※ 存外ファンタジック注意


激化する世界を前に、人は意外と傍観する。

『もうあまりここに来ないがよろしいかと存じます』

妻は先日やっと15になった。
そしてその妻が何故そんな事を言うたかといえば、本山への反発、とりわけ護神の一族へ募った不満がもはやただ事では無くなってきているからだ。
悪いことに奇病の流行も霊山の御加護などない証拠なのだと定着したし、働き手の若者たちがぐるり消えたのは本山に反逆できぬようにあの軍隊が消したのだとか噂がたった。
天子一族はただの穀潰しで神の力など有りはしないという説が真実味を帯びてきている。
妻の離殿に祈る住民は減っていた。祈ったところで結局病を押し留めたのは見ず知らずの薬師という事になっているのだから、天子への期待は意味が無いのだ。
『なぁ、名乗りをあげよう』
『何故です』
『だって辛かろう。お前のお陰のことなのに』
『今さらですよ』
『しかし…』
『それより旦那様。もうあまりここに来ないがよろしいかと存じます』

鬼道がすっかり愛妻家だとは一部の者しか知らないのだ。そしてその妻がいかに護神本山と縁の無い暮らしをしているか、それを里の住民に説明するのは確かにばかばかしいと言えた。
妻の人柄と一族の血を引いている事はもうあまり関係が無い。
鬼道は同僚や反発派から同情される事が多い。
厄介な嫁を押し付けられて可哀想にと思われている。過去の離殿に通わない徹底振りは有名だったらしいのだが、まさか妻が可愛くて今では毎日会いに行くなんて吹聴するわけが無いので、里の住民にはなおも本山嫌いと見られている。
確かに本山はどうでも良いが、妻を誤解されたくは無い。
だが同情されている今何を言っても“言わされている”と思われるであろう。本山から圧力がかかったのだと余計に印象を悪くするかもしれない。
本当に“今さら”と成ったのだ。

「…来てはならないと申し上げました」
突き放されてから今日久々に離殿に入ると妻は静かだが驚きを見せた。まさかあんなゆるい注意で伴侶があっさり離れて行くと思っていたのか意外そうである。
「ならないとは言われておらん。来ない方が良いとは言われたが」
「もう…」
「どれ、顔をお見せ。可愛い子」
「ならばならないと申し上げまする。旦那様、どうぞもうわたくしに構いまするな」
「静かになさい」
ベールをはずすと抱きよせる。当たり前だが妻はまったくうぶなので、こんな事をすると面白いくらいに赤くなる。
「御勘弁なさって…」
「ぷっ、がきだなぁ」
「もう15です」
「まだ15だばかもん」
「……」
大人顔負けの知識と度量。中身はただのうぶな子供。
それを何度も何度も思ってきたが世間はどう見るのだろう。
男に対し女の年頃というのはあいまいである。
男なら15で山に入れる。狩りの手伝いや弓の練習、父親を助けて家の仕事が出来る年である。
一方で女は15で何があるというわけでもない。等位の高い家の娘ならば大体15を過ぎたあたりからよそに嫁いだり本山へ召し抱えられたりするのだが、それもはっきりとした決まりは無い。
本当に、もう15ともいえばまだ15とも言う。
この少女に罪が問えるのか。

ところですっかり健やかなる生還者、つまり豪炎寺だが、この頃帰らぬ実父へのわだかまりを抱えて苛立っていた。
里に戻るよう父を説得したいのだが、文を出そうが使いを行かせようがまず反応が得られないらしい。
「息子が死にかけていようが一度も来ない父親だ。応じるとははなから期待していないが」
「ならば怒らないでしょうに。心配ですと伝えてはいかがですの。ただ帰れと言ってもお仕事もお有りでしょうし…」
「ふん、そんな女々しい文が書けるか」
苛立ちで当たったりもする始末。なんやかんやと情勢穏やかにいかぬ毎日、豪炎寺が愚痴ってくるのは密かに鬼道の機嫌にも影響していた。
普段感情的になる事が少ないからか、振り幅は大きい気がする。
なげやりの気分で人頼りに妻の元に連れてきてしまったが、酌をしながら親身になって話を聞いている妻を見ていたら自分が薄情者に思えた。
「山もあわたたしいかもしれません。落ち着いたらせめて顔を見たいとか、照れがあるなら妹が寂しがっているとか、書いてみてはいかがですか」
「夕香がと。多少、だますようだな…」
「あらら。お兄様には話さないのですね。健気ですこと」
「……そうか…」
つまり夕香が兄には言わず妻にこぼしていたという寂しさを聞いて、豪炎寺は少しばかり顔を赤らめたように見えた。
ぐっと盃を飲み干すと、でかいため息をついてうなだれた。
「わ、すごい。ひとくちで」
「のみすぎるなよ。泊めんぞ」
「………」
うなだれたままの豪炎寺は無言で妻を追いやるように手を振った。
「もう一杯よろしいの」
「もうよいよ。旦那にしてやれ」
「おうおう、かえしてくれ」
妻はふふ、と笑うと鬼道の隣に戻って来て、酒を注いでまた笑う。
「笑っているのか」
「かわいらしくて」
「何がかね」
「豪炎寺さんが」
この妻のことだから不思議な感性を持っていたってまぁ驚きはしないが気持ちはわからない。どう見たって酔っぱらった体格のよい男が可愛いことは無い。
「わからん」
「あら残念」
「ただのいかつい酔っぱらいだ」
「あは、厳しいですね」

何故この日のことをこれほどはっきり憶えているかといえば、まさにこの翌日に豪炎寺の父が帰り、愛娘を抱き締め息子を労う一家の姿を見たからだ。
泣くまいとして表情の歪む親友を見て、妻の言っていたことがわかる気がした。
彼はまだてんで幼い少年のような顔をして、素直になりきれぬ言葉でもって、父を少し困らせていた。


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