※ 存外ファンタジック注意



里には時々狩りそこね という獣が出る。
文字通り仕留めそこねた獲物である。
それは鹿だったり熊だったり様々だが、この年のはじめに出た狩りそこねはイワヤギのくせに毛が赤茶けた色をしていて気性の荒い雄だった。

「もう数日で円堂が戻る。そしたら山に入ろう」
「待てないだろ。むこうは待ってはくれないんだから」
その日公民館には日常ありえない数の人が押し寄せていた。里の誰かの葬式やら結婚式ではない。会議だった。
「虎丸を連れていく。だからお前は里に残って…」
「元服もまだのやつを山に連れては行けないだろ」
「じゃあ、どうするんだよ」
案は出ない。狩りそこねは始末をつけない限り、何度でも里を襲う。時間が経つほど狂暴に大胆になる。
雪もとけかけの今時期、今にこそ仕留めなければ、やがて山には食物が満ちてヤギはますます手がつけられなくなるだろう。
すでに狩りそこねを出した里外れの狩家(狩猟を生業とする家)宅は襲われ、自宅が半壊。主人の5歳になった三男が腕を踏まれて骨を折った。
「“アカヤギ”は里者に女房を狩られた恨みもあるだろう」
「ああ、やれやれ、獲物には毎度申し訳がないな」
狩りの腕が特別優れている精鋭が少数でアカヤギを狩る事に決まったが、さて誰が行くという話。
まず鬼道と豪炎寺が挙げられたが、2人とも志願はするつもりであった。問題は2人が里を離れる間、里が手薄になる事だ。
実は子供の腕を折られた事に憤慨した狩家の主人が、狩家の仲間で連合を組んで討伐隊として出ていってしまったのだ。
その半数が普段里の境界を張る仕事も兼ずる男たちだったために里の守備力は今かつてない脆弱さを極めている。
「円堂たちを待つ」
「待てない。俺は1人でも行く」
「この頑固め」
「そっちこそ」
鬼道はこの春戻る予定の修行に出ていた仲間たちをあてにして、彼らが戻って里に人手がついたら、我々2人で行こうという。
一方豪炎寺はそんな時間は無い。一刻もはやくアカヤギを退治しにでなければいけないという。
話はひたすら平行をたどる。

その問題は翌日の夜に解決した。

山寺の援軍、騎馬隊が到着したのだ。
騎馬隊は鬼道家にと案内されたが、公民館で結構だと言う。長老たちが頭を抱えている寄り合いに若い騎馬隊長がすっと入り、我々が里をお守りいたしますので、精鋭隊を行かせて差し上げてくださいと述べる。
明け方、鬼道と豪炎寺は騎馬隊の早馬を借りて山へ入った。

「はいこれ。おまもり」
「…ありがとう」
「おい、兄の俺にはないのか。冷たい妹だぜ」
「お兄ちゃんにはこっち」
「干胡桃…。ま、いいか。ありがとう」
まだ日の上らない朝靄の中、豪炎寺の妹は見送りに出てきた。
可愛らしい見舞品を受けとると、山にまぎれるため熊の皮を被り、鋭く研いだ鏃を持つ。

「いってらっしゃいませ」

馬屋の板間に手をついて下げられる頭から、ぱさりとおちる編み込まれた髪。
この地域での女児の一般的な髪型と、大人びた所作のばらばらな事。等位の高い家ではよくある光景だが、この活発な少女が慣れたようにこなすのを見ると、鬼道にはなんとなく空しく感じられた。


「いつ援軍要請なんかしてたんだ。抜け目ないな」
「してない。勝手に来たんだ」
「お前…ばちあたりだな」
山道に入ってからは、2人は口をきかなかった。山に溶け込まなくてはいけない。
山に入って3日間、アカヤギは現れたり、消えたりしながら移動した。逃げているのか誘導しているのか、矢の届かない絶妙な距離をアカヤギはわかっていた。
様子が妙だとは気付いていたが、4日目の朝、やっと追い付いたアカヤギは、食われた我が子の骨の隣でこと切れていた。


「お前のかみさん、菜食者だって」
「…え?…あァ…どうだったかな…」
「ああいうの見てしまうと、気持ちちょっとわかる気がするな。まぁ、理由は知らないし、肉を食わないとも言えないけど」
「………」
「…胡桃、食うか」
「いらん」

おそらくは先に出掛けた狩家の一行が、子ヤギを食ったのだろう。
報復のつもりなのか。それもわかる気がする。

でもアカヤギが哀れであった。

浮き出たあばらが、餓えを物語っていた。それでもたった一頭で敵地に赴いて来たアカヤギを、賞賛したい。不謹慎でもばちあたりでも、鬼道はアカヤギの様を尊敬した。
山を下り、里が見えかけた頃、2人はまだ日も高いのに、近場の洞穴で一泊を過ごす事にした。山をおりたのに2人は口をきかなかった。
なんとなく里に入れるような気分ではない。アカヤギを悼む気持ちでいっぱいだった。
その夜はもうずいぶん暖かくなってきたというのに、雪が降った。
アカヤギの骸も春には土と同化するだろう。




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