※ 存外ファンタジック注意



盆地を囲む山々のひとつである、槍山という山を越えた向こうには広大な草原がある。季節ごと花が咲き乱れ、初夏には特に素晴らしい景色が見られる。
そこに立っている夢を見た。

「…お加減いかが、兄さん」

妹の春奈が枕元に座っていた。
そうだ。幼い頃、遊山の帰りにあの草原に寄った。春奈は蜂におびえ、自分は飛蝗を追い掛けて遊んだ。
「もう、10年も前か」
「あら、なんの話?」
「………」
兄の脈絡の無い言葉に、長く熱にうなされたおかげでついにいかれてしまったかという事が、よぎらなかったなかったわけではなかった。それでも春奈は努めて明るく訊ねたのだった。
「昔話なら、よしてよね。私が失敗したり、恥ずかしい思いをしたことばかり覚えていたりするんだもの」
「槍山草原をおぼえているか」
「槍山…ああ、今頃きれいなんでしょうね。槍ヶ原の里の人がうらやましいな」
「来春はお前も槍ヶ原の嫁だろう」
「……ええ」
春奈は来年の春に嫁ぐ。
一等の家に珍しく、互いが選んだ相手だった。
「何か飲む?」
「水を。それに、何か薬があるならのもう」
「薬師は何も置いて行かなかったよ」
「そうか…」
鬼道は再び目を閉じてしまった。薬はためしつくしたのか、里の薬師はもうお手上げとばかりに回診を避けている。熱は下がることもあるのだが、そんな日は大抵体がだるくて起き上がれない。近頃では命運つきたかとさえ思う時があった。
「良い気候になったな」
「そうだね。昼は暑いけれど、夜は風が気持ち良いよ」
「……」
「……」
「花の匂いがする……」
涼しい風が部屋に吹き込む。さわさわと草木の揺れる音がして、気持ちの良い夢入りを体験する。

この日を境に鬼道は徐々に体の回復を感じるようになった。

不思議な事だが日をおう毎に血の気が戻り、熱も落ち着き、食欲が出てくる。
三月も病んでいたわりに、順調な快方だった。
「一時は心配したものだが」
「いや、世話をかけた」
「このままならもうすぐ床から出られそうだな。お、件の妹様か」
「え、なんですそれ」
春奈が香の一式と花を抱えて現れた。鮮やかで、立派な花だ。
「お前の介抱でずいぶんよくなったっていうじゃないか」
「私は何もしてませんよ」
「何を言う。毎日香を焚いてくれるじゃないか。花を飾って楽しませてくれるし、部屋に風を通したり」
「兄さん、まだ全快じゃないんですからね」
春奈は厳しく言ったつもりだろうが、12、3の子供の言葉だ。微笑ましい意外なにもない。幼なじみの豪炎寺など、遠慮も無いからにやにやとしてやりにくいといったらない。
春奈はいささか不機嫌そうに花を生け、火打石を打つのも乱暴だった。
「ごゆっくり」
「ふふ、ありがとう」
香を焚き、花を飾るのはもちろん素晴らしい見舞いになる。しかしそれ以上に春奈はおそらく、治療を行ってくれている。
体が快方に向かいはじめた頃、夜中に一度だけ見たことがあった。
枕元の吸口に、春奈が何か粉を混ぜていた。中にはいつも薬草を煎じたお茶が淹れてあるが、それに薬を溶かしていたのだろう。ふと目が覚めての事だったから、春奈は兄が起きていたとは気付いていなかったであろう。今もばれているとはわかっていない。そういう態度だった。
なぜ隠すのかはわからない。
ただ年頃で、恥ずかしいのかもしれないし、薬師が調合した物では無さそうだから、鬼道がのむのを拒むと思ったからかもしれない。
頭の良い娘だ。製薬くらいは出来て不思議もない。
しかしそれをひけらかす事も恩着せがましくする事も無い妹を、鬼道は誇らしく感じていた。


晩夏の頃、ようやく鬼道も床から上がり、1人で歩ける程になる。まだ外出は難しいが、敷地の中なら散歩も出来た。
彩飾の少ない鬼道の屋敷は庭も殺風景だった。きれいに整備はされているが、すみにある小さな花壇も生真面目な感じでつまらない。
春奈が部屋に飾ってくれていた花は、実に立派で元気が良く、長持ちした。山からとってきた物だろう。春奈の苦労と心遣いは頭が下がるほどありがたい。
そんな事を思いつつ、鬼道はびたりと足を止めた。
そこは離殿の前だった。




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