。なんとも皮肉な話である。

“妻”といえば鬼道にとってそれはどこまでも佐久間だった。

現在の本妻には、歩み寄るような気力が無い。勘でしかないが彼女の方も心に決めた相手が居たのでは無いだろうか。さすがにふてくされているような印象は無いが、実に悲しそうなのだ。沈んでいる。
時々海霧が頭上を飛ぶ。
その度妻を訪ねたくなるが、開戦間近の状況を伝えるのも、それを言わずに様子に出さずに振る舞える自信はまるでない。
彼女は子供だが、鋭い。

「義兄さん、落としましたよ」
「あ、すまない」
「ぼっとしてらして…お加減はいかがですか」
「ふふ、いや、平気だよ」
いつ落としたのか、鬼道が持っていたはずの冊子を手にして義弟が呼び掛けてきた。急いだのか少し顔が赤い。
「………」
「…どうした、何か用でも」
「あんまり、思いつめないでくださいね。春奈もああしていじけていますが、でもしきりに義兄さんを心配しているんですよ」
立向居、背がのびたな。まだ十代だがすっかり“夫”も板についたような義弟の姿は鬼道に少し敗北感を感じさせた。
もちろん何が勝負というわけでも無いが、故郷と対立しようとも春奈を妻として生きる道を貫いた義弟を見ていると、二度目の結婚に反発しきれなかった自分の不甲斐なさがたまらなくなってくる。
「春奈はまだ怒っているな…
あれも妻になついていたから…」
「でも義兄さんのことも大好きなのですよ。だからああしていじけてみているのでしょう。どうしていいのか、わからないのですよ」
「あの子はいい男を選んだな」
「えっ、な、なんです急に」
落ち着いてきていた赤面が再びかあっとひどくなる。
この子に自分はどう見えるだろうか。情けない義兄だと思っているのではないだろうか。
「本心だよ。これから世の中どうなるかわからない。でも春奈にはもう、お前が居るから、少し安心しているんだ」
「義兄さん…そんな、もったいない言葉です」
「泣かすなよ」
「あっ、は、ハイ!」
昨日豪炎寺の父が失踪した。
本山に戻れという要求が止まず、このままでは、例えば夕香を使って脅されたり、本山に残してきた彼の部下が人質にされる可能性があった。本山からの要請には、それほど切迫した様子があったらしい。
『父はきっと無事だろう。どこかに潜んでいるのだと思う。本山に決して戻らないと言っていた。やり口が汚いんだと』
豪炎寺は落ち着いていた。
彼もまた、当主として様々な立場に立たされるであろうこの先を覚悟しているのだろう。

開戦が近いかもしれないという報せと、もうひとつ、円堂を見た者が居るという報せを、走り知らせに来た虎丸が、徴兵に志願し、里を去っている。
だんだん人がばらばらになっていくような気分。
むなしさの中で鬼道はひたすら孤独だった。

豪炎寺の父が失踪してから10日後、アカヤギが眠るあの山で、大規模な地滑りがあった。実は人為的な原因の事故であったが、
それが更に事態を動かすことになる。
傍観していたい。
それが叶わないことならわかっていた。


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