※ 存外ファンタジック注意


これは昔の話だし、一族にとって忌むべきことだからなのか誰も話題にしないのであまり詳しくは知らない。祖父の兄弟に狂人が居たらしい。
文字通り狂ったのだ。
気の優しい性格をしていたと、決まって彼を知る人は言う。宗束修行の2年目に突然舌が回らなくなるとわけのわからぬ言葉を叫んだりうめいたりするようになったそうだ。熱を出して、頭をやられたのだろうと誰かが言っていたのをいつか聞いた。
祖父は生涯その事について口が重かったが、狂人と化すまでは可愛がっていた弟だったと、かわいそうな目にあわせたといまわの際にも呟いていた。
彼が幽閉されていた離れは現存するが、昼間でも薄暗くうっそうとした地帯にたたずみ、小屋と呼ぶ方が正しいような出で立ちである。

妻は今そこに暮らしている。

離殿よりさらに遠い、敷地の端に建つほとんど竹林にめり込んだ家屋。
一応周辺は整えられたが、笹と藪の奥の小屋は、異質な空気を放っていた。

『心よりの祝福を』

ひと月前に妻と交わした最後の言葉。
妻は御簾の奥で手をつき、深々と頭を下げ、それが最後。後で祝いの品の反物や、びわやざくろの酒をもらった。
まったく腑に落ちない。

鬼道はひと月前に新しく妻をとっている。
佐久間とは、離縁したわけではない。多婚は禁じられていないのだ。
しかし2番目以降の妻が正妻にすげられる事は珍しい。元の妻の家が没落したとか某かの罰に等位が降下した際にはある話だが、佐久間は実家が神の家。ふつう没落も等位降下も縁がない。本来ならどこに嫁ごうともどこの主人より位が高いはずなのだから、威張ったり仕切ったりも余所ではあった事らしい。

「今日は虎丸に頼まれてな」
「使用人に使われてるのか」
「お前は機嫌が悪いとすぐ当たるな。新妻にもそうしてるのか」
「……」
「ふふ、実に忌々しそうな顔だ。なんなら佐久間は俺が受けるぞ」
床をがつがつと指で打ち出した鬼道を見て笑うのは豪炎寺と前妻くらいである。
「それで、そのお前の側室様に、お目通り叶わんそうだ。
治療の礼を尽くそうと思って金を貯めてたのがようやくだったのにと嘆くから、俺もお節介を焼いてしまってな」
「治療の礼って、もう冬だぞ」
「そう言うな。男の意地というか義理というか、そういうものだろうから」
「……」
豪炎寺がたもとから出したのは、紙にくるまれた球根のようだった。
ご婦人へのお礼の品が球根とは、と、ふつうそうである。佐久間なら喜ぶであろう。鬼道はこれを見て届けてやれたら良いと思った。
妻が離殿を離れた時、あの見事な庭は潰されたのだ。
馬は母屋の馬小屋に。放し飼いのままだった鶏なんかは処分されたのではなかろうか。庭はただの庭になった。
「西回りのキャラバンから買ったらしいから、珍品であろうよ。何より虎丸の気持ちだからな、渡してやってくれ」
「無茶いうな」
「無茶か」
「わかるだろう」

結婚してから三月以内の側室との逢瀬は重罪である。
結婚相手はやはり家の決めた人物であるが、彼女の実家は同じ里の一等家で、本山支持をはやい段階で放棄している。反対運動に援助したり、絶期や奉納に従事しない暮らしをしている。
そういった家の娘を迎え、前妻を側室に下ろす。
もちろん本山への届け出はしていない。秘密にしているのではないだろうか。
鬼道は宗家の内情に関わる事に嫌気がさしていた。
結婚は強引であったし、妻と何の話もさせて貰えないままにとんとんと事態が進んで行くまま。父に何を申し出ようと主張しようと反発しようと、まるで幼い子供にするようにただ従わせようとするだけであった。
おまけに春奈と立向居の件で脅されたようなかたちになった。
中立的といえば聞こえも良いが立場のあやふやな2人にとってこと結婚は意味のあるものだ。それは鬼道にもよくわかる。家ごとがそういう体制をとるなら比護もされるというもの。
ただ、佐久間の立場はことごとく弱い。
もう外に出ることも叶わないだろう。側室はまさに日陰者。できるならば味わわせてやりたくはなかった。

虎丸からのお礼の品は春奈から忍を経由して佐久間に届いたはずである。
佐久間からは格式ばった返礼があったが、それ以外何が書かれていたわけではなかった。
庭の無いあの場所では、球根も日の目を見ないかもしれない。
狭いあの離れに収まらぬ荷物は全て捨てられたと聞く。
製薬の道具や遊戯盤、花嫁衣装が潰された庭で焼かれていた場面には目を背けた。

あれが妻の意志ならば、俺の心もまだ軽い。


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