高等部一学年第一課F組
籍番03106321 佐久間 次子

実は次郎は本名だった。

戸籍の上でも15年間ずっと次郎。まぎれもない。法律上改名が成されたのは今年からだが家の中ではずっと次子。だから次子も本名といえばそうだった。
性別偽称なんて今時非常識だし、まして15年続けるなんて自分でもよく出来たと思う。女性らしさが欠損しているからこその芸当だろう。今も女子としての暮らしには慣れない。
スカートをはいたり髪を結ったり装いに関しては自宅で強要されていたから妙な話だが抵抗は少ない。鏡にうつる女子の制服姿にも、拒否する気持ちは薄かった。

佐久間の中で次郎と次子の境はほとんど存在しない。

自分の中で何か特別に変化したものが無いのでそれも仕方がない。戸惑いは周囲の方が大きいだろう。大体が珍しいものを見るような目で見てくる。それを感じる度に申し訳なくなる。
理由が何であれ自分がどうであれ偽っていたことにかわりない。こちらが胸を張るだけむこうは居心地の悪い思いをするだろう。
でも影にこそこそする気は無いし無論威張るつもりも無い。ただ普通に学校に来て授業を受けるただの生活。それだけで良い。

佐久間の思いはそれだけだった。

時々、サッカー部をのぞきたくなる。でも行かない。
試合を観に行きたくなる。
ボールを蹴りたくなる。
友達に会いたくなる。
でもだめ。それだけはだめ。
一番騙してたのは彼らだから。

『どっちでも関係ねえよ』
めんどくさそうに辺見が言った。
『別に気にしなくても』
咲山が本当に気にしてないようにそう言った。
『みんなお前の味方だよ』
源田は呆れてるみたいに見えた。
でも私は私が許せない。

女の子ってどういう話をするの。好きな物の話?嫌いな物の話?男子の会話と変わらない?
みてみてかわいいいでしょどこどこでかったのえーいいなーかわいいーわたしもほしいーかっちゃおうかなーあーじゃあこんどいっしょにおみせいこうよーおそろいにしよーよーいいねーいついくーえーとねー
女の子の会話って忙しい。
きゃっきゃと喋る女の子たちの姿を見ると可愛いなって思うけれど、いっしょになって話したいとか遊びたいとか思わない。
やっぱり15年も男の子の世界に居たから感覚がそっちにずれているのだろうか。
でも、そういえば小さい頃から女の子の遊びやおもちゃより、男の子たちと遊んだし、なによりサッカーだった。なによりも。


過去、これ以上はだめだと何度も何度も言われてきた。
性別のことと、サッカーのこと。
厳しい祖父がよく15の年までこらえてくださったと思う。佐久間の家の歴史や格式を考えると、次子はとんでもない異端児だった。
性別のことはもちろんの事、女がスポーツに熱中するなんてはしたないくらいのものだった。
せめてするなら、薙刀や弓道を。女を崩す心配のないものを、せいぜい“たしなむ”程度で。
しかし薙刀も弓道も、佐久間の情熱を奪えなかった。最高に泥にまみれぶつかり合って戦う世界に、何の因果か蝶よ花よの世界の少女が夢中になってしまったのだ。
やめよとくどい家から逃れるため寮に入り、世界大会にまで出て家の者の度肝を抜いた。
子供の大会ながら世界一の称号を得てしまった彼女の、並々ならぬ情熱と努力を、ようやく知った佐久間の家はもはや彼女を引き止めたりサッカーから引き離そうとはしなくなっていた。
しかし当主である祖父は言い続けた。女であるからと繰り返した。
祝賀会の時には強行策にも出た。それでも次子はもがいた。祖父の目の前で髪を断ち、整然と主張と懇願の文句を述べた。
あきれるくらいである。何故そこまで意地になって、いずれどうしようもなくなるとわかっていることを続けるのかと、いっそ気狂いに思われる。

次子にはそれもわかっていた。

でも今だけはと思っていた。
その後説得は成就するが、今度はこれだけきっぱりとやめてしまった事も不思議がられた。
あれほど頑なだった祖父さえ、いいのかと訊いてくる程その離脱はあっさりと、そして徹底的であった。
テレビ中継の試合さえ観ない。
部屋に飾られていた数々の大会の記念トロフィーや部員たちと撮った写真も、全部片付けた。好きだった選手のインタビューが載った雑誌、憧れのチームのユニフォーム、何度も何度も繰り返し観た試合を記録したテープやディスク。
仕舞ったのか捨てたのか、とにかく次子の部屋からは消えた。
それらが去ると彼女の部屋は何も無く、獄中のごとくさみしかった。
それはむしろ昔から次子の成長を見てきた家の者たちにとって苦しい光景であり、あんなにあんなに好きだったのにと、えもいわれぬ思いでその潔さを嘆いていた。

今の次子はとても過去に、泥を食うような戦場を、競り合い駆け回っていたような、男の子には見えないのだ。


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