date 22:



当時の事を話す時、施設の仲間は“あの夏”と言った。
あの年の夏は本当に大変だった。

ヒロトが心配だった。吉良の家から戻ってこないのだ。瞳子も忙しい事は予想できたが、顔を見られないのは不安だった。
この事件を受けてますます子供から遠ざかる親も居たが、引き取る覚悟を決めた親も居た。晴矢には二度と連絡は来なかった。
祖父母よりも叔母が嫌がったのだろうが、彼らも晴矢をもうどう扱っていいかわからないのだろう。たとえ無理に引き取っても関係はひきつるだろう。子供の晴矢にさえそう思えた事なのだから、彼らの心情などもっと複雑だったに違いない。
毎年来ていた年賀状も、あの年を境に来なくなった。

とりたてて理由も無いが、なんとなく部活に出ないまま、そのままになっていた晴矢は、手持ちぶさたで学校から出された宿題を始めてみた。珍しい光景だったが近頃は珍しい光景だらけで、晴矢が自ら勉学に勤しむなんてそう特別な事でも無かった。
「風介はどうなってるのかな」
玲名が隣に腰掛け、同じように宿題を広げる。
「さぁな」
「母親のところだろうか」
「さぁな」
やや宿題に飽き始めていたが、今度は隣に茂人が座る。
「瞳子姉さんなら知ってるかもしれないね…」
「連絡とれないからなぁ」
「緑川はアレは引き取られたんか。里子になるんか」
「いや、来週戻って来るってさ」
「それ今週になったらしいぜ」
「夏彦。それ本当?」
夏彦は事の起こりから行くあても無く、玲名と同じように施設に残っていた子供である。晴矢と同じ心中の生き残りで、過去に一度だけ養子に出されたが一年と経たずしてまたここに戻された。
「可哀想だから引き取るなんて考える奴、長続きするわけねぇよ。リュウジはしんどいなァ」
「そうだな。“可哀想”は長続きしないな」
数式をすらすら解きながら、玲名もうなずく。
広間の円卓はすっかりお勉強会の雰囲気で、そもそもの晴矢は後悔した。今席を立てば出来てないだろうと玲名に叱られ、できないと言えば3人からの集中講義を受けるであろう。
「それよりさっき風介の話してなかったか?」
「ああ、戻ってくるか誰も知らねえからさ」
「あー…どうだろな。今回こそ引き取られるんじゃねぇの」
「そうか?なんで」
夏彦がくるくる器用にペンを回すのを玲名が目障りそうににらむ。
「それやめろ」
「へいへい。
だってよ、アイツなんだか雰囲気変わったじゃんか」
「そうだね。明るくなったっていうか」
玲名が小さく息を飲み、晴矢を見た。晴矢は玲名を見なかったが、玲名の心がわかる気がした。自分の中で何かがぴくりと緊張した。
「あの感じだったら可愛がられるんじゃね?人ウケしそう。親ウケっつうか」
「あーわかる。親ウケね」
「それ、今の方が良いってこと?」
気の強い玲名の声が震えていた理由は茂人も夏彦もわからなかっただろう。あっけにとられた顔をして、説明が欲しいとばかりに晴矢を見る。
「俺は前の風介がいい」
「前のって…だって暗いじゃん。何言ってるかわかんないし」
「でも優しかった」
「ハル、風介と何かあったの?」
「別に」

その晩遅くに緑川が帰った。
リュウジは人懐っこい性格だが、劣等感が強いところがある。それが多くの大人には相対すると感じられるらしい。その劣等感を払拭しようと努力する健気な面もあるのだが、個性は要らない場合が多い。
生半可に親になろうとする人間は底抜けに明るくどんな時にも自分を慕うそういう子供が欲しいのだ。
実子だろうがそこは変わらない。
しかし孤児も人間なのだがどうやらそこは忘れられがちである。
「おかえり」
「早かったな」
「うん。ただいま」
「じゃあおやすみ」
「明日朝礼あるから早く寝ろよ」
「うん。おやすみ」
リュウジがずっしりと重いボストンバックを玄関に下ろすと晴矢と玲名が通りすがりの偶然のように、それだけ話して部屋に戻って行った。
かけるべき言葉などわからないが多分これで良いのだろう。
あまり残念そうにしていないリュウジを見ると、子供を捨てる親が多い世の中拾える大人も多くないと思える。
一方で自殺した自分の両親の事を考えれば、世間のしくみが悪い気もする。
ただずっと思うのは、
(いらねえなら産むなっつう話だよ)


風介が過去にぶたれてつくったあざの多くは綺麗に消えたがこの頃までに消えなかったものはこの10年先にも残っている。そして生涯消えないだろう。
もはや仕方の無いことだが背中の火傷だけは惜しいと思う。
晴矢は風介の白々とした石膏みたいな肌の、その最たる背中にぼつぼつと空いた醜い穴が憎かった。
消せたらいいのにといつも思った。代わりに負いたいとさえ思いもした。

この年の晩夏にさしかかる頃、隣町の団地の3階から風介は飛び降りた。
彼にとって幸か不幸か死にはしなかったが意識を飛ばして先のわからぬ状態になった。
(また怪我をしたんだろうな)
『はなさないで』
(ごめんな風介)
あの約束が守れていれば、こんな事にはならなかったな。
自分で落ちたのか落とされたのかはわからないが、苦心の果てとは明白だった。
もちろん晴矢は前者だと考えている。


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