予想しない事が起きると人間無力に等しい。
背中に冷や汗がぱっと浮かび、喉が絞められたようにくっとつまる。
前方から歩いて来たのは約2年半ぶりに見る顔だった。
親しかったわけでも無いが恋人と手をつないで歩いている場面なんかには絶対に遭遇したくない相手である。
彼女は何も言わなかったが、明らかなる軽蔑の態度不遜な面と他人のふりで通り過ぎ、振り向く不動を見もしない。気付いていないはずは無かった。目が確かにあったのだ。

「小鳥遊忍って憶えてるか」
「たかなし…男?」
「いや、女。2年前の、えーとあの、全国テロの時にお前一回会ってるけど」
「……さあ。ヒロトのチームに居た奴か?」
「はー…そういうヤツだよな」
「なんだよ。感じ悪いな」
源田は憶えているだろう。
俺への恨みと共に。面倒だから訊く気は無いが、彼女が何の目的でこの地を訪れたのか気になるところだ。

「アンタあの頭止めたんだ。いきがってる感じ、バカみたいで面白かったんだけどな」

振り返ると小鳥遊忍。
身長はこちらと同じ程だが、顎を持ち上げた姿勢は見下しの視線を作り上げていた。
「……」
「モテ意識とか?だっせ。そんなんだからフラれるんだよ」
「あ?」
身に覚えが無いから応えたが、売られた喧嘩に過剰反応したように感じられて恥が浮かぶ。二の句を次げずにしどろもどろしていると、小鳥遊は全く予測しなかった名を叩いた。
「佐久間に」
「は?!」
驚きに足が後ずさる。
その反応に相手はとても満足したようで、やっぱりな、とでも言うように、にったり笑うとスカートを翻して去っていく。
訊きたかったこともいくつかあったのに、小鳥遊の姿が校舎のかどを曲がって消えるまでその事さえも忘れていた。

その後も小鳥遊は時々不動の前に現れて、からかいのような蔑みのような言葉を2、3言っては帰って行った。

小鳥遊に対して特別何も無かった不動だったが、会うとテロ騒動の事を思い出す。
女のくせに凶暴なプレイをする選手だった。相手の痛みを付くことに、何の躊躇も無いそこを見込んでいたが、こと日常にそれを持ち込まれると彼女の鋭利さは非常識にさえ思えた。
洗脳に飲み込まれて行く佐久間の姿が暗く寒い艦内の風景と共によみがえる。
源田を抱えて苦しんでいる。あの絆の姿…

「佐久間は元気?」
嬉しそうなのに悪意の満ち満ちた小鳥遊の笑顔に少しだけ抗体が出来た頃、自分でも予想外な程胸を突く事を言われた。
「知るか」
「そうよねぇ。アタシは知ってるけど」
「………」
小鳥遊の目的がわからない。怪訝な顔をしたのだろう。小鳥遊はまた一層嬉しそうに微笑む。
「…お前なんなの?」
「あれ?今更だな。もっと早い段階で言うことじゃない?」
「すぐ消えるだろ。好きに何でも言ってからよ」
「やだなぁ、アンタが佐久間にフラれたっていうから、笑いに来てやってたのに。もっと喜べば?」
鞄につけられた沢山のキーホルダーやストラップ等のチャームが意外に思えた。よく見るとハートやピンク、女の子らしいものばかり。
「それ何だよ。どっから聞いたわけ」
「ヒミツ」
「本人が吹聴してんじゃねぇだろうな」
「はー?そんなわけないじゃん。アンタって相変わらず、人のことわかんないんだね」
ジャケットのポケットからはみ出している巨大なマスコットの横に、小さなサッカーボールの根付けがぶら下がっていた。見覚えがある。
「アタシがそう思ったから言ってるの。でもアンタ否定しないし、事実なの?あの子何にも言わないし」
「………」
“見覚え”の理由はすぐにわかった。佐久間がめったに使わない携帯電話につけていたものと同じなのだ。
「お?やっぱり否定しない」
「…なんで男にフラれなきゃなんねぇんだよ」
「あはは、ケッサク。アンタあんだけ殴る蹴るしといて全然気付かないんだものね。女の子だって」
まだ認められないんだ、と言って、小鳥遊はケタケタ笑った。愚か者を嘲る笑い方だ。
(普通気付くかよ…)
「アンタって発想は独創的なのかもしれないけど結構慎重だよね。マジメだし。ありえないって思うとありえないままなんだ」
「…俺は」
「不便だね」
「………」
不動は思わず拳を作った。
「俺は、あいつをどう思ったことも無い。ただのチームメートとか同級生だったけど、とんでもない嘘つきだから…今は…軽蔑してる」
「ふぅん」
「だから、フラれたとか、バカな事言ってんなよ。俺はもうあのクソ野郎を思い出したくも無いんだ」
「へえ」
「くだらねえ」
「あは」
小鳥遊は指輪がはめられた指で髪を耳にかけると、愉快そうに笑う。
「あいつ、あいつか」
「あ?」
「アンタがあんなに人に執着見せるのが意外だった」
「………」
「短い付き合いだけど遮断してる感じあったし、なのに佐久間は構うんで、大好きだなあーって思って見てた」
「………」
どこに向かうのか全く見えない会話を続けるのが嫌になり、視線を落とすとゆうに5センチを越える高さのヒールを備えた革靴が目に入る。
遅めの成長期を迎えて背が伸びた不動と、以前のように目線の高さが変わらない理由を理解した。重そうな靴だ。
「…消えてくれるか。あんまりお前と喋りたくない」
「私も。前はアンタのこと人としてそう嫌いでもなかったけど、女々しいトコ知って引いた」
「……」
女は時々目的がわからない話をずっと続けることがある。今交際している恋人にもそういった面があり、そしてそこから段々飽きてきていることも自覚していた。
「でもアンタが結局一番あの子を必要としてるかなって思って。そのためなら変わる事もありそうだし、教えてあげる」
「はぁ……」
話が続きそうな予感にでかい溜め息が肺から漏れ出る。

「あの子綱海と会ってるよ」

続く予感は盛大に砕かれ、小鳥遊は目的を遂げたらしく、ハイヒールの革靴で去っていく。




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