とうとうの事が起こったのは、大会の4日前。そして起こしたのは今まで岩のように黙っていた、源田だった。
「拳じゃなくてよかった」
「………」
不動はふてくされていた。
佐久間は何度も見事に腫れた不動の右頬に、氷水を通したタオルをあてる。殴られたのだ。
「………」
「すまないな。おれ、ついていけなくて…部活の雰囲気、悪くなっちゃって…」
「………」
いよいよもうだめだ、というくらい、地鳴りと共に地が裂けていくような衝突が、素晴らしい音響の平手打ちで、ふと消えた。
それは不思議な現象だった。
ベンチに横たわっていた不動はずりずりと体の位置を移動させ、隣に腰かけていた佐久間の腿に再び寝る。
「えっ、おれ汗くさいぞ」
「んなことねぇよ、黙ってろ。あと今日、お前、俺んトコ来い」
「え…ヤダよ…」
「………」
固いベンチが耳に痛くてただ枕が欲しかっただけだったのに、佐久間の膝は思ったよりもずっと柔らかい。不動はちょっとぎくりとしたが、すぐに男の膝枕というむさ苦しさに気分が下がる。
「なんか枕になるもんねえか」
「ああ、枕が欲しかったのか。でもお前そろそろ起きてもいいだろ。えらい音したけど、平手だったんだし」
「チッ」
「…舌打ちって…」
「………」
わざとらしいくらいだるそうに起き上がり、耳打ち。
「いいな。今日来いよ」
「…寝られてないのか」
「………」
不動は簡単に体をほぐし、コートに戻る。主将に殴られたその足で戻ってくるふてぶてしさに一軍一同が目を見張る。佐久間はそれを見ると吹き出してしまった。

こんな事を言っては不動は怒るだろうが、佐久間は今度の大会に特別気負いも欲も無かった。
もちろん真剣に、全身全霊戦うつもりだが、それよりも部活を、サッカーを楽しみたかった。このメンバーと、最後に。
最後だからこそ、多くは負けられないという意地を持つだろう。別に諦めも無い。世界一という傲りも無い。
世界大会は佐久間にとって、怒濤に過ぎた夢の中のような出来事だった。つらい練習の最中も、まるで既に過去になった幸福な思い出を振り返っているような気分だった。
走れる。戦える。二度と立てないことさえ覚悟した後の、それはなんという幸せだったことだろう。
佐久間はもはや勝ち負けとは違う次元で戦っていたのだ。
これを言えば、甘いことを、と思う相手も居るだろう。実際自分でも思っていた。戦うにあたり、あまりにぬるい心構えである。
それでもどうしようもなく満たされていた。
試合になれば、負けたくない。勝ちたいとは思う。でもそれよりも幸せだった。楽しかった。嬉しかった。体が動く。走れる。

『ボサッとしてんな!のろま!』

一方で不動が必死に導きだそうとしているゲームのかたちに自分は全く役立てていない事に申し訳ない気持ちもつのる。
不動がしたいこと。理想のゲーム。それを叶えてあげられない。
チームメイトが不動を受け入れないという可能性を微塵も思い付かなかった佐久間は、実は不動以上にその反応に驚いていた。一体なぜ、と問いかけようが誰もが答えにくそうに、なんだか不満気に口ごもる。変に板挟みになった気分で、落ち着かなかった。
でも黙っていた。
皆上辺だけの薄い付き合いを選ばなかったから、こんなに険悪でひどい空気になっている。理由までは言わずとも、不動へのあからさまな不満、不快、嫌悪の態度。口論に口論。八つ当たり。いっそ清々しいまでの、嫌いだという感情。

『なんでお前は怒んないの。あんな無茶させられて』

(それは…)

「おれ、お前のプレー、
好きだよ」
「ゲッ、…なんだよ急に」
「見てて楽しいんだ。面白いんだ。きっとサッカーに詳しくなくても、やったことがなくても、誰が見てもお前のプレーは、見てて楽しい」
「きもちわりィな…なんだよいきなり」
靴下の上から右足にあてられた氷のう。氷がこすれる音がする。結露して滴る水滴が、爪先までもを濡らしていた。芝生がへばりつき、泥がにじんでいる。
「………」
「…なんだよ」
「だから悔しい」
「悔しい?」
不動はわざと下を見なかった。プラスチックのボトルを指でへこませる。氷っていたスポーツドリンクがとけかけて、中でシャリシャリと音を立てる。
「お前の思うよう、動けない。お前と同じようにといかなくても、せめて一端を担うでも、できなくて」
「………」
「ごめん。お前の方が、たぶん、もっと悔しい…」
「…べつに」
「ごめん」
佐久間はうなだれた。

12対2の、圧勝を納めた初戦の直後のことだった。

不動は満足した試合だった。チームをかき回しまくった自分がスターティングメンバーに選ばれるとは思わなかったが、それよりも驚いたのは佐久間が温存をくらった事。後半からは出場したが、相手のスライディングに足をやられて長くは出ていられなかった。
「…初戦で、なにブツブツくだらねぇこと言ってんだよ」
「………」
「そんなんじゃこれから足ひっぱるぞ」
「うん…」
「で、何が言いたいんだよお前」
「……あのさ、」

「ハゲ、なんか、客!」





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